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いったりきたり。それは短期的売上と長期的ビジョンどころではない。

広島の大崎下島にある「久比」という地域に、1週間滞在している(た)。

「柑橘棟」と呼ばれる元病室だった場所を個室にされた四畳半の部屋に、窓と木の机。窓を開けると桜が満開で、その先には鮮やかな深緑の葉の中にたわわなみかんとレモンがぎっしり。

ここは、10年くらいの付き合いがある日本酒ベンチャーの戦友であるナオライの三宅さんが、根をはり、立ち上がろうとしている場。そして「くらしを、自分たちの手に取り戻す。」と掲げる一般社団法人まめなが織りなす希望のつまった場所。


いったり、きたり。

ここ最近は、自分が今、どこに立っているのかわからなくなるほど目が回っている。(物理的な場所だけでなく、視点・視座も)

目前の会社の売上に対してやること、作りたい未来に対してやること。
微生物や菌から自然、動物、人間、社会、地球。
たくさんつくるからできること、こだわった1つだけだからできること。
仲間とだからできること、一人でやりたいこと。
5分以内にやること、今週、今月、半年後、10年後、100年後。

「あいだす」という自ら学び自ら探究する場の目の前にあった。ヤオロズの神なのか

それは短期的売上をどうあげるのか、長期的なビジョンに向けて何をするのか、といった直線的なものどころではない。

時間・空間・時代を超え、主客を超えて、
いったりきたりするスピードが速くなってきている。


穴の空いた木舟が、穴が塞がれようやく旅路へ

多様な人も、動植物や地球環境も、誰もどれも取り残さない「オールインクルーシブな社会」を実現したくて、私はそれを誰もが毎日触れ、選択し、一番身近な存在である「ファッション」から実現することを決めた。2020年9月15日、世界民主化運動の日、に。


大きな社会システムのうねりの中で、人のために作られたものが人を傷つけるというシステムにきりかわってしまったものは、残念ながらとても多い。

私たち人間が、「便利・快適・豊かさ」をもとめつづけ、それゆえに求められた生産性・効率性から除外されたものを数え切れないほどうんでしまった。

そして情けないのは、うむだけでなく見て見ぬ振りをしてきてしまった。だからこそ、今こそ私たち一人一人の手に取り戻そうと決めた。純粋に好きなものを好きと言え、ありたい自分であれる未来のために。

そして、1年半が、経った。


いわゆる「ファッション」の専門性も何もなかった私は、とにかく仲間を集め、とにかく話を聞きまくり、今できそうなことをがむしゃらにかき集めた。

先日伺った、社会福祉法人槇の実会での撮影のひとこま
槇の実会の職員さんと、SOLITのインターンのみんなと

走れば沈み続けるような「穴だらけの船」だったSOLITというファッションの会社は、仲間達の答えも前例もない中で「問い」をたて、試行錯誤を繰り返しながら紡いできたものがようやく形になり始め、ご縁をたくさんいただいて、なんとか穴が塞がれて。

港から漕ぎ始める準備が、ようやく、ようやくできたのだとおもう。
ここからはじまる。

100のlikeより、1のlove

SOLITを立ち上げていなければ、こんなことはうまれなかっただろうと思うことが最近よく続いている。それは本当にありがたいことだし、時にこれは奇跡なんじゃないかと思うほど、心が震える。

  • SOLITとの出会いは運命だと思った、と言ってくれる方がいた

  • SOLITの服を着て、これまでの人生に彩ができたと涙を流されている方と出会った

  • ずっと着たかった服が着れて、夢がなかった。ずっと夢だったと言ってくれる人がいた

  • これまで自分から行動を起こすことのなかった福祉施設を利用されている方が、はじめて自ら動く瞬間を目の当たりにした

ファッションのパワーってすごい…そう感じることが何度もある。



ただこれは、短期的には利益にはまったくならない。
でもこれは、絶対にやるべきことであり、とても大切なこと
だと思う。

SOLITの創業メンバーであり、私にファッションとはなんたるやを教えてくれた高橋朗さんに、SOLITの事業状況について相談したときに言ってもらったのがこの言葉。

SOLITが生み出しているのは100のlikeより、1のloveなんだとおもう

SOLIT創業メンバー 高橋朗

私はこの事業を、バズらせたり、注目されたり、めちゃくちゃ儲けたくてやっているのではなく、作りたい未来を作るためにやっているのだということを忘れず、心の中で燃やし続けている。

初めての創業時に大変お世話になったミスルトの孫泰蔵さんにも良く言っていただいたこの問いにもつながることかもしれない。

誰がそれで涙が出るほど喜んでくれるの?

SUSANOOというアクセラレータープログラムの時にいただいた言葉

短期思考から、長期思考へ

いわゆる「小売」の事業をしたことがないし、「ファッション」もはじめてでわけがわからない。挑戦し、走るほど必要なお金や時間はどんどん手元から離れていく。そうすると意識が「お金を稼がなくては!」とか、効率的にやるにはどうしたら..と頭によぎってしまう。

ほんとうにそれでいいのだろうか。

ただ、それでも、私にとって3回目の起業は、明らかにこれまでとは違う気がする。

短期的な売上には全く、本当に全く繋がらないけど、やりたいこと、お金にならなくても絶対にやった方がいいこと、というものを、頭によぎる資金やリソースマネジメントを超えて「やる」という決断をし続けている

もちろん、現実的には資金ショートするかもしれない。非営利団体が自分の身を削って他者を助け続けて疲弊したり、お金が理由で選択できない選択肢が増える企業をたくさんみてきたからこそ、恐怖もある。

それでも、それ以上に短期的なメリットのための意思決定の積み重ねが、たくさんの人を傷つけていることを知ってしまった今、選択すべきは10年後、100年後先を見つけてする決断だとおもう。

愛からくる選択、不安からくる選択

嘘のない、それが三宅さんのすてきなところ


ここ広島・久比での時間、そして冒頭で書いた「まめな」を中心として1週間滞在する中で出会ったたくさんの人との関わり合いの中で、日本酒ベンチャー「ナオライ」代表の三宅さんと夜中に話していたときのこと。

自分たちが言葉を選ぶとき、不安からくる言葉なのか、愛からくる言葉なのかを見定めて伝えるようにしたほうがいいよね、という話題になった。

鳥の鳴き声、虫の鳴き声、町内放送と音が複雑に絡み合う

短期的なメリットはとても魅力的だし、それがなくなると不安になる。周りに合わせればそれは楽だけど、自分らしくあれなくなる。思っていたことと違うことが起きるととても不安になって、不安ゆえの選択は言葉を放ってしまう。

でも私たちは、本当はそうしたいと思っていないはずなのに。

一つの選択も、一つの言葉も、不安から選んでしまっているなと思ったら一度立ち止まって、愛をもって選択していきたい。同じ選択や言葉もそれが不安からくるものか、愛からくるものかは相手にも自分にも伝わる。

泊まっていた「まめな」の部屋からの散歩道

私たちは、誰かを傷つけたくて、お金を稼ぎたくて日々暮らしているのではないはず。それなのにどこかこれまでのルールや慣習に流されてしまったり、不安でいっぱいで、思ってもいない選択をしてしまうことがある。

だからこそ、生きることは修行であるとどこかの誰かが言っていたように、いつも自分を律し続け、少しずつであったとしても、選択すべき選択をしつづけたい。



広島・久比、そしてまめな、あいだす

このコロナ禍での3度目の創業と、自分自身の心身への負荷や障害と、ご縁なのか修行なのか度重なる試練は、本当は信じていたかった未来と自分の決断に揺らぎを与えた。

信じ続けたいけれど信じていいかわからなくなってしまった私に、広島・久比にあつまる人たちの言葉と佇まい、ナオライの三宅さんとの対話、まめなの実現したい地域コミュニティへの思想や実践、曖昧性や不完全であることの美しさを受け入れるあいだす、風や音や色合いが確信を持たせてくれた。


最近読んだ本


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