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自分を好きになる恋愛

女の恋愛の仕方にはいくつか種類があります。
幸せに人生を送っていける恋愛と、残念ながらすればするほど苦しくなっていく恋愛と。

自分で言うのもなんですが、私は恋愛が自分を幸せにしてくれるタイプだと自負しています。恋愛するたびに自分のことが好きになるのです。残念ながら途中でお別れしてしまう恋愛もありますけど、振られたとしても相手に感謝していつまでも好きでいられる女だと思っています。

恋愛は私にとって一口目がちょっと苦いココアみたいなもの。飲んでしまえば幸せ感で包まれる素敵なものです。

何回も何回も相手を変えて恋愛をしたがる人も多くいます。私は結果的にそうなってしまいましたが、本来はそれは好みません。いろいろなトラブルや喧嘩や倦怠を通り越して、それでも相変わらず一人と居続けるという恋愛の仕方が理想です。

でも若いころは勘違いや気まぐれや自惚れのせいで、間違った判断をしがちです。または他人が信じられず彼氏がいても常に「スペア」を用意して恋愛している人もたくさんいます。本人は「理想の恋愛がもっと他にあるはずだ」と思い込んでいるんです。もっと新しい恋愛、もっと自由で快適な恋愛、もっとストレスのない恋愛・・・そんなものがこの世のどこかにあるはずだと思っているのです。

残念ながら、それはどこにもありません。
それがどこにもないと知ったのは、私もここ数年のこと(笑)
昔は、彼氏や夫に不満があって、この目の前の関係よりももっと快適な「海」で泳ぎたいといつも思っていました。
自分が今泳いでいるのは淀んだ沼なんだと思い込んでいたのです。

でも、どこにもないのです。自分の理想の青い海なんて。

自分のことが好きでいられる恋愛って、たぶん、「運命を受け入れた恋愛」だと思います。

大げさな言い方かもしれませんが、そうとしか言えないんです。もう運命に逆らうことを辞め、受け入れてしまう恋愛。これは女だけではありません。男もそうだと思います。運命を受け入れて恋愛する覚悟が決まったら、心に平穏がやってきます。

そしてもう慈愛とともに生きるしか道はなくなるものです。

女は、間違えた主体性を恋愛で振りかざすとろくなことになりません。
自分が選んでいる、自分が決める、自分が納得したい、そういう主体性を恋愛で振りかざすと、お得意の独り相撲で終わるのです。
男も同様です。

恋愛において主体性とは、「運命を受け入れるか」「受け入れないか」という部分にしかありません。

運命を選ぼうとする恋愛障害者の女性は、「信じる」「信じない」という安っぽい二元論で恋愛をジャッジしようとします。
しかも、ほかに女がいないと信じる・信じないという幼稚さ。

案の定、まともで強い男からは相手にされなくなります。
男は、信じる信じないの二元論で生きていないのですから当然です。男はそんな感情の二元論ではなく、「ある」「ない」の実在の二元論で生きる生き物だからです。


だから私は、運命を受け入れる、運命に逆らわないという生き方を選んでからは、恋愛はとても充実するようになりました。
男性は私を尊重してくれるし、私も男性を尊重できます。慈愛をもって接することも接してもらうこともできます。
犠牲を払ってくれることも払うことも自然です。
明らかに損をすることも、やってもらっているし、やっています。

人それぞれ境遇は違います。みんなが恵まれた環境にいるわけではありません。

障害がある人もいるし、犯罪歴のある人もいます。自己破産した人もいます。大学受験に失敗して腐っていた人もいます。無職の人もいます。会社が倒産した人もいます。不遇の時代を過ごしている人もいます。理解されない仕事に就いている人もいます。親が決して褒めない会社に勤めている人もいます。
親の理想とは違う人生になっている人もいます。
幼いころに思い描いていた恋愛ではない人もいます。

でもそれが今の運命だとしたら。
目の前に起こっていることがありのままの運命だとしたら。

抗うほどに人生に対する愛は薄れていきます。自分を好きになれるような恋愛の在り方からは遠ざかっていきます。

男も女も、
「受け入れてそこに座ってみなさい」と言いたいです。受け入れたらきっと幸せになれます。そして自分のことを許せるようになります。

失いたくないものを失う方向に行っていませんか?

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