あざとさの分だけ【『蜜柑』5. 二回目のデート②】
カナちゃんがお手洗いに行った隙に、私はスマホを開いて、新宿のデートスポットを調べ始めた。思えばデートなんて生まれて初めてだ。どこに行けばいいのか、何をすればいいのかなんて知らない。カナちゃんのエスコートを頼っていることが、しょうがないことだと思うと同時に、みっともないことだと感じた。
「ごめんごめん、失礼しました」
「どこか行きたいところある?」
「うーん、キョウコの行きたいところに行きたい」
「女の子同士って、どういうとこにいくんだろう……」
「——あとは、やりたいこととか」
そう言われて、私はまたしばらく硬直した。
「……服」
「服?」
「うん。カナちゃんをコーディネートしたい」
なんとなくそう感じた。言った後に、おこがましいなとも思った。でもカナちゃんは目をまんまるにして、もちろん! と鼓膜が破れんばかりに賛同してくれた。
身だしなみがだらしない人は、心もだらしない。これはお母さんの口癖だった。私にとっても、小さい頃から言い聞かされていたからか、いつのまにか座右の銘の一つになっていた。どれだけ心がすさんでいても、お洋服を綺麗にすれば気持ちも綺麗になる。だからいつ何時でも、お洋服だけは妥協してはいけない。その言葉を何度も反芻しながら、私はラックのブラウスを繰っていた。
ここは初めて入るお店だ。前から気になってはいたものの、なんとなく立ち入れないでいた。多分、外側から見える複雑な内装や独特の照明に、ハードルを感じていたのだと思う。でも今は不思議と怖くない。
「どういうのが好きなの?」
カナちゃんは、二つのワンピースを交互にあてがわれながら私に問いかけた。
「シンプルな方……あ、この服はすごい好きだよ。カナちゃんは?」
「こういうふわっとしたのが好き。でも、骨格のレベルで似合わないの」
「そんなことある?」
「うん、ナチュラルタイプだよ」
あー、という私の小手先の返事に、カナちゃんは小さく噴き出した。知らないな? と言いつつ、軽い操作でスマホの画面を表示させると、私を鏡の前にまで引き連れて、後ろから両肩に手を当てる。そうしてそのまま体のふちをなぞるように、細い手をおろしていく。私達の後ろを通ったカップルと、鏡越しに目があったような気がした。
「うん。やっぱりキョウコはストレートだ」
「寸胴だよ」
「違う、ストレート。だからこれが似合っちゃうの」
カナちゃんは得意げに私のスカートをつまんだ。私の体型だと、I字のシルエットの服が似合うらしかった。あの時も今も、やっぱりカナちゃんのペースだ。
「カナちゃんは、そういうのどこで勉強したの?」
なんだか悔しくて、振り返り際に顔を近づける。清涼剤の香りがつんとした。
「慣れだよー。前までは知らなかったよ、私も」
「前?」
「あっ……、服屋さんでね、バイトしてるの。友達が」
不自然な倒置法に、動揺したんだなと感じた。自分が勝ったみたいで、ちょっと嬉しい。
「だから、キョウコも気にすることはないよ。無知は恥ずかしいことじゃない! キョウコが着せたいものを着せて」
そう言うと、彼女は後ろに手をまわして待ちの姿勢になった。チワワがちっちゃい尻尾をフリフリさせるように、背後のハンドバッグを左右に揺らしている。
「そっか」
カナちゃんに何を着せたいのか、すぐには思いつけなかった。でもだからといって、提案を取り下げようとも思わなかった。カナちゃんのちょっかいを指先で扱いながら、高い洋服棚を端から眺めていく。視界いっぱいの慣れない彩りで、目の奥がツンとするのを感じた。
店を出た頃には、ちょうどお昼時になっていた。時計を見てようやく、自分のお腹が空いていることに気づく。どうやら私は、思っていたよりも長く悩んでいたみたいだった。
カナちゃんは、疲れて足を引きずる私とは対照的に、軽快な足取りで小気味よく前へ進む。
「かわいい」
リネンのワンピース——あれだけ悩んだ挙句、結局私はこれ一枚しか買わなかった。カーキ色の生地に目立った装飾もない。シンプルなのは私の好みだった。でも、カナちゃんがどうかは分からなかった。
「かわいい……」
「似合うかな」
「当然だよ! だって、キョウコが選んだんだよ」
そんな彼女は、さっきから何度も紙袋を覗き込んでは、うっとりするのを繰り返している。曰く、袖口の辺りが風船みたいに膨らんでいるのが、なんとも“あざとい”らしい。これもさっきから、何度も繰り返し聞いている言葉だ。
「高かった?」
声をかけられ視線を上げた。カナちゃんの眉は八の字になっている。
「あざとさの分だけね」
——ってのは冗談でね、みたいな機転が許されないほどに、一瞬で場が凍ったのを感じた。言ってしまった、と思った。カナちゃんは頬にゆっくり手を当てて、何かを考え込む。思ってもないのに疲れてて——なんていう言い訳も、こうなっては出てきようがない。カナちゃんは俯いたまま、低いところに視線を置いている。ただ時折私を目で捉えては、鯖目になったり片眉を上げたりもする。
「怒った」
「ごめん」
その場しのぎのごめんだった。カナちゃんは深いため息をついてから、トイレとだけ言い捨てて身を翻す。それは一瞬のようにも思えたし、そうでないようにも思えた。私も私の脳内もフリーズしたまま、その場に置いてけぼりになる。
そうして私は、カナちゃんが見えなくなってからようやく、彼女の荷物を一つも預かれなかったことを、後悔し始めた。
「骨格ストレート」って、脳筋系格闘キャラの必殺技っぽい
「骨格ウェーブ」は魔法属性っぽいし
「骨格ナチュラル」はほんわかしてそう
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