見出し画像

#建築をスキになった話 生い立ち編

こんにちは、久米 岬です。
私が建築をスキになったきっかけを書いてみました。
書いていたら私の生い立ちのことになってしまいましたが(汗)
良ければ読んでみてください。

私が建築をスキになった話

私は3歳のときに病気で父親を亡くして、母親がひとりで姉とともに育ててくれました。
とても身体が弱く(腎臓が悪く、時々入院もしていました)心配をたくさんかける子供でした。
ただ母親がとても大切に育ててくれて幸せな家庭だったと思います。

小学生時代はよくいたずらをする子供で、通知表のコメント欄には必ず『協調性をもっと持ちましょう』と書かれていました。
子供ながら、どうして協調性を持たないと駄目なんだろう、と疑問に思っていたものです。(今も変わらずわかりませんが…笑)
秘密基地をつくったり、友達と家の布団でテントをつくり懐中電灯を灯けてその中でお菓子を食べたり、そんな遊びが大好きでした。
今思えば、おそらくこれが建築の原体験だったと思います。
卒業文集に書いた将来の夢は『工場長』です。
ものをつくることが好きだったので、ものづくりのトップになりたいと思い、ものづくりの偉い人…偉い人…そうだ、工場長だ!と思い、書きました(笑)

中学生のとき、TBSの『世界遺産』という番組に出会いました。
確か当時は情熱大陸の後にやっていて、私は情熱大陸より世界遺産の方に夢中になり、本当にテレビにかじりつくように見ていました。
お小遣いで番組のサウンドトラックも買って聴いていたほどです。
イタリアのフィレンツェの回が放送されたときは、あまりの美しさの衝撃に椅子から崩れ落ちた記憶が残っています。
それと同時に、私達の街はなぜこんなにも美しくないのだろう、と疑問に思いました。
全く意識していませんでしたが、建築をスキになったのはこのときかもしれないです。

長くなったので今回はこのへんで。
この続きはそのうち書きます。
読んでくださった方、ありがとうございます。

この記事はいつも興味深く記事を読ませていただいてる、建築ライターのロンロ・ボナペティさんが企画された
『#建築をスキになった話』
に乗っからせていただいて書いたものです。

きっかけをつくってくださり、ありがとうございます。
いざ書いてみると色々と思い出して面白いものですね。

私は久米岬建築設計事務所(個人の設計事務所)とジーマーミーアーキという3人組の建築家ユニットの2つを拠点として活動しています。個人の方は現在ホームページを作成中です。ジーマーミーアーキはプロフィールにリンクがありますのでよければ覗いてみてください。

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,655件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?