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「地域に編集者は必要」か?

どんな真理をついた名言であっても、腑に落ちないと声に出せない。

言葉の意味は頭で理解できたとしても、その真意が腹落ちしていなければ使わない。使えない。

たとえば。

高校時代、演劇部に所属していたのだけれど、そこはいわゆる業界用語をたくさん使う部活だった。たぶん演劇部や部活動だけではなくて、それぞれの世界に「我々しか通じない言葉」というものがあるのだろうけれども。

その「我々しか通じない言葉」をこなれた感じで使うのが、なんだかわかったふりをしているようで、どうにも小っ恥ずかしかった。

そしていまも、やっぱり小っ恥ずかしい。

演劇に関しては専門用語の類だが、どんなことをしていても「その世界で言いはやされている台詞や言葉」「業界の人だからこそ通じる謳い文句」というのは結構ある。

ネットのスラングや流行語なんてのも、その一種だと思う。

今のわたしがフィールドにしている世界で、よく言われている言葉に「地域に編集者は必要」という台詞がある(ここで言う“地域”とはローカルとか日本の地方という意味)。

編集者という仕事は、取材であちこち飛び回ったりデスクにかじりつきながら新聞や雑誌の紙面を作ったりするイメージがいまだに強いかもしれないけれど、ここ最近はもっともっと広義な意味で用いられるようになったと感じる。

編集者とは、ある時は演出家、またある時は翻訳家、ある時は黒子、またある時は名もなき何でも屋──。

社会人4年目に突入して思うのは、ひとえに編集者と言っても、その役割は、誰とどこでどんな仕事をするかで変幻自在だということ。

わたしも、メディア業界の端くれとしてジタバタしながらずっと考えていた。

「地域に編集者が必要」って、本当のところどういう意味なんだろう、と。

「地域の見えない魅力を掘り起こす」というのは、メディアの役割としてよく言われることだと思う。

誰も知らない名店を取材する。
地元の人しか知らない絶景ポイントを取り上げる。
キャラクター性の強い誰かに光を当てる──。

もちろんそれらも編集者の手にかかればおもしろい企画として対象を“編集”し、切り取ることができるだろう。

でも「見えない魅力を掘り起こす」というのは、どうやらそういうことだけじゃないようだ、ということを、最近よく思う。

「見えない魅力を掘り起こす」という作業は、取材をして記事を書く、ということに加えて「地域が持つ、言葉にならない雰囲気や風土に、言葉を与えて、仕組みにする」ということも、あるのでは、ないかしら。

「言葉を与える」ところまでなら、その地域で暮らす編集者がいなくとも敏腕な編集者やメディアならすぐに嗅ぎ取り言語化できる。

だから、ローカルをメインコンテンツにしているメディアはたくさんあるけれど、秀でている媒体はどれも読み物としてとてもおもしろい。

けれど、魅力的なコンテンツの土台となっている地域の風土そのものを、リアルタイムで育てていくのは、外部から来たメディアではなく、その地で暮らす人の手によるところが大きい。

少なくとも、地元の人がその風土を「大切にしよう」と思ったり「我が地元にはこんな魅力がある」と気づいたりしないと、いつか埋もれて消えてしまうと思う。

わたしの足りない頭で考えた結果「風土を“編集”するということは、その風土が消えてしまわないように、地域に根ざした仕組みにする」ということが一つの解で。

メディアとして、地域に眠るコンテンツのおもしろさを局所的に伝えていくことは地域の外にいる人でもできるけれど、それは文化の一部を“抽出”する作業。

一方、地域に根ざした編集者に求められるのは、一過性の情報発信ではなく、その伝えた情報の背景にある地域の風土を、文化として言葉を与え、“浸透”させること、だと思う。

“浸透”させるための方法の一つが「仕組みにすること」なのかな、と。

風土とは、生活文化のうち、ほとんどが言葉にされていない、においとか気分みたいなものだ。

その気分を仕組みという理解できるカタチに紡ぎなおすことで、地域としてのアイデンティティの輪郭が強調される。

仕組みにすると、風土が「なんとなく共有されているもの」から「この地域を象徴する文化」になる。

情報発信の強化だけじゃなく、地域が持つ「なんとなーくこんな雰囲気」と共有していることを、多くの人が一発で理解できる形に落とし込むこと──それをできる役割が、“編集者”と呼ばれているだけなのかもしれない。

「地域に編集者が必要」という台詞、今までは「なぜ必要なのか」をうまく説明できなくて、なかなか腑に落ちなくて、ずっとずっと、まごまごモジモジしていた。

わたし、編集者として仕事をしているのに、「地域に編集者が必要」って、よく意味わかってない。恥ずかしい。

と、思っていた。

納得できる解を見つけて感じたのは、肩書きや職種は、あんまり関係ないのかもしれないな、ということ。

でも人と環境によって変幻自在に役割が変わる“編集者”だからこそ、できることや、やりやすいことってあるな、とも思う(カタカナ用語じゃないから老若男女になんとなく立場を理解してもらいやすい、とか)。

それから“地域に”という部分も、実はそんなに重要ではないのかもな、とらわれる必要はないのかもな、とも思う。

“地域”というのは“言葉にならずともなんとなく共有されている豊かな風土や雰囲気がただよっている場所や環境”という言い方を、今の時代に合わせて分かりやすいように具体例を引き合いに出しているだけなのかも、しれない。

そんな思考は尽きませんが、今やっと、小っ恥ずかしさを脱ぎ捨てて「地域に編集者、必要なんだぜ」と、ちゃんと声に出して言えそうだ。

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