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「スーパースター」に会える日は

椎名林檎がボーカルをつとめていたバンド「東京事変」の楽曲の一つに「スーパースター」という曲がある。

ファンのあいだではよく知られているけれど、「スーパースター」の歌詞は、椎名林檎が野球選手のイチローを想って書いたものだ。

わたしが東京事変、ならびに椎名林檎沼に10000000%落ちてしまったのも、この「スーパースター」がきっかけだった。

ちなみに、アルバム「大人」に入っている「スーパースター」も好きだけど、ライブ「Dynamite out」で演奏されたアレンジバージョンの「スーパースター」は、もっと、好き。

修羅の道を、ひとり、誰の意思も手も借りずに歩く「スーパースター」。

あこがれという言葉は、正直、あんまり好きじゃない。

でも、「あの人と肩を並べて歩けるようになりたい」と思う人はいる。

それを世間では「あこがれ」と呼ぶのかもしれないけれど。

そんな「スーパースター」には、焦がれた気持ちのまま無邪気に会いたいとは言えないし、会いに行ってはいけないという、なんとなくの自分ルールがある。

会いに行ってはいけないというより、会いに行こうとは思わない、思えない。

いつか、時が、わたしとスーパースターを、引き合わせてくれるまで。

自然に、運命が交差するまで。

もしも逢えたとして喜べないよ
か弱い今日の私では
これでは未だ厭だ
- 「スーパースター」より 作詞:椎名林檎 作曲:亀田誠治 

修羅の道から見える景色は、きっと誰とも分かち合えない。

けれど、それぞれの道が時折どこかで交じり合って、目配せする瞬間がある。

その視座の高さに、わたしは幾つになったら追いつけるかな。

その孤独の重さを抱えられるくらいの懐の深さを、わたしはいつ持てるかな。

「スーパースター」に会える日は、修羅の道を歩きはじめて何年後くらいかな。

恋や情とは違うけれど、強烈な光で射抜いてくる。

油断をすれば、くじかれそうなほどの強さと速さで。

まぶしすぎて姿は見えないけれど、でもがむしゃらな息遣いだけはなんとなくわたしの耳にも届くくらいの距離感で、いつも命を削って先をゆく。

その削った命が消えてしまう前に、どうか追いつきます様に。

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