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「住む場所」「好きな街」は、1つでなくてもいい。

「好きな場所」って聞くと、一番にどんな場所を思い浮かべるだろうか。

例えば、生まれ育った街。見渡す限りの田んぼと山。
大好きな京都。鴨川で黄昏れるたくさんの人の姿。
旅行で行った四国。輝く真っ青な海と空。
もう少し視界を広げて、世界へ。
モロッコ。静かでさらっさらな砂漠。星空。
カンボジア。どこまでも続くオレンジのでこぼこ道路。
フランス。コルマールのおもちゃみたいな可愛い街並み。
クロアチア。どれだけ歩いても迷路のように繋がる路地。

一番、と言ったけれど、好きな場所には「一番」がない。どこも大好きで、どこも大切で、どこにでも住んでみたいと思ってしまう。

そして、その土地の名前を思い浮かべると、実際に自分で見て、感じた光景が頭の中を駆け巡る。例えば、上に書いたような感じで。

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例えば、「魔女の宅急便」の舞台とも言われる、オレンジ屋根の街並みが魅力の「ドブロブニク」も、私が頭で思い浮かべるのは、こんな入り組んだ路地だ。

住む場所も好きな場所も暮らしたい場所も、いくつあってもいい。世界中に「暮らしたことのある街」を増やしたい。私は「一番住みたい街」は決められないから、「住みたい街を巡る」という多拠点生活をしている。

住みたい場所を変える、好きな場所に住む、旅しながら働く。柔軟にしなやかに転々としていく、まるで風になったかのような軽やかさで、私は住む場所を変えていきたいと思っている。今日はそんなお話。

「宿泊」ではなく、その土地で「暮らす」

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思えば、私は大学生の頃から「旅行」ではなく「暮らす」をなんとなく意識していたかも知れない。

パックツアーよりも、移動手段・宿・行く場所をすべて自分で決める旅。
2泊3日よりも、2週間の比較的長期での旅。
ホテルよりも、ゲストハウスやホステル(お金がなかったのもある)。
有名な観光地を巡るよりも、カフェや食堂にふらっと入ったり、ひたすら歩いたりすることが好き。

ひとりで旅をするのが好きだったし、それだと必然的にホテルよりゲストハウスの方がさみしくない。大きなレストランは入りづらいから、カフェやさっと食事を済ませられる食堂に行くことが多かった。パックツアーは友達や家族で参加している人が多く、自分で好きなようにカスタマイズして旅程を組む方が楽しかった。そして、ひたすら街を歩いた。

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当時は「暮らすように旅する」ことをまったく意識はしていなかったけれど、なんとなく「私の心地よさ」で動いていたのだと思う。

長期間同じゲストハウスに泊まっていれば、現地のスタッフの人が声をかけてくれるようになる。観光ブックに載っていないような現地の人おすすめの場所を教えてもらえる。長期でいると「観光しなきゃ」という義務感(?)がなくなるから、極端な話ビールを飲みながら本を読んでいるだけで「楽しいな」と思えるようになる。

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そういう体験や心の余裕、小さな出来事すら幸せだと思えてしまうこと。すべてひっくるめて「その土地での思い出」ができあがる。そして、「いつかは住んでみたいな」という感覚を味わう。その積み重ねで、私は「住みたい場所」「好きな場所」を増やしてきたのだ。

なにも「移住」だけが「好きな場所に住む」唯一の選択肢ではないと思う。「なんか好きかも」「この街にいるのは心地いいな」という感覚的なもので、旅の延長としての暮らしを体感してみるのもいいな、と感じる。

「この街は心地いい」という感覚

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たぶん、それぞれに「心地いいな」と感じる場所があると思う。上手く言葉には表現できないけれど、「あ、なんか合う」「この空気が好きだよねぇ」と感じること。私自身、「好きな街」を並べてみても、バラバラだし定義立てて話すことはできない。田舎ののんびりとした空気が好きだ、と思えば、都会のビルの合間に見える夕日に「いいな」と思うこともある。

強いて言うならば私にとっての「この街は心地いい」という感覚は、「その街を退屈せずに歩き回れるか」で判断できるかもしれない。

歩くのは、面白い。(あんまりジロジロと見てはいけないと思いながらも)家の庭や植えている花を眺めて「ここではどんな人が暮らしているんだろう」と妄想する。夕方に散歩に出れば、包丁の音がリズム良く聞こえてきたり、夕食のカレーの匂いが漂ってきたりする。

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家の前で立ち話をする女性。パリッとしたスーツを着て駅へ向かうサラリーマン。かわいい犬を連れてゆっくりのんびり歩いているおじいさん。

そういう日常を感じれば感じるほど、「あ、この場所好きかも」「ちょっと自分には合わないな」となんとなく気づくことがある。

もしかしたら、身の回りの環境や価値観・ライフステージによって、この感覚自体が変わってしまうことがあると思う。そんな時は、柔軟に感覚自体が変わったことを認めて、住む場所も変えればいいと思う。

「暮らしたい街を探す」ための多拠点生活

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最終的に、「暮らしたい街がたくさんありすぎて、選べない。だったら少しずつ暮らしてみたい街で暮らして、そこから本当に暮らしたい街を探していけばいいんだ!!!」という優柔不断というか、決めきれない、というか。なんとも不思議な動機で、多拠点生活を始めた。

しばらくは多拠点生活を続けて、「好きな場所」「暮らしてみたい街」をホッピングして。その中で地域の方々とお話ししたり、カフェやお店を巡ったりして。「心地いいな」という感覚を頼りに動いていく。

そして、その先に「もっと腰を据えて暮らしてみたい」と思える場所を見つけたい。2年とか3年とか、もしかしたら10年とか。未来のことは分からないけれど、アパートを借りて、好きな場所に移住したい。

「住む場所」はわりとすべての出来事に繋がっていく気がする。関わる人も仕事も、よく行くスーパーも。住む場所があるからこそ、出会いも幸せも人生も、そこから蔦のようにすべてが広がっていくのだと思う。

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だからこそ、「住む場所」って大切だ。好きな場所に住めば、その好きな場所に住んでいる他の人たちを、もっと大切にできるかもしれない。好きな場所に住むからこそ、そこにある昔ながらのお店とか、ずっと昔から続いている祭りとか、そんなものを愛し守りたいという優しい気持ちが出てくるかもしれない。

住む場所は「自分の心地よい」という感覚的なものに頼りながらじっくりと決めていきたい。そして、そんな柔軟でゆるい暮らし方が社会でも広がっていけばいいな、と感じる。


住む場所を選ぶ。働き方を選ぶ。生き方を選ぶ。人生や生活に関わるすべての選択を、「なんか好きかも」「心地いい」で柔軟にできるように。

だからこそ、人生に「住む場所」や「好きな街」はたくさんあってもいい。1つに絞れなくたっていい。

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