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京都暮らし、桜を探し求める旅 Vol.4

京都を愛してやまない京都暮らしの私が、京都の美しい桜を探し求める旅も第4弾。

今回は、友だちと花見をしたときのことを綴っていきます◎

桜を「観る」だけでなく、桜の景色の中で「過ごす」、この違いによる心地よさを存分に受け取った1日でした。

桜と、お酒と、おしゃべりを

友だちと、そもそも夜に飲みに行こうという話をしていた。けれど、せっかくのぽかぽか陽気の日、「もし空いているなら、昼から花見しない?」と誘ってみた。そしたら、「花見をするなら、お酒飲みたくない?」となり、昼からお酒をのみながら、花見をすることに。

待ち合わせをして、近くのハンバーガー屋さんで、絶対に食べにくいであろう大きなハンバーガーとポテトを買い、酒屋さんでビール缶を購入。シートを敷く場所を求めてふらふらと鴨川を歩く。

鴨川に向かったときにはすでに13時を過ぎていたので、桜の木のまわりには同じように花見をしている先客がたくさんいた。なんとか、桜が見える場所を確保し、シートを敷き、ハンバーガーとお酒を並べて、乾杯。

こじゃれた居酒屋で向き合って話すよりも、花見をしながらの方が、リラックスして話せた気がする。足をシートに預け、たまに桜の様子を見て感想を伝え合いながら、「そういえばさ」とまったく違うことを話し始める。

マシンガンのような話がひと段落ついたら、寝転がって、目を細めながら、桜のある景色を眺める。お酒が足りないと、甘いものが食べたいと思えば、近くのスーパーで買い足し、また「そういえばさ」から、話が膨らむ。

なんて、幸福な時間だろうか。身の回りにはすでに、自分が満たされるものが揃っている、という感覚。満ち足りている、という感情。桜の木の下で、時間を忘れて他愛のない話をする。ラストオーダーも時間制限もない、限りなく自由な空間で、しかも、満開の桜を眺めながら、じっくりと話をする。こんな自由と豊かさがあってもいいんだろうか。

気づいたら、空が夕暮れに染まっていた。比ゆ的な表現で「時間を忘れて」ということはあるけれど、実際に時計を見ずに「時間を忘れて」時間を過ごすことは、そうそうあることじゃない。まさに、時間を気にせず、おもむくままに過ごした数時間だった。

少しずつ深まるオレンジ色。桜の花びらにオレンジ色が透けて、とてもきれい。青空の下で見る桜もきれいだけど、1日の終わりがけの、どこか寂しい雰囲気を纏った桜の景色も、とてもとても、きれいだった。

そのあとも、すっかり暗くなった鴨川を歩きながら、19時くらいまで話していた。なんと、6時間も、鴨川にいたみたい。鴨川が大好きで日常的に鴨川を散歩する私でさえ、最長記録だったかもしれない。


桜を「観る」ことと、桜の景色の中で「過ごす」こと。似ているようで絶妙に違うこの2つの心地よさをじっくりと味わえたのが、今年の春の桜を探し求める旅の収穫だったかもしれない。桜を観て美しいと思うこと、桜のある景色の中で過ごして豊かだと思うこと。

今回は、花見をすることで「桜を観て美しいと思いながら過ごす」という時間の豊かさを感じられました。そんなささやかなご褒美のような時間を日々に散りばめながら、残りの春も満喫したいな。

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