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日本最大の難読哲学井筒俊彦「意識の形而上学」を解説する 第0章

人類のポテンシャルを叡智するという、Human Potensial lab のコミュニティで、井筒俊彦氏の読書会に参加している。
昔から深く考えるのが好き、そして人と話すのが好き。
時々、哲学カフェとかに顔を出してはいたが、そこは専門的な場ではなかったので居心地が良かった。
なので、学生時代の哲学の授業はあったものの、私の記憶の中での哲学とは「アリストテレスというのはひどい男でしてね・・・」と話す大学教授の冴えない話しか知識はない。
参加者は、東大受験の問題集で井筒哲学にハマった和樹くんを筆頭に、そうそうたるメンバーが揃っている。
そんな哲学には、全く知識のない私が怪訝そうな顔をしながらも、最終的には、何かを自分の中でつかみ取って終える不思議な読書会。
マインドフルネスから、少しだけ仏教思想をかじった私が、メンバーの僧侶見習いのまつよしさんの解説にツッコミを入れるという役どころを得たので、第0回の様子を記事にしてみようと思う。(ズームなのだがアーカイブがない。笑)

まず最初に自己紹介

広美(ひ):「まつよしさんは僧侶見習いということなのですが、お坊さんなのですか?」

まつよし(ま):「今のお坊さんというのは、大半が世襲制度で、お坊さんのお家に生まれるとね、10歳で出家するの。で、その出家というのは、師匠やお父さんや老師と言われる人に、仏教の戒律を守ることを宣言するの。
それで、修行道場に通って、ようやく布教したり、弟子をとったりするんだよね。
それも禅宗では特に、経木や本だけではだめと言われてて、先生に教わることが大事で、僕の場合は60歳で出家を宣言したから、まだまだ僧侶見習いというわけ。」

(ここのありがたい仏教の歴史の話があったのだけど、今の日本語は聖徳太子時代に、中国からの仏教伝来とともに普及した。鎌倉時代以前は上流階級やエリートのもので、いろんな変遷を経て、様々な宗教が発展し庶民に広がったという程度に留めておこう。受験生は必聴レベル)

出家に至るまで


ひ:「どうしてまた出家の道に・・・?」

ま:「僕はもともと、大学卒業後、証券会社で働いていて、金融市場って出入りが激しくて、激しく疲弊してしまって。しかも当時付き合っていた彼女にこっぴどい振られ方をしてしまって、鬱になってしまった・・・
薬も飲みながら、結婚もして生活もしていたんだけど、ある時、僕が尊敬するカリスマディーラーがいてね、彼が永平寺に行って座禅をしているのを知ったのよ。座禅したら、儲かるんじゃないかなって・・・」

ひ:「笑」

ま:「で、永平寺に行ったら、やっぱかっこいいの。それから僕すっかり禅にハマってしまって、禅の講義や禅問答の講座に通うようになったのね。そうこうして半年くらいしたら、夜は眠れるようになってるし、鬱が治ってた。笑」

ひ:「私も瞑想してたら、喉のつまりが取れて薬を飲まなくて良くなりましたよ」

ま:「そういうことだよね。僕の場合、そこからお坊さん探訪の旅が始まるの。僕が影響を受けた人は何人かいるんだけども、ひとりは藤田一照さん。もうひとりは井上貫道老師。この二人は対照的で、藤田一照さんは、同じ話でもコトバの言い回しを変える。井上貫道老師は、同じことしか言わない。でもね、毎回同じ言葉を聞いてもその時々でいろんな気付きがあるのよ。
コトバの話がでてきたから、そろそろ、井筒の『意識の形而上学』の話にいってみましょう」
ひ:「きたーーー」

井筒俊彦について


Gmk35298 - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114216107による

井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年(大正3年)5月4日 - 1993年(平成5年)1月7日)は、日本の言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。文学博士、エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている[1]。

アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語等の30以上の言語を流暢に操り、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行し、ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、イスラムスーフィズム、ヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に禅)、および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収め、禅、密教、ヒンドゥー教、道教、儒教、ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。

Wikipediaより

井筒俊彦 最後の本 意識の形而上学『大乗起信論』の哲学を解説する

ま:「さてと広美ちゃん、まず最初にでてくる真如というコトバなんだけど・・・」
ひ:「はいっ!(身構える私)」

ま:「真如って「あるがまま」という意味なんけど、このあるがままって2つに分かれるの」
ひ:「?」
ま:「現在の科学って答えは一つしかないって設定じゃない?たとえば、2+3は5とか」
ひ:「はい」
ま:「答えは一つしかないっていうのを積み重ねて、人は月まで行っちゃったよね。ちょっとでも計算や軌道を間違えると、着いたのは木星かもしれないし・・・」
ひ:「たしかに」
ま:「でも、本当に2+3は5になるのかな?大きさの違うりんごがあるとして、それらを一緒に数えることは、すでに「決められたこと」があってのことじゃない?答えはひとつしかない。そのあったから、西洋の科学は一気に飛躍した。
でも仏教や東洋思想、神宗と仏教が混在する日本では、西洋科学の一方向と違ってもっと複雑量子的な粒というか、日本人はもっと多面的なものの捉え方をするよね。この大乗起信論というのは、その視点を持っていれば必ず読めるのよ。」

ひ:「あーなんとなくそれわかります。井筒の本は、難しいけれども読書会の答えはひとつではないというか・・・参加した人それぞれが、いろんな立場で自由に発言をして、咀嚼して何かを持ち帰っているというか・・・答えは一つではない。まさに読書会の流れでもあり、井筒先生のやりたかったことでもありますよね。たくさんの言語と文化の違う思想からたどり着く答えはひとつだったみたいな・・・」

ま:「仏教ってね、身体的事実に沿って生きていこうってことなんだよ。嘘や妄想に従って生きると問題が起きる。その妄想や嘘を本当のように作り出して生きている人もいるわけだし・・・これを七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)といいます。

「諸悪莫作,衆善奉行,自浄其意,是諸仏教 (あらゆる悪をなさず,もろもろの善を実行し,みずからその心を清らかにすること,これこそ諸仏の教えである) 」という意味の詩

悪いことはしちゃいかん!って幼稚園児でもわかる。」


どうして「哲学」するのか?

ま:「哲学といえばギリシャなんだけど・・・昔のギリシャは、論破できる人が偉いって風潮があってね、ソクラテスなんて街を歩いていて、色んな人を論破しまっくっていた。
哲学ってありのままの探求なのよ。本当は?っていうのを追求する。
哲学はコトバにこだわっているんだけど、カントはコトバの限界っていうのを感じてね。
その点、宗教はコトバで伝わらなくても伝わるっていうのが大きな違い。」

ひ:「そこが最初に話されていた、禅が本や経本だけじゃだめってところなのですね」

(以下、まだ消化不良に付き第1回動画を参照されてください)

難読書を読むコツ


ま:「さて、こんな感じで次回から録画していこうと思うんだけど・・・」

ひ:「今日のも録画しとけばよかったですね・・・(涙)まつよしさん、今後、井筒の樹海に足を踏み入れるツワモノに一言下さい・・・」

ま:「最大の難読書と言われる西田幾太郎とか井筒を読むにはね、全部同じだけれど、全部違うっていうことを知っておくこと。これを心理学とかではメタ認知って言うと思うけども、言語の枠にとらわれないことかな。今ここの私にフォーカスして、やることはひとつ!
Open your mind!心を開くのみ!
仏教に薫習(くんじゅう)というコトバがあるけれど、お香が少しづつ服に染み付いていくように、少しづつわかるようになっていく」

ひ:「まだ3回しか読書会に参加してない私ですけど、それは体得していっている感じがします!」

ま:「よし!じゃあ次は明後日にしようか?」

ひ:「(涙)」

広美ちゃんは、変態さんと出会いたいという願望を叶えつつも、まつよしさんのあふれる知識と言語の波に溺れながら、ついていけるのか?
乞うご期待です。。。。
本編は、ヒューマンポテンシャルラボ、ウィズダムコモン内『井筒哲学の深淵を拓く旅」でご覧になれます。


これからもお役に立てる記事を書いていきます。