頚椎症性脊髄症で左麻痺になったわたしが再発を克服したわけ

こんにちは。misaです。

今日はちょっとぎょっとするタイトルで始めます。

突然ですがきっと慢性の痛みに諦めをもっている方は多いですよね。病院では手術か痛みどめの提案で、繰り返してしまうとそのままにしてしまうことも少なくないのではないでしょうか。

でも 痛みをなくす 少なくとも不快なレベルではなくす方法は見つかるかもしれません。

そう考える理由を わたしの過去の経験と 学んでいるfascia という概念の理解から みなさんに伝えます。
今回は、まずそれらに出会ったわたしの経験までを書きました。

当時の私

今写真を探してまだ4年しか経ってなかったことに気づきましたが…!(もっと経っていると思ってた…)当時、私は名前を付けると頚椎症性脊髄症や胸郭出口症候群の併発の状態で左上下肢の筋力がすごく落ちて(可動域があっても自分で全範囲を動かせないレベル_専門的な評価の筋力テストで2のレベル)かなり強い痛みがあって、歩くこともままならない状態でした。

でも写真上ではそれほど重症ではなく医師もこの所見でこれだけの症状が出ていることに少し疑問があるようでした。ただ首を動かすと痛みが出る位置とそうでない位置があるので、向きによって神経を圧迫、傷つけているのだろうということで首をなるべく動かさないようにすることになりました。

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(それより歪んだストレートネックが気になる!)

その日から頸椎カラーをして首を動かさないようにする生活が始まりました。

歩くときは右手の反動を使って勢いをつけて右足を前に出す。左足は引きずりながらなんとか右足の近くに持ってきて前に進むような常に右先行の歩き方をしていて左手はおろしているか身体にぎゅっと近づけて曲げている(無意識)

リハビリ職なら想像できる片麻痺の患者さんが取る典型的な姿勢(ウェルニッケ肢位)に自分が自然となっていることに気づく日々でした。

いろんなものは片手でできる範囲でしていて、髪を洗うことや洋服を脱ぐこと そして寝ているときの姿勢で痛みが出ないように管理することがとても難しかったのを覚えています。

車の運転も駐車などでバックをしたり車線変更で少し振り返るときの首のねじりの動きができず、通勤は送り迎えをしてもらっていました。

このまま一生自分の身体を大きく動かすことはできず、走ったり山登りをしたりスクーバダイビングも…ヨガもできず、長距離移動は車いすや送迎をしてもらうことになると 好きな旅行も行きにくくなるなあなんて考えると そうならないためにできることだったら何でもできる気がしました。

逆境で火が付くタイプ

…のようで。

この症状が起きたのは突然で、その日までは仕事で不安定な場所で同一姿勢をとり続けることが続いていたので肩回りが凝っているなあと思っていて前日の夜に首を緩めるポジションをとって寝ていました。すると、朝は少し緩みすぎたような不安定な軽い寝違えのような感じでしたが、特別な感じもせず、いつも通り仕事をしていて、仕事柄ご利用者様をお姫様抱っこで車いすへ移動してもらう介助をしたときに、突然激痛に襲われ、、、。しっかりとご利用者様をベッドにお戻ししたあと(←我ながらあの激痛でよくできたなあと火事場のバカ力に感謝)、うずくまり病院へ直行しました。

心の準備ができていなくてあんまり実感がなかったことも幸いしたのか完治させるための燃えるような意思が湧いて、次の日から頸椎カラーをしながらも仕事を続け、隙間時間はすべて自分のケアに費やしていました。

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そのときは自分がリハビリの仕事をしていて本当によかったなあと思いました。気づくと自分の痛みや運動を冷静に(むしろ興味深くこんな体感なんだと驚きながら)観察して、セラピーのプログラムをたてる自分がいました。そして、痛みがなくなるだけでなく再発しない状態までもっていくには、週に何度かセラピーに通うだけでは、絶対に足りないと感じていました。そして医師からも、リハビリは自分でするようにと言われました(笑)。私は整形が専門ではないのですが、自分の身体をイメージングしながら、毎日何度も必要なリラクゼーションやエクササイズをしてフィードバックして、よりよい方法に修正して継続することを日々常々していることで見えてきたことがあったのです。

これができたことにはジムやホットヨガのクラスでヨガ的な身体の動かし方のエッセンスを経験していたことも大きく影響していると思います。(当時はまだ本格的にヨガを学び始める前でした。)自分の身体に繊細に意識を向けて小さな動きを丁寧にすることで、知覚が際立ちより細かなフィードバックができる。そして運動も繊細になる。痛くない範囲で心地よく緩んでいく動きを丁寧に積み重ねることは絶対に自分を傷つけませんでした。それを自分の中で理解していくときに知識がガイドしてくれる。

体感と知識が結びつく学び深い時間でした。

自然とヨガ、そしてfasciaを学び深めていく道へ

毎日こまめに丁寧に動くことが確実に身体を変化させると気づき、「習慣は人をつくる」の欠片を感じた日々でした。

特別なことをたまにするのではなく、完璧じゃなくても意識を向け丁寧に日々こまめに生活に取り込んでいくことが自分の力となると気づきました。

私は自分の身体を通して実験し、体感と知識をつなげる経験ができて、その中でどちらかに偏りすぎてもフィードバックが的を得なくなることを感じました。

知識-わたしがここでいう知識は、専門的な知識に限らず、自分の中に身体をイメージングできるための素材のことです。ボディイメージ ボディシェマなどとも呼びかえられると思います。これは適切に身体を知覚する能力があれば、自分の中で作り上げられるかもしれません。ですが現代人は、身体への意識が低く、自分の身体の感覚を現実の通りに感じられない人が多いと思います。私もそれにもれずその頃は圧倒的に自分の身体への意識が低く、それを補うために解剖学や運動学を用いてその二次元の情報を、体感を使って立体的に頭で描けるようなトレーニングをしていたように思います。

ボディイメージ ボディシェマ ボディコンセプト アウェアネス…、これは難しい勉強をしなくても 良き指導者のもとで自分の身体のイメージを持ちながら動いていくことと 少しの身体の構造の理解でもてると今は理解しています。

そんな経験を経て今も学び続けています

ヨガはアサナからマインドフルネス、そしてメディテーションと繋がり学び、今は心の置きどころやすべての行為にむかう心の姿勢が、自分の発する全てのもとになっていると気づき、心を手向ける練習としてお祈り(言葉や音、そこに立ち現れる前の存在も含め)の重要さに気づきました。ここについては、ここでは説明しきれないので、また改めて書くことにします。

そして、私たちの身体の多くは水分でできていることを、fasciaの学びからもまた理解して、見た目には確固たる固体に見える身体も成分としては流動的な存在であることに、ロマンというか…興味を引き付けられました。わたしたちに響いて(理解したり発見したり気づいたりすることを響くと表現する…!)変化していくことを理解する切り口でもあるのかなあとfasciaについて専門的に学んでいこうと思っています。

fascia ってなに?ということについては 後日の勉強後のシェアで説明をしたいと思ってます。

わたしがこの経験の上にお伝え出来そうなことをシェアします

今日はこれから整形内科学会+第一回fascia会議に参加してお勉強してきます。

専門的な知識をもとに(わたしが受け取れた範囲のことを素材に)、必要な人にどんな側面が伝えられたら良いのか。

おそらくそのすべての知識が必要な人は限られていますが、その一部に触れて、何かが化学反応を起こすように気づきが得られるということはあると思います。

そんな誰かに役立つ種になるように お伝えできるように意識をもって参加してきます。
自分の学びを深めるためにも伝える目的をもって聞いてくるのだと言い聞かせているところもあります。

後日、知識を整理してシェアをする予定です。

ご興味ある方はチェックして頂けたらと思います。

それでは、いってきます。

最後までお読みいただいてありがとうございました。

心から 感謝しています。

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