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バースデーカラーの何が楽しくてインスタにあげるのか。20代の視点から考えてみた


「バースデーカラー」なるものが流行っているらしい。インスタのストーリーに、初めて聞く色の画面が次々と流れてくる。私もよく知らないが、「バースデーカラー」とGoogle検索したら、366日分の色が並んでいるシンプルなページがいくつか出てきた。色の名前と、「特徴と色言葉」なるものが書かれていて、誕生日占いの一種と言える。

Michele Bernhardtという人が書いたColorstrologyが元になっているらしい。

https://www.amazon.co.jp/Colorstrology-What-Birthday-Color-about/dp/1594746915


検索して、誕生日を選択して、スクショする。そのスリーステップで一つのコンテンツができあがる。手軽だがら、広がるのは理解できるが、ここまで流行るのは興味深い。三連休の中日、インスタに自分の誕生日と、根拠のない色診断結果(とここでは呼ぶことにする)をあげている私の友人たち。みな同じような時間に同じような行動を取っていると思うと、奇妙だ。
かくいう私も、インスタにこそあげていないが、自分と夫の「色」を調べて楽しんでしまった。

私のバースデーカラーは、かなり薄めた黄色と言えばよいだろうか、これまで聞いたことのない名前の色だった。添えられた性格の説明も割と気に入った。

たいてい人間というのは、自分のことが大好きで、自分のことを話題にしたくて、自分のことを誰かに知ってほしいと思っている。だけど、大人になればなるほど、「聞いて聞いて!」と無邪気に自分の話をできる場所や機会は減っていく。
このバースデーカラー祭り(とここでは呼ぶことにする)は、そんな「私のことを知ってほしい」という潜在的な願望をとても簡単に、さりげなく満たしてくれる。
20代も半ばになると、家庭を持ったり、責任ある仕事を任されたりして、急に子ども時代が遠く感じるようになる。結婚式なんかで昔の友人と再会して、学生時代を懐かしむことも少なくない。このバースデーカラーを見て思い出したのが脳内メーカーだ。1990年代生まれの人なら共感してくれるはず。名前をいれると、脳みその中に勝手にいろんな単語を並べた画像を出してくれる。何の根拠もないのに、自分や友人の名前を入れて盛り上がった。

バースデーカラーのほうは、Colorstrologyというものがあって、根拠がゼロと言うつもりはないが、しくみをよく知らないまま結果をみて楽しんでいる点では、脳内メーカーで盛り上がるのと大して変わらないと思う。

では、バースデーカラーは、占い的な楽しみ方しかないかというと、そうではないだろう。
366日に紐づけられている色のなかには、柑子(こうじ)色とか、勿忘草(わすれなぐさ)色といった日本の伝統色や、"Lilac hazey" とか "Malachite Green"など中二心をくすぐるような名前のものがあった。デザインやファッションとは縁遠い生活をしている私にとって、珍しい名前の色たちは眺めているだけでも楽しい。

https://www.colordic.org/colorsample/2203より

色の名前というのは、文化と切っても切れない関係にある。気になって調べてみると、日本の伝統色と呼ばれるものは、紹介サイトや色辞典の種類によってまちまちだけれど、460種類くらいあることがわかった。「四十八茶百鼠」といって、江戸時代には、庶民が茶・藍・鼠色を100以上に分類していたというのも驚きだ。色は実数値で表せるから、作ろうと思えばいくらでも作り出せるだろうが、それらに名前を付けるのは別の話だ。

https://www.kimonoichiba.com/media/column/125/


ちょうど読んでいた、村上陽一郎氏の「科学史・科学哲学入門 (講談社学術文庫)」のなかに、こんな表現があった。

われわれが見ている世界は、一つの選ばれた世界である -省略-
もっと他のように見え、もっと他のように感じられるかもしれない可能的多様体としての「世界」から、われわれに与えられた窓を通じて選定された「一つの世界」が得られている、ということをわれわれは忘れてはならない。

村上 陽一郎. 科学史・科学哲学入門. p105, 講談社学術文庫, 2021

色について語るなら、新しい色の名前を知るということは、一つの窓を開けることだと言えるだろう。

前後の話の流れを説明せずに、一部分だけ載せるのはよくないかもしれないが、インスタでバースデーカラーを知ったときにちょうどこの章を読んでいて、そのタイミングの良さに感動してしまったので、引用したい。

ダーク・ブルーは「青」の一部であっても、けっして「藍」ではない。つまり「ブルー」(青)から「パープル」(紫)に移り行く部分に、その両者から完全に独立した一つの色帯を認めるか認めないか、言い換えれば「藍」を一つの色として同定するか否か、もう一度言い換えればスペクトルのその部分を「藍」として見るか否かというのは、単にその視覚的刺激を受けるか否かの問題ではない。

村上 陽一郎. 科学史・科学哲学入門. p108, 講談社学術文庫, 2021

自分の誕生日と紐づけられた新しい色の名前を知って、私は黄色と白の間に独立した一つの色帯を認めることができるようになった。ちょっと大げさかもしれないけれど、黄色と白の間に「私の色」の世界が見えて、色の特徴という新しい次元まで楽しめるようになった。

色と特徴がどういうアルゴリズムで結びついているかとか、自分と同じ誕生日の人はどんなに性格が異なっていても同じ色になるとか、そんなことはきっとそこまで重要じゃない。新たに見えるようになった世界を自分と紐づけ、親しい友人と共有できることがシンプルに嬉しいのだ。

遅ればせながら、インスタを開いて私もバースデーカラー祭りに参加することにしよう。


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