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【眠れない夜に】CDの最後の曲が終わったときに思うこと

「…ジジ」という音の後の静寂を覚えているだろうか?

私は高校生くらいまでCDで音楽を聴いていた世代だ。カセットテープやMDもギリギリ触ったことがある。

YouTubeやSpotifyで音楽を無限に聞けるようになってからというもの、CDアルバムを再生することはなくなった。

CDアルバムだと、ランダム再生しない限り、製作者が並べた順に聞くことになる。その順番にも大抵は意図があるから、私は大人しく上から順に聞くようにしていて、曲順まで覚えていることが多かった。

曲順を覚えているから、後ろから三曲目くらいになるとソワソワし始める。私は、アルバムが終わったことを知らせる「ジジ」とか「ジリリ」という音を聞くのが嫌だった。音そのものというより、明確に、無慈悲に、でも少し申し訳なさそうに「終わり」を伝えられることが苦手だった。

一曲目を聞いているときから、必ず終わりが来ることはわかっている。最後の曲が流れ始めたときには、これがエンディングだと覚悟を決めている。それでも、すっと音が無くなり、「ジジ」っと機械音がなったそのあとに残る静寂に、私は毎回泣きそうになるのだ。

そんなに嫌ならランダム再生すればいいのにと思われるかもしれないが、それこそ、歳を取らないロボットが何の前触れもなく動きを止めるような不安と切なさがある。それに、定められた順番を壊すのは自然の道理に反するようでちょっとした罪悪感を覚える。

「時の流れに逆らわず、自然に老いていくようにアルバムを聴きたい」
中二病を拗らせていた私は、目の先に伸びる自らの人生と、視界の隅まで広がる世界に圧倒されていた。だから、空白を入れずにアルバムをリピート再生するなんて、死んだ人を理由なく生き返らせるような行為だと感じていてもおかしくはない。「ジジ」という音から漂う死の雰囲気に胸を締め付けられながら、自分の非力さを確認することで、変えられない世界に期待を持ちすぎないよう言い聞かせていた。

私のカジュアルで生活に染み込んだ死生観。CDを聞かなくなってから10年近く忘れ去られていた感覚だが、これを思い出させてくれたのは、夕暮れ、山に半分沈んだ太陽だった。
「これが今日の最後の曲だ。」
雲を貫く萱草色が透明になって新しい夜の紺に塗り変わる瞬間、「ジジ」という音がたしかに聞こえた。

夕暮れや闇夜がこの世の慰めだとすれば、とめどなく流れ続ける無制限の音楽には救いがないなあと思った。
聞いている人間の時間には制限がある。私たちは太陽を沈める方法を知らない。

終わりを感じさせないことも一つの慰めかもしれないけれど。

サムネイルには、本田しずまるさんのイラストを使わせていただきました。優しい線で描かれたCDを見たら、CDを使っていた頃の甘酸っぱい思い出がするすると蘇ります。

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