南蛮の食文化〜黄飯と浦上そぼろ〜
大分県臼杵市には、「黄飯(おうはん)」という郷土料理があります。くちなしの実のつけ汁で炊き上げたごはんで、文字通り、目にも晴れやかな黄色をしています。「黄飯」は、豆腐やごぼう、にんじん、エソ(白身魚)のミンチなどを炒め煮た「かやく」をかけていただく汁かけ飯で、一説にはスペインはバレンシア地方の郷土料理パエリアがルーツともいわれています。ちなみにパエリアの場合、お米を黄色に染めるのにサフランを使います。
くちなしの実
戦国時代の臼杵藩は、キリシタン大名として知られる大友宗麟の城下町でした。時代は16世紀後半、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸後、平戸、博多、山口、堺など西日本各地で布教活動を行っていた頃です。豊後でも宗麟の庇護のもと布教活動が行われ、そのさなかに宣教師のひとりがつくったのが「パエリア」だったと伝えられています。
当時、キリスト教の布教のため日本に渡ってきた宣教師は、スペインやポルトガルの出身者が多かったそうで、そのなかにバレンシア地方に生まれ育った者もいたのかもしれません。ちなみにザビエルは、スペインとフランスの間に位置するバスク地方(当時ナバラ王国)の出身。バレンシア地方(東部は地中海に面している)とはまた違う食文化なので、黄飯のきっかけはザビエルではないような気がします。
古くから漢方薬にも用いられ、現在もお漬物や栗きんとんなど食品を黄色に染めるときなどに使われる、くちなしの実。遥か昔、臼杵藩で「パエリア」を作った宣教師がサフランに代えてくちなしの実を使ったのは、日本へ渡る前、東南アジアあたりですでに知っていたのかもしれません。
南蛮船来航の波止場跡(長崎市江戸町)
「黄飯」にかける「かやく」は、見た目と醤油仕立ての素朴な味わいが、どこか長崎の浦上地区に伝わる「浦上そぼろ」を彷彿させます。浦上地区は、戦国時代にキリシタン大名の有馬晴信が治めたこともあり、一時期はイエズス会に寄進されていたこともあるところです。長崎港が南蛮貿易で賑わうなか、浦上川のほとりにはポルトガル船の船員たちによって教会も建てられました。「浦上そぼろ」は、その頃に宣教師によって伝えられたと言われています。
浦上そぼろ
「かやく」は白身魚、「浦上そぼろ」は豚肉を使いますが、野菜は似たり寄ったり。拍子切りや細切りにして炒め煮るという調理法も似ています。戦国時代のキリスト教布教のつながりで、もしや何か関係があるのではないかと勝手な想像をしてしまいます。ただ、古く中国や西洋の影響を受けた長崎県下各地の郷土料理を調べてみても、お米を黄色に染める料理は見つけることはできませんでした。
さて、宗麟は秀吉の九州征伐後に病で倒れ死去したといわれています。大友家の没落後、その身内や家臣らのなかには、長崎へ亡命した者もいました。そのひとりが、宗麟の孫といわれる桑姫(くわひめ)です。桑姫はキリシタンが集う長崎市中を対岸にのぞむ浦上地区(当時の浦上村渕)にひっそりと暮らしました。桑を植え、蚕を飼って糸を紡ぎ、そのやり方を近隣の娘たちにも教えていたそうです。その生き方、人柄は地域の人々の心を動かすものがあったのでしょう。没後は塚がつくられ、いまも淵神社(長崎市淵町)に「桑姫社」として祀られています。
※この記事は2015年6月10日にみろくやWEBサイトに掲載したコラムから転載しています。
◎参考にした本/「日本の食生活全集〜宮崎〜」(農山漁村文化協会)
淵神社
桑姫社(淵神社内)
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