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小説:ホタルが眠るまで(2)

これまでのお話

森の小川で暮らすホタルの子たちは、水中での生活を終えて地上に上がる時を迎えました。ウーも他のホタルの子と同じように、体は地上を渇望していましたが、未知の地上への恐怖で無理に水中に留まってきました。しかし、いよいよ水中での生活は限界に近づき、上陸しなければ死んでしまいます。雨の降る夜に、ウーも他のホタルの子たちと一緒に上陸を決意し、水中の友と別れ、初めて地上世界を進みます。そして地上で新たな友に出会い、そこで初めてホタルの成虫の姿を知りました。ウーは新しい体を求めて地中に潜り、心地よい闇に身を任せました。

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ホタルが眠るまで(2)

森では風が騒々しく吹き荒れていました。
枝葉は激しく揺れてザワザワと音をたて、落ち葉は巻き上がって空中をぐるぐると舞い、それはまるで風が集団で踊りを踊っているようです。
空には月が白く輝き、周りに丸く虹を作っています。
月があまりに強く光っているので、前を流れる雲がはっきりと見えました。
たくさんの雲が強い風に押し流されて行き、空にまん丸に輝く月だけが残されると、風は踊りをやめ、森はシンと静まり返りました。
月のスポットライトに照らされて、主演の登場です。
ついに地中で成長したホタルの子たちが、新しい体で生まれる時が来たのです。
しばらくすると、地面が少し盛り上がって小さな光がポツポツと現れました。
光は一つ、二つと増えて行き、次々に地面の小さな盛り上がりから沢山のホタルたちが顔を覗かせて、近くの草や低い木の枝に止まりました。
ホタルたちはお尻の光をポウポウと点滅させながら挨拶を交わし、おしゃべりをしています。
地面からホタルがいなくなり、皆があちこちの草や枝に止まった頃になって、地面に重なった落ち葉の間からやっと顔を出した1匹のホタルがいました。

「わぁ・・・。」

ホタルのウーも、無事に新しい体を手に入れたようです。
ウーは地面から顔だけを出し、大きなまん丸の目でしばらく外を眺めました。
小さな光があちこちで点滅し、光が枝から枝へ飛び交って空中に線を描いています。
初めて見るホタルたちの幻想的な景色に、ウーはもしかして夢の中にいるのではないかと目をパチパチさせました。

「ねぇ君、いつまでそうしてるの?」

近くの枝に止まっていた1匹のホタルがウーに声をかけました。
ウーは土の中から這い出して、外の世界に体を晒し声をかけてきたホタルを見上げました。

「おはよう。」
「おはよう、みんな随分早いんだね。」
「まさか、君がお寝坊なんじゃないか。」

ホタルはクスクスと笑っています。
ウーはそんなホタルをぼうっと眺めました。
どこかで会ったことがあるような気がするけれど、どこだっただろう。
ウーの頭はまだぼんやりしています。
僕はウー、ホタルのウー。
頭の中で何度もそう繰り返されるだけで、それ以外のことが思い出せません。
どうしてここにいるんだっけ・・・・。
ウーは昔を思い出そうとしましたが、頭が霞みがかったようにモヤモヤして何も思い出せませんでした。
思い出せるのは、これまで潜っていた柔らかな土の香りとしっとりした感触です。
真っ暗な土の中で寝たり起きたりして過ごすうちに、記憶もぼんやりとしてしまっていました。

「僕、キー。君は?」
「僕はウー。ねぇ君、なんでここにいるのかわかる?」
「ちょうどその話をしていたんだ。僕たち水の中から来たような気がするんだけど、皆記憶がぼんやりしていてわからないんだよ。君もこっちに上がってきて話そうよ。」
「うん。」

ウーは「水の中から来た」という言葉を聞いて、ふわっと頭に白い記憶が溢れましたが、すぐに黒く重い蓋が閉まってしまいました。
思い出されたのは、明るい昼間に見た水面の揺らぎです。
頭上に揺れる水面と灰色の石に落ちる光と水の影が一瞬頭に浮かびました。
なんとなく、水の中で生きていたらしいとは思いましが、思い出したのはそれだけです。
ウーは以前の自分のことが気になりました。
どうやってここに来たんだろう、どうしてここに居るんだろう。
考えても何も思い出せません。
もっとみんなに話を聞いてみたい。
そうしたら何か思い出せるかもしれない。
ウーはキーたちのいる木に向かって歩き出しました。
すると、上からキーのくすくす笑う声が聞こえました。

「何?」

ウーが少し不機嫌になって言うと、キーは笑うのをやめました。

「ごめんごめん。僕たち飛べるようになったんだよ。君もそこの草に登って羽を動かしてごらんよ。」

ウーは周りのホタルを見渡しました。
確かにみんな飛べているようです。
同じホタルならウーも飛べるはずですが、ウーは飛び方を知りません。
このまま草に登っても、落ちちゃうんじゃないかな。
ウーは少し背中がぞくっとして怖くなりました。

「僕、飛び方がわからないんだけど・・・教えてもらえる?」
「いいよ。」

ウーが馬鹿にされるかもと思いながら少し恥ずかしそうに言うと、意外にもキーはすんなりと返事をくれました。
そしてブウンと羽を動かし枝の上に浮かび、ふわりとウーの居る地面へ降りてきました。
キーの足元で小さな砂がふわっと上がります。
慣れた感じで飛ぶキーの姿に、ウーは思わず「おぉ」と声を漏らしました。

「まず羽を広げてみなよ。少し顔を上げて、背中に力を入れてみて。」

キーに言われた通りにすると、背中がパリッといって背中にひっついている何かが剥がれるような音がしました。
ウーは「あっ」と小さく驚いた声をあげました。

「そんな感じ。もうちょっと広がるはずだよ。」
「わわっ」

キーに言われた通りに背中に力を込めると羽が大きく広がりましたが、ウーはうまくバランスが取れず羽を広げたまま横にコロンと転がりました。

「おっと、大丈夫?気をつけて。羽を広げて、閉まってを繰り返して、羽を動かしてみて。」
「う、うん。」

ウーはなんとか立ち上がり、キーに言われた通りに羽を動かしました。
それから右左の羽を交互に動かし、ゆっくりした動きで練習をしました。
羽はぎこちなくパタパタと開いたり閉じたりするだけで、さっき見たキーの羽の細かな動きとは大分違います。
ウーは、これじゃない。と、思いました。
どうしたらあんな風に細かく動かせるんだろう?

「飛ぶにはどうしたらいいの?こんなゆっくりな動きじゃ飛べないよ。」

ウーがそういうと、キーは笑いました。

「まあ、そう焦りなさんな。準備運動は大切だよ。」
「準備はもういいよ、僕も早く飛びたいんだ。」
「そうかい?それじゃあ、まずそこの少し低い方の草に登ってみて。それから、下の薄い羽にビッて力を込める感じでやってみて。背中から、ビッて力を込めるんだ。」
「ビッ?」
「そうビッって感じ。今はグッと力を込めてるでしょ、それをビッと尖らせる感じ。」
「ビッ?・・・ビッ?」

キーの言ってる意味がよくわからず、頭は疑問でいっぱいです。
ウーは少し不機嫌になりました。

「それじゃあわからないよ。ちゃんと教えてよ。」

ウーがツンとして言うと、キーは「うーん」と唸りました。
キーはなんとなく色々試しているうちに飛べたので、改めて説明しろと言われると難しかったのです。

「こうとしか言いようがないんだよなぁ。まあやってみてよ。」

キーは結局説明を諦めたようにそう言って、「実践あるのみ!」と付け足しました。
ウーはまだ納得できず、さらに不機嫌になり黙ってしまいました。
キーに言われた草に登りながら、ビッ?ビッ?と頭の中で何度も繰り返し考えましたが、よくわかりません。
とりあえず、やってみるしかない。
草の上でウーはそう思い直して、グッと上を向きました。
頭上には真っ白な月がこちらを見ています。
その光を見ていると、何だかやる気が湧いてきます。
1匹ぽっちのお月様、あの真っ白なお月様まで飛んでいけたら。
ウーは月を見上げたまま、グッと背中に力を込めて羽を広げました。

「ビッ!」

声をあげて背中に力を込めた瞬間、羽がビビビッと細かく動き、一瞬だけふわっと足が草から離れすぐにまた降りました。
草がウーの体に押されて少し下にしなり、ウーは危うく草から落ちるところで何とかしがみついて止まりました。

「いい感じ、もっと力を込め続けて!」

草の下からキーの声がしました。
ウーはもう一度背中に力を込めると、背中の羽はまたビビビと音を立て少し体を浮かしました。
今度は少しだけ草から離れたのですが、ゆっくりと下に落ちていきました。
急な落下を避けるため必死で羽を動かしていたのですが、体は地面からほんのちょっと浮く程度しか浮かびません。
ウーは後ろの足2本で地面に線を作りながら、上ではなく前にスーッと進んで行きました。

「うわわっ!」

ウーはうまく止まることができず、そのまま茂みの中に突進して止まりました。
突進した木にいたホタルたちが、驚いて一斉にふわっと飛び立ち、そしてまた近くの枝に止まって、ウーたちの様子を見守っています。

「いててっ。」

ウーは小さく声をあげながらキーのいる方へ向き直りました。

「惜しい!もっと上の羽を広げるんだ。」

頭上のどこかでキーではないホタルの声を聞きながら、ウーは茂みの間からヨロヨロと出てきました。

「羽を動かすと同時に足で蹴り上げて。」
「もっと高いところから飛んだら?」
「グワンってしてから、ブゥンだよ!」

いろんなところからホタルたちがウーに声をかけてきます。
ウーは一体誰の意見を聞けばいいのかわからなくなり、キョロキョロとしました。

「ウーその調子だよ!」

キーが出てきたウーに飛び寄って言いました。
キーは綺麗に全身を浮かせて弧を描くように飛び、静かに地面に降ります。
早くこんなふうに飛びたい。
ウーはキーの飛ぶ姿を眺めてそう思いました。

「うん、もう一回やってみる。」

ウーは今度はさっきより少し高い草に登り、大きく羽を開いて、またグッと顔をあげました。
そして思いっきり背中に真っ直ぐな力を込めると、羽は今までと違いブゥンと音をたてました。
周りのホタルたちが「おぉ」と声をあげる声が聞こえました。

「いいぞ、ウー!」

声の方を振り返ると、キーがウーの少し下の方から見上げているのが見えました。
ついに飛ぶことができたのです。
そしてウーは羽に力を込めて、さらに上に飛び上がりました。
飛べた!と、ウーは嬉しくなりました。
羽の後ろで空気の波が広がっていき、自分の体を押し上げるのを感じます。
風が味方になって、その手でウーを持ち上げてくれているような気持ちになりました。
ちょっとわかったぞ。
ウーは羽の力の入れ方に手応えを感じていました。
まっすぐ筋を通すように羽に力を込めると、不思議と羽が細かく振動しました。
これが、ビッね。
ウーはキーの言葉を思い出しました。
そしてウーはこのまま上でホタルたちを眺めようと思い、さらに羽に力を込めると、急に右の羽がピタリと動きを止めました。

「えっ」

ウーの体はみるみる落下していき、地面に体を打ち付けるようにズシャリと音を立てて落ちてしまいました。
衝撃を和らげるために必死で左の羽を動かしましたが、あまり効果はなく強い衝撃で頭が揺れました。
ウーは衝撃で羽が折れてしまったかもと不安になり、すぐに立ち上がって確認しました。
ゆっくり羽を広げて動かしてみましたが、折れている羽はありません。
羽は大丈夫そうです。
ウーはフゥと大きく息を吐きました。

「ウー!飛べたじゃないか!」

地面に降りたウーにキーが飛んで寄ってきました。
ウーは確かに飛べるには飛べたのですが、なんだか胸の奥がざわりとします。
しばらく飛んでいようと思っていたのに落ちてしまったことが、ウーは気になりました。
まだ疲れたわけじゃないのに・・・なぜだろう、羽がうまく動かない。
ウーは不安になりました。

「僕もう少し飛んで見ようと思ったんだけど、落ちてきちゃった。」
「初めてだからじゃない?そういうものだよ。」
「そうかなぁ・・・」
「何度か飛ぶ練習をしたら大丈夫だよ。もう一回飛んでみたらどう?」
「うん。」

ウーはまた上に飛び上がりました。
さっきよりも高いところ。
ウーはそう思いながら月を見上げて目指すように飛び上がりましたが、また右下にすぐ落ちてしまいました。

「なんで・・・?」

ウーは呆然として呟きました。
先ほどまでおしゃべりだったホタルたちも静かにしています。
そのことが余計にウーを不安にさせました。
やっぱり何かおかしいんじゃないか。
ウーは下を向いて考えました。

「ウー、どうも右の羽があまりうまく動いてないみたい。」

キーがウーの近くまで来て言いました。

「うん。なんか右の羽が変な感じ、強く力を込めると少しつっぱるみたいなんだ。」
「右の羽だけ少し動かす練習をするとかいいかもね。でも君まだ地上に出てきたばっかりじゃないか。これだけ飛べれば十分さ。」

ウーはそうかもなとも思いましたが、やっぱり納得できません。
まだ飛んでいたかったんだ。
みんなとそんなに地上に出た時間は変わらないはず。
なのにみんなはもっとうまく飛んでるじゃないか。
胸の奥で不安な気持ちががもやもやと絡まり、体が重く感じました。
キーに言われた通り、少し右の羽を動かす練習をしてみることにしました。
大きく羽を広げて、右左順に動かし、右の羽だけを震わせます。
すぐ近くでキーが「いい感じ」と言いましたが、ウーは何も返しませんでした。
少しだけほっといてほしい。と、ウーは思っていました。
ずっと沢山のホタルたちに見られていることが少し負担でしたし、うまくできないところを見られているのは嫌でした。

「また少し飛んでみたら?」

キーが言いましたが、ウーはまた返事はせず、黙ったまま静かに草に登り飛ぶ準備をしました。
羽を広げる・羽に力を込める・調節する。
ウーは頭の中で考えながら羽に力を込めました。
先ほどよりも右の羽に意識を向けながら、初めと同じように飛ぼうと思ったのですが、今度は全く違うことが起きました。
右の羽だけが激しく動き、広げた左の羽はほとんど動きません。
ウーの体は草から少しだけ浮かび、激しくグルグルと回りながらゆっくり落ち始めました。

「うわぁああ!」

右の羽はバタバタと動き続け、動きを止めようと思っても羽に力が入りっぱなしで止まりません。
まるで羽が怒って暴れているようです。
ウーが焦るほど体は早く回転しました。
自分の体なのに扱い方が急にわからなくなって、ウーはバタバタと暴れる羽根に身を任せる他ありません。
周りではそれを見ていたホタルたちが笑っています。
ウーがふざけていると思っているようで、囃し立てるような声をあげるものもいました。
ウーは地面に近いところで何周もグルグルと周り、地面に足で何重も丸を描きました。
まるで風に弄ばれているようだ。
ウーは回りながら、もう羽を止めるのを諦めてぼんやりと考えました。
はじめ飛べた時には風が味方に感じたのですが、今はその指先で右羽を掴んでブンブンと振り回して遊んでいるようです。
もう自分の意思ではどうしようもない。
そんな気持ちになった時、羽は急にぴたりと動きを止めて、ウーは円の真ん中にどかりと倒れこみました。

「ウー、大丈夫?」

キーがウーの様子がおかしいことに気づいて心配そうにしています。
ウーはまた返事をしませんでした。
羽は広がったままぺったりとウーの体にひっついて動きを止めています。
ウーは目を回してその場で倒れこんだまま、起こったことに呆然としていました。
まだ返事をしたくない気持ちではあったのですが、それよりも返事をする余裕がなかったのです。
目の前ではホタル達の光がグルグルと回りながら点滅し、ぐにゃぐにゃに光が歪んで見えました。
ウーはすっかり目を回してしまったのです。
その光をぼんやり眺めていると、また水中のイメージが頭に浮かんできました。
ポツンと闇の中に1匹で、水に踊るように揺れる月の光です。
ああそうだった、何か思い出せそうで思い出せなくて、みんなに昔のこと覚えてないか聞こうと思ってたんだった。
ウーはホタルたちに聞きたかったことを思い出しましたが、もうどうでもよく感じていました。
草木を揺らす風の音、遠くの小川のせせらぎ、ホタルたちのささやくような声や羽の音、外の世界の全ての音が大きく膨らんでぐわんぐわんと頭に響き、ホタルたちの光もまるで自分を嘲笑っているようにニタリと笑った口の形に歪んで見えます。
実際は、ホタルたちは動かなくなったウーを心配して静かに眺めていたのですが、目を回したウーにはそうは見えませんでした。
ニタニタした光がウーの目の前でグルグル回っています。
みんなが集まって自分を笑っているのだと思い込み、ひどく落ち込みました。
ウーは胸の奥がムカムカとしましたが、吐き出すものもなく口からハッハッと小さく息を吐くしかできません。
地面に伏した体で冷たい地面を感じていると、さらに自分が惨めになりました。
こんな気持ちになるなら、僕はもう1匹ぽっちでいよう。
お月様みたいに、1匹でいたい。
ウーは、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちになりました。

しばらくして、ウーはゆっくり体を起こして6本の足で地面に立ちました。
皆ただ静かにウーを見守っています。

「僕、ちょっと1匹で練習してくる。」

そう言ってウーはもう飛ぶことはせず、静かに歩き出しました。
後ろでキーが何かを言っていたようですが、ウーには届きません。
ホタルたちはウーの落ち込んだ様子を見て、ただ静かに左右に分かれて道を開けました。
ウーは振り返ることなく1匹で、森の深い闇の中へ消えて行きました。

続く。