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2.子供達が学校に持つイメージってどんな感じなんだ?

今、将棋界では藤井聡太七段のタイトル戦で連日盛り上がってますね!!先日まで王位戦・棋聖戦での対局でメディア総動員でした。ワイドショーでも取り上げられてホント、凄い人が出てきたなぁ~って思って見ています。

私がまだ高校生くらいの頃は、今はもうベテラン勢ですが羽生さんや谷川さんなど若手がどんどん有名になってきてた頃でした。将棋があまり解らない私もその頃は羽生さんのカッコよさに惚れ惚れし、解ったつもりになってプチおっかけみたいなことをしてたものです(笑)

その後結婚し長男が生まれ、長男が幼稚園に入った頃には『ヒカルの碁』が大ヒットしました。囲碁が将棋と並んで大人気となり、ご他聞に漏れず長男も囲碁にハマっていきました。

子供の才能って言うのは本当に驚くほど目を見張るものがあります。

テレビを観て碁を覚え、数ヶ月で祖父と互角に戦えるほどまでになりました。当然、私などは練習相手にもならないので見てるだけ( ^_^ ;)
長男専用に碁盤や棋譜が書いてある本を図書館から借りてくるので精一杯(笑)

その後段々囲碁はしなくなりましたが、中学生になるとチェスにハマったようです。我が家でチェスが出来るのは唯一長男だけです!!

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前回は長男が問題を起こし始めたところで終わりましたね。

そもそも不登校になったりメンタルが弱めだったりする子供達は、学校にどんな感情・イメージを持っているんでしょう?何がきっかけで不登校になったり行き渋るんでしょう?

きっと皆んな、出来れば何事も無く学校に行きたいと思ってるはず。
友達と遊んだり、勉強したり(したくない勉強もあるけど)、給食食べたりしてさ。

先生に叱られたりするのは嫌だけど、逆に先生に褒められる事だってひとつくらいはあるよね!!

私も数学はめちゃくちゃ嫌いだけど、高校で何故か『代数幾何』の勉強は好きだったんです。算数・数学の勉強で100点取れたのはこのときだけですね( ̄▽ ̄;)

『微分積分』もちょっとイケてたな~(笑)

他には小学5年生の時に校長先生が社会で歴史の授業をして下さった事がきっかけで社会が特に好きになりました。
もう憶えてないけど、校長先生にテストでとても良い点をとって褒められたのも効いてるかな〜

ひとつやふたつ、そういう良い思い出もあるから私自身は学校が嫌いでは無かったです。

でも、転じて子供達はどうかと言うと。。。
。。。3人が3人皆んな、あまり良い印象を持ってない(´-﹏-`;)

その子の性格や環境もそれぞれ違いますから一概に『これが原因です!』とは断言できませんが、我が家の3人の子供達の場合で考察してみようと思います。

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どの子も幼稚園はめちゃくちゃ大好きだったと言ってくれるのに(いや、次男坊はちょっと行き渋りしたっけ。。。)小学校以降の事になると途端にそれぞれの印象が違う。そして引越しで小学校は入学時と卒業時に違うので、どうしても『どっちの学校が好き・居心地が良い』というのもあるんです。

例えば長男。

彼の場合、学校に思い出というものがあるのかどうかがそもそも不明ですが、総じて友達と担任の先生には恵まれていたと思います。決して友達は多くなかったけれど、波長の合う子が常に1人はいました。

聞いたことが無いので解りませんが、入学した小学校と卒業した小学校なら卒業した小学校の方が"まだ"思い入れがあるのかなぁ~という感じです。

ほぼ完全不登校だった長男ですが、六年生では修学旅行も行きましたし校舎が建て替えするために学年全員で校舎内にお泊りした時もちゃんと行きました。

昭和8年建設のアールデコ様式の綺麗な学校で、長男の学年が最後の卒業生だったので特別許可が下りての宿泊でしたが、『あんな綺麗な校舎が無くなるのは勿体ない』と言ってたのを想い出します。

中学校は登校しても保健室登校。なので友達は保健室に一緒に居る他クラスや学年の子みたいでした。数えるほどしか学校に行かなかったので、あまり思いいれもない様子。

高校は2年生で中退してしまいましたが、入学時のクラス内に数人友達が出来たのが登校の励みになってたようです。長男自体がこっちに居た頃はたまに連絡が来て、友達と遊んだり出掛けたりしてました。ただ、学校に関してはまあまあという感じですね。

そして長女。

彼女の場合、6年生途中まで長く居た小学校に絶対的な愛着があります。今も交流のある友達が居たり、高校入学で再会した友達も居ます。
卒業時の小学校の友達とはそのまま中学に持ち上がりでしたが、あまり仲の良い友達は居ない様です。

この長女と次男の転校がちょっといわく付きの転校になってしまい、私はずっとこの転校について後悔や自責の念を払拭出来ません。もしかしたらそういうのも長女の性格に影響してるではないかと思っています。

長女の中学校のイメージはあまり良くありません。子供達の中で唯一『普通に』登校出来てますが、中二の頃から少しづつ性格?雰囲気?が変わっていった感じがあります。もともとそれほど活発というわけでもなかったのが内面にどんどん入り込んでるようでした。

また肝心な時の担任や部活の顧問とのご縁もあまり良くなく、高校も含めて長女には先生にあまり恵まれなかったなぁ〜というのが正直なところです。
高校も長女は転校という形をとりましたが、それまでの学校生活は総じていい思い出が無いのかも知れません。。。

また次男は4年生までとそれから卒業するまでに大きなイメージの差があります。もちろん4年生までは長女と一緒の小学校に通って友達とも普通に遊べていました。

3年生で発達障害の診断を受け、実を言うと4年生の転校は随分迷った上での決断でした。今考えるとあの環境の変化は次男にとってはマイナスにしか機能しなかったとしか言えず。。。

次男からたまに出る「あっちの〇〇小の方が楽しかった。でもこっちの〇〇小の思い出は自分の黒歴史だ」という言葉がつくづく胸に刺さります・・・

そこからの中学校なので、彼には学校生活は苦でしかなかったのではないでしょうか。普通学級ではなく情緒学級を選択したものの、進学するには情緒学級だけの成績では貰えないので普通学級と行き来する羽目に。

結局は1年半ばでアウトでした。

障害者手帳は交付されないので高校進学は養護学校や支援学校では意味が無く、かと言って普通に受験しての進学はほぼ不可能(単位や内申点が全くもらえなかったです)。

悩みに悩んで県立高校で通信制のある所を受験、合格。

今は通信制で1年生2度目のチャレンジ中です。

今の次男を見てると、彼の中に何かしらの『目的意識』があるからまだ休学や退学をせずにやれてる気がします。
中学校で教科書の勉強が途中から出来てない次男にとって、正直自分管理のレポート提出や単位取得の為に週何日かのスクーリングは大変です。

でもたまに

「今日は体育がすっごく楽しかった」
「美術の先生からこんなことを教えて貰った」
「体力づくりに階段しか使わないようにしてるんだよ」

と聞くと、リアルな友達はいないけどちょっとは学校生活を楽しいと思える時間もあるんだと解ります。

学校のイメージ・・・

それはやっぱり、学校にプラスの出来事や要素がなければ良い感情など生まれるはずもないです。

先生方は日々大変なご苦労をされてるかと思います。

だけど、子供によってはちょっとした些細な出来事もきっかけとなって、積もり積もって大きなマイナスイメージに固定化されてしまうものだと思います。

親としても充分に気を配り、子供達を元気に前向きな気持ちで登校させたい。何も好きこのんで休ませたい訳ではないんです。

忙しいのは百も承知で、先生方にもそんな子供達とその親に理解と共感を頂けたらなぁ~

3人の個性的な子供達の学校へのイメージと、それを間近で看てたひとりの母親からの、ほんのちょっとしたお願いです。

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さて、あまり学校に良いイメージを持ってない我が子達ですが、その中でも段違いに学校に行かなかった長男。

なぜ彼は不登校になってしまったのか?

次回はこの戦いの始まりに本格的に入っていこうと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました!!

次回もお楽しみに♪

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