いつも友人関係がうまくいかない人へ
友情が壊れるとき
同じ夢を持つ友人関係は繊細です。
過去に、ある制作物をマネをされたと感じ、
憎しみを抱いてしまった友達がいます。
私が長年必死に学び、経験と共に身につけた知識を
努力もなしに”スッ”と盗まれたような、
私の一部だったピースが奪われて、自分が小さくなり、
友人に渡ったピースが成長して私を脅かすような、
そんなイメージがありました。
あなたと私は一心同体?
心理学に”同一視”という言葉があります。
自分を他者に重ね合わせ、自分のことのように感じたり考えたりすることを指します。
親子関係、恋愛や友情においてよくある現象です。
河合隼雄は著書『大人の友情』の中で
夏目漱石の『こころ』に登場するYは、先生を”同一視”していたと解釈していました。
先生が好きになった娘さんを、Yも好きだと言った。
これは、Yが先生を愛していたから、”同一視”してしまい起こった現象だと。
小林秀雄が中原中也の彼女を好きになったのも同じ原理だと。
その一節を読んで、ああ、私の友達も”同一視”していたのだろうかと思った。
仲良くなりすぎて、私と彼女が一体化してしまい、
真似をしているというより”自分化”してしまっていたのではないかと。
そのように自分を納得させようとしていました。
でもしばらくして、
ひょっとすると、私がそうなのかもしれない…と思いました。
彼女を自分の一部のように見ていた。
私の一部であれば平和だったのに、
ひとりでに動き出した。
私から分裂して私を脅かす存在になるのではないかと。
そのことに関して恐怖を感じたのではないかと。
何かを「奪われる」という恐怖。
そしてもうひとつ、
「自分は特別だ」と思いたい観念。
特別な私を壊される恐怖。
このように思ってしまったのは、
執着、依存、支配欲からであり、”真の愛”ではなかったと思います。
”真の愛”とは?
本当の愛の場合、愛が 憎しみ に変わることはない、といいます。
”真の愛”の定義を哲学者の苫野一徳さんは以下のように語っています。
”真の愛”とは、
相手が存在しなければ私の存在意味も十分ではないと思えることに加え、
相手を一人の人間として尊重することもできるものです。
裏切られた時に、”悲しみ”や”喪失感”を感じることがあっても、
相手を憎悪することは、”真の愛”ではあり得ない、と。
これを読んで、確かにペットに対しては憎悪は感じないなと思いました。
どんなにひどいイタズラをされても、誰かの元へ行ってしまっても
悲しみや喪失感はあれど、憎しみは抱かない。
つまり、ペットに対しては”真の愛”を持っていたのです。
「人を愛する」=「自分を信じる」
「依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとかなんでも溜め込もうという欲求」…、これらは自分に不安や不完全を感じていることが原因です。
ナルシストになってしまうのは、この不安をなんとか打ち消そうとするからなのです。
不安で自信がないんですね。
不安の反動として
「誰も私を愛してくれない。だから私だけは私を過剰に愛する」と、自分の見た目、社会的な価値、ステータスに「執着」してしまう。
これを克服しない限り、他者を尊重したり、意志することは不可能です。
「すべては、”このわたし”のために」と、自分にスポットライトが当たりすぎているからです。
他者に感心する余裕がない。
ナルシシズムを克服するには?
ナルシストは
「惨めな自分ではない理想の自分でありたい。」
という作り上げられた自己像を持っています。
しかしそれは虚像です。
この虚像を自らの理性によって暴き出すことが克服への道です。
ではどうすればいいのでしょう。
「特別」ではなく、「ユニークさ」に目を向ける。
「上昇」ではなく「前進」を目標に、
「プロセス主義」で生きる。
ということが重要になります。
「上昇」ではなく「前進」する生き方に変える
「惨めな自分ではない理想の自分でありたい。」
「完璧な自分でありたい」
と考えていることをまず認め、
「等身大の自分」をありのまま見つめる。
「等身大の自分」ってどんなもの?
「等身大の自分」ってどんなものでしょう?
それは、「理想的な完璧な自分」と「何にもできない価値のない自分」の
真ん中にある自分です。
「理想的な完璧な自分」、「何にもできない価値のない自分」、「等身大の自分」どれもすべて自分の一部です。
それら全体を受け入れる方法を、
以前、私が通院していた病院の市橋秀夫先生の著書『心のお医者さんに聞いてみよう 自己愛性パーソナリティ障害 正しい理解と治療法 』からまとめさせていただきました。
結果だけに注目するのではなく、プロセスを大切にする
外的価値ではなく、内的価値を重視すること
ひとっ飛びに上昇するのではなくコツコツ前進していくこと
他人がどう思うかではなく、自分自身がどう思うかを決めていくこと
「上昇」ではなく「前進」する生き方に変える。
「プロセス」を大切に生きるということですね。
自分に無関心になって、外へ飛び出そう
「前進」したり、「プロセス」を大切にするってどうしたらいいのでしょう?
私の大好きな本、『フロー体験喜びの現象学』M.チクセントミハイの著書から的確な言葉を見つけましたので引用します。
自分の欠点ではなく、周囲を観察し分析するためにエネルギーを使い、
そこに多くの新しい挑戦の機会を発見していくのです。
周囲に何が起きているのかに注目して、どんどん好奇心を拡大させていき、自分ができそうなことにどんどんチャレンジしていくイメージですね。
その時、集中したり没頭するということがとてもキーワードになってきます。
楽しく集中する『フロー体験』になれる具体的な方法を5つ挙げます。
全体目標を設定し、現実的に実行可能な多くの下位目標を設定する
進捗を測る(フィードバック)
していることに対する注意の集中を維持し、その活動に含まれる様々な挑戦対象をさらに細かく区分する
必要な能力を発達させる
退屈するようになったら、さらに目標を高く設定する
仕事でも、食事でも、音楽を聴いたり、歩いたり、
いつどんな時もこのフロー体験は可能です。
遊んでる時、仕事に熱中している時など誰でも一度は経験したことがあると思います。
この経験をあらゆる瞬間に採用するのです。
そうすればずっと楽しい状態が続く!と、チクセントミハイは言います。
ほんとこれ、私の上位目標。
あたたかく突き放し、冷たく抱き寄せる。
友人関係がうまくいかないとき、
だいたいは自分のコンプレックスに原因があります。
本来友情とは
一緒に馬鹿げたことをやったり、
ホッとできる関係性であり、
冒険や発見する経験を共有できる楽しい存在です。
比べたり、自分の配下に入れたりする上下関係はありません。
河合隼雄は友人との上手なつきあい方として、
魂のつながりを感じる”同一視”の感情を分かち合いつつも、
おぼれない適切な依存関係を勧めています。
その適切な依存関係を端的に表した一言で、今回は締めたいと思います。
自分の問題を自分で解決して、
友達と素敵な関係性を築いていきたいものです。
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