第3回 人類の誕生③
前回の記事はこちら!
世界史まとめ第三回です。
今回は主にホモ属について学んでいきたいと思います。
また、アフリカにいたヒトがどうやってユーラシア方面に拡散していったかについてもまとめていきます。
*仮説を含むため正確ではない情報や考察があるかもしれません。予めご了承ください。情報提供いただければ適宜記事の更新を行います。
【1】ホモ属
約240万年前、ここでついに猿人からホモ属(ヒト属)へと変わっていきます。
ホモ(homo)とはラテン語で「人間」という意味です。
アウストラロピテクス(australopithecus)は「南の猿」という意味なので、なんとなく現在の人間と似てくるようになっていくということがなんとなくわかると思います。
アウストラロピテクス属に比べて体格が大きくなり、脳の容量も増大しています。頭蓋骨などの形をみても一気に人間に近づいているのが分かります。
他にもホモ属とアウストラロピテクス属の違いはいくつかあるので、それらも知りたい!という方はこちらのサイトをご参照ください。
またホモ属の中でも原人→旧人→新人と原人から新人(ホモサピエンス)になるまで進化をしています。その流れについていくつかの種についてまとめながら学んでいきましょう!
【2】原人
2-1 ホモ・ルドルフェンシス
2-2 ホモ・ハビリス
2-3 ホモ・ゲオルギクス
2-4 ホモ・エルガスター
2-5 ホモ・エレクトゥス
2-6 ホモ・アンテセッサー
約85万年前にいたホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)はスペインのアタプエルカ山地、グラン・ドリナで発見されました。
顎や歯に原始的な特徴が残っていますが、頭蓋骨、鎖骨、四肢骨は後の種に似ていることから、現代人やネアンデルタール人の祖先だと考えられています。
脳の容量も約1000㏄と多く、現代人と顔も似ていたそうです。
2-7 ホモ・ハイデルベルゲンシス
約60万年前にいたとされるホモ・ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis)はドイツのマウエル砂取場で発見されました。
ハイデルベルクと聞いて世界史を習ったことのある人でピンときた人はいるでしょうか…?
この種はとにかくガタイがよかったと言われています。180cm100㎏とかあったそうな…もはやプロ野球選手です。
また、木製の槍や石器を使って大型動物を狩っていた最初のヒト属としても知られています。ライオンも狩っていたとか。
彼らの先祖はホモエレクトゥスという説もあれば、前述のホモエルガスターという説もあります。
【3】旧人
3-1 ホモ・ネアンデルターレンシス
ネアンデルターレンシスは約40万年前、ドイツのネアンダル渓谷付近に生息していたことが発見されました。他にも西アジアや北アフリカでも見つかっており、広い地域に分布していたことが分かります。
俗にいうネアンデルタール人ってやつですね。聞いたことあると思います。
彼らは現代人に最も近い親類でした。
…でしたということは何となく分かりますよね。彼らはホモサピエンスとほとんど同じ能力を持っていながら絶滅してしまいました。
特徴もかなり現代人と近いものがあります。
彼らは言語を持ち、コミュニケーションや情報伝達を行っていました。そして主に大型動物を狩り、狩猟を中心としながら服を着て、洞窟の中に集まり生活をしていました。
身体が大きく、一日4000Kcal以上摂取する必要があったそうです。
また最大の特徴として埋葬の習慣があった可能性があることが挙げられます。
埋葬するだけでなく、花や装飾品を供えてもいたということで宗教的心情や感情の表現などを持っていたことが考えられます。
さらに骨で作られた笛や洞窟に壁画が描かれていたということから芸術にも興味を持っていたことが推測できます。
絶滅した理由は明らかになっていませんが、気候の急激な変動、動物(食糧源)の減少、現生人類との抗争など様々な要因が考えられています。
3-2 デニソワ人
デニソワ人はロシアのアルタイ山脈、デニソワ洞窟で出土され、その後の遺伝子解析により判明された
【4】新人
4-1 ホモ・サピエンス
参考:石器の変化について
【5】出アフリカ
これまで学んできたように、我々の祖先はもとを辿るとアフリカに生息していました。日本人だって、ヨーロッパ人だって最初は全てアフリカに生息していたホモサピエンスが起源です。よく考えると何かびっくりする話です個人的に。
このようなアフリカが全ての起源だろうという説をアフリカ単一起源説といいます。現在はこの説が最も有力だとされています。
いつ、そしてなぜ現生人類はいつアフリカを出て世界の各地へ拡散していったのでしょうか?
アフリカ以外の遺跡でもいくつか現生人類が発見されたことにより、研究が進んでいます。今回はその中から三つまとめてみましょう。
5-1 ドマニシ
約180万年前、ジョージアの村であるドマニシにホモ・エレクトゥス(ドマニシ原人)が生きていたということが1900年代後半に発見されました。
ドマニシがジョージアで発見されたことにより、約180万年前には出アフリカは行われていたことが分かりますね。
やや原始的な特徴が多く、まだホモエレクトゥスの関係も曖昧なところも多いが、今後の研究でいろいろなことが明らかになるんじゃないかなぁと思っています。
5-2 ウベイディア
続いて石器が見つかったことから、約150万年前にイスラエルのウベイディアに原人が生息していたということが1960年の調査によって明らかになりました。
分かると思いますが、イスラエルはジョージアの南にあります。
ここの遺跡の特徴は最古の住居跡があることです。
また最古のアシュール型石器であるアシューレアンタイプが見つかりました。アシューレアンタイプとはハンドアックス(握斧)などの道具のことです。
こちらで見つかった原人はドマニシに比べてかなり大柄です。子供の腰椎から推測すると大人になっていたら180cm以上になっていたのではないかという結果が出ました。
5-3 ゲシェル・べノート・ヤーコフ
約80万年前、イスラエル北部にあるゲシェル・べノート・ヤーコフ遺跡でホモ・エスガルテルが生きていたことが2004年ごろ発見されました。
遺跡に残っていた跡から、彼らは社会的組織を形成し、コミュニケーションを行いながら生活をしていたのではないかと考えられています。日常生活をする場所と労働をする場所を区別することもしていたそうです。すごい…
また、木の実を加工したり魚介類を調理するために火を使っていたという証拠も見つかりました。
自然現象による発火、意図しない発火などもあるため火の使用について研究することは難しいです。もっと前の現生人類が火を使っていた可能性はありますが、明確な意図をもって火を使っていたのは現状ゲシャ―遺跡に生息していたホモ・エルガステルが最古だと言われています。
【6】まとめ
ホモサピエンスになるまでどのような変遷をたどっていたか理解することが出来たでしょうか?
出アフリカという事例一つをとっても何回起こったのか、どういうルートを辿っていったのかなどは様々な説があり詳しく知ろうとすると莫大な時間を費やすことになるでしょう。
学習するにあたって一気に論文などの史料が増え、難しくなってきました。この記事の内容も歴史をあまり学んでこなかった方たちには耳馴染みのない用語が多く出てきていると思いますが、それでも全体の理解の5%にも満たないような気がします…歴史は奥が深いですね。ほんとに。
それでも大まかにはなりますが、学校の授業でやらないような所もどんどん触れていこうと思うので、引き続き見ていただけるとありがたいです!
それでは今回はここまで。
次回はいったん時代を遡り、なぜネアンデルタール人などの旧人が絶滅してしまったかについてまとめていこうと思います。
【7】参考文献
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