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メンタル疾患から少しずつ回復したお話4(再発治療〜現在)

再発の治療は、

陽性症状を抑えるため服薬し、
こんこんと眠る日々から始まりました。

陽性症状が収まると、
前職への後悔や自責の念で潰されそうになる陰性症状がやって来ました。

それをやり過ごせるようになると、やっと回復のための日常が始まりました。

しかし、初発の頃よりも認知機能の低下が著しく、本を読むことができませんでした。

また1からのやり直し…
治ったと思っていたのに…

そんな絶望を抱えて、人としての土台を整える所からやり直しを始めました。

本当に月並みで当たり前の事なんですが、
朝起きて、夜寝る。

生活リズムを整える所からのスタートでした。

そして、朝起床して散歩に出かける。
朝日をしっかり浴びて、体内時計をリセットする。

シャワーを面倒くさがらず入るようにする。

そんな、当たり前を当たり前にこなせる様になる日を目指して、生活訓練を続けました。

しかし、また仕事につきたいとは思えなくなっていました。

頑張ったけどやっぱり無理だった…

そんな無力を感じるか学習体験の方が強く刷り込まれてしまったからです。

それからは頑張ることを諦めるようになっていました。

私には無理なんだ。
今持っているものを大事にしよう。

そう思って自分を納得させようとしていました。

そんな、半ば諦めに近い日々を送りながらも、
徐々に回復しはじめていました。

そこで私と母は、地元に帰る決断をしました。



地元に帰れたのは大きな転機でした。

ずっと息苦しく思いながら東京にいた頃と比べ、今度は実家が凄く居心地のいい場所になっていました。

コロナ禍のペットブームで、妹が犬をかっていたのも功を奏しました。

世話をする事で癒されていました。
犬の相手をする事で、暇な時間に反芻思考をすることが減りました。
散歩のために、妹と外に出る事も増えました。

やっとホッとできる安住の地にたどり着いた。

実家から離れている時間が長かった分、実家に帰れて強くそう思いました。

しかし、まだ仕事はできていませんでした。

資格を生かした職業に再びつける自信も気力なく、恐怖を強く感じていたからです。

資格を活かした仕事を再開したら、また再発するのではないか?そんな不安が付きまといました。

やっとの思いで仕事を探し始めた時、体調をまた崩しそうになりました。

クローズドで働く不安も大きかったのです。

そんな中、父が務めている会社の別の現場で、週1ではたらいていた方が退職するので次を探しているとの情報を、父が持ってきました。

その現場は業務内容もとても易しく、
前職のように業務幅も広くありませんでした。

これを逃したら資格を生かした働き方はもう出来ないかもしれない

そう思い、父が持ってきた話にのることにしました。

3年振りの仕事でした。

地元の風土もあり、皆のんびりしていて穏やかで働きやすいと感じました。

東京のキリキリとした仕事の仕方とのあまりの落差にこれでいいのかと、焦ることもありました。

しかし、週1から徐々に週2、週3とお願いされる形で働く時間が増えていきました。

仕事内容はとても易しくのんびりとできるので、最初こそミスはしたもののミスの回数はぐんと減っていました。

無理なく資格を活かして働けている。

この実感が泣きたくなるほど嬉しかったです。

子供の頃も含めて、今が1番幸せなんじゃないか?そう強く幸福感を感じ、穏やかな心でいられました。

それからは、ずっとしてみたかった趣味に挑戦してみたり、気ままにのんびり過しながら時々働く日々を送っています。

今は環境が整っていてムリをしていないから安定している。

またいつ職場環境が変わり業務範囲や内容の難易度が上がるかもしれない。

そんな不安は付きまといます。

今は、その不安を払拭するための新しい1歩を踏み出すか出さまいかと考えながら、

これまでの人生を振り返り、分析し、同じ轍を踏まないための教訓として

この闘病記を書き記しました。

少しでもこの闘病記が、誰かの何かの幸せに近づく手助けになれたら、これ以上の幸せはありません。

(終)

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