1日でダンボール15箱分の断捨離をした37歳独身サラリーマンが語る「断捨離のキラーフレーズ」

こんばんは!みれんさんじゅうななです。コロナ暇(か)でとにかく時間があったのでnoteをはじめた、37歳独身のサラリーマンです。下記の記事にプロフィールは詳しいかも知れません。口調がぶれているのは、初心者なので許してください汗 これからは敬語で行くつもりです・・・

GW暇になったのを受けて、一大決心で断捨離をしました。

ものが捨てられない」のは昔からの癖です。今ぼくは90年代に建てられたちょい古のロフト付きマンション(ロフト含めて2Kくらい、3点ユニットバス。この頃は流行っていたみたいですね。ロフトくそ暑くて耐えきれませんけどね)に住んでいるのですが、ご多分に漏れずロフトは物置き。元サブカルバンドマンなので、やっぱり置いてあるのはCDが中心なんですが、本や、服や、バンドのMTR(録音機)やギターアンプなど、いろんなものがあります。

1.なぜ捨てられなかったのか

さて根本的に、なぜ捨てられなかったんでしょう?自分なりに考えてみました。

(1)めんどくさい

身も蓋もないですが、入り口の理由はこれです。もの捨てるのってめんどくさいですもんね。可燃なのか不燃なのか、粗大ごみなのかそうでないのか、資源ごみなのかそうでないのかetc...

お役所の管轄なので、何なら10:00~18:00の問い合わせ窓口(土日祝休み)に直々に問い合わせてください、なんてこと言われた日にゃ心が折れますよね。資源ごみ関連は、僕の自治体では盗難防止のためか、収集日すらHPに載っておらず、電話で問い合わせてくださいとなっています。社会全体として最適な選択肢であることはわかりつつも、「めんどくさい」このホンネは変わりません。

(2)思い出がある

これはダメ人間の証です。でも、「これな~!」なんです。たとえば、僕の部屋の断捨離できなかったものの中には「チェッカーズのラストライブアルバム」があります。チェッカーズは世代でもないです(とんねるずの番組で小学生の頃ちょっと見たくらい)しあんまり興味もない(ファンの方すいません)のですが、ここには、昔、同世代のバンドマンと意気投合して、同じ車で一緒にツアーを回った時、ふと道中で地方のブックオフに立ち寄った思い出話が隠されています。みんなで1枚ずつ、安くて普段買わないCDを買って、道中のBGMで盛り上がろうぜ、と。条件は、価格が200円以下。たとえば、反町隆史のPOISONだったり。WANDSの「Little Bit...」だったり。あとやっぱりBON JOVIなBON JOVI。「You Give Love A Bad Name」かけたいよな。合唱したいよな。その中の僕チョイスが、チェッカーズのラストライブのアルバムだったんです。欠片も興味がないけれど、リズム隊8ビート上手いよな、とか、何今仲悪いの?どうでもいいな(ファンの方すいません)など、小さな盛り上がりの記憶が鮮明に思い出されるんです。こういった小さな思い出の数々がいくつも積み重なっているから、何となく捨てるのを躊躇してしまうんです。

(3)捨てると0になるが捨てないと可能性は無限

最終的にはこれなんです。今は使わないかも知れないけど、いつ使うか分からないじゃないか。たとえばホコリを被ったMTR(録音機材です)。今音楽活動はできないけど、自分ひとりで作曲してYoutubeにUpして、TuneCoreとか使って各種サブスクでブレイクするかも知れないじゃないか。しないんですけどね、ど~う考えても!でも、ある意味不惑を前にした、首の皮一枚つながった「若さ」が抱える、ピュアな気持ちです。大切にしたいじゃないですか。

2.捨てられないのは情緒である。ならば論理で攻めよう

以上のことから分かるように、僕は一過性の情緒に囚われたダメ人間なんです。まぁ、それはそれでいいとしましょう。しかし、今はコロナです。で、そんな自分を変えなきゃいけないことは、本当は自分でもわかっているんです。「岡村さん、…結婚したら?」わかっとるわやべっち!noteにいる数多の皆様と同じように、私もやべっちのスピーチに心打たれた一人です。私も、あなたの数多くの作品の中の一人です。なので、ちょっとここは自分の未来のためにも、大断捨離を行うことに決めました。

さて、断捨離を行うにあたって、僕は一点、明確な基準値、というか、判断基準とする「問い」を決めました。これ、断捨離を成功させる唯一の頼りとなるキラーフレーズです。

「今手に持っているアイテム、直近3年間で、1回でも使用したことがありますか?」

この1点です。他には何の基準もありません。CDの場合、PCに取り込んだ音源を聞いたことがある、というのも含むのか?という話はありますが、それは「CDそれ自体を捨てない理由」にはならないので、除きます。だって、CDを捨てても、取り込んだら音は聞けるわけですから。シンプルな方が行動に出やすく、スッキリします。

この質問をしてみたところ、驚くべきことに、(2)グループのアイテムは、ほぼすべて当てはまりませんでした。つまり、これらのアイテムは、定期的に思い立って掃除をした際に、「ああ…あんなこともあったよなぁ」と、かつての記憶を思い出すためだけに存在していたのです。それほどまでに使用頻度が少ない品物を、今なお「いや、これは大切なものだから」と取っておくのでしょうか?不惑を前に、それはあまりに空間生産性の低い選択肢と言わざるを得ません。だって、思い出に浸りたいならPCで音楽聞けばいいだけですからね。

あと、たとえば20代の頃に惰性で買っていた「キン肉マン」の文庫本。ちょっと流行りましたよね、「ジョジョ」とか「北斗の拳」とか。なんとそれに至っては、僕は20代の頃に文庫本を買ってなお、30代に入って電子書籍でも買っていたのです。なんなら、年末年始に買っちゃったコンビニ本。これも流行りました。ひどい場合は、(1)電子書籍(2)文庫本(3)コンビニ本、3つ同じものを買っていた場合もありました。なんてことだ。今しきりに「生産性をあげよう」の世の中で、こんな非合理的な選択肢。仕事だったら絶対にしません。やったら首です。

ここに至って、僕は断捨離の秘訣を知りました。断捨離とは、情緒ではなく、論理だと。その1点を徹底して今日、要らないものを次々と(ブックオフ買取用の)ダンボールや、ゴミ袋に入れていきました。そうすると、あっという間に15箱のダンボールが積み上がっていきました。

いちおう、CDの場合は、「3年間使っていない※PCに取り込んだ音源を除く」としてしまうと、もはや残るCDがゼロになってしまうので、「インテリア的価値=自分が好きな音楽はこれなんだと表明する手段としての価値を保っているもの」は残しました。それでも、持っている音源の1/10程度になりましたけど。

その他にも色々とありました。友だちから誕生日プレゼントに(洒落で)もらった紗倉まなの写真集、昔買ったファミコンの互換機(ケーブルが黃赤白)、高校の学祭で出し物宣伝のためにわざわざ買ったメガホン・・・。

これ、実際のところは、僕にとっての馬謖です。泣いても泣いてもなかなか切れない、人生をともにした友人です。でも、断捨離とは情緒ではなく、論理なんです。それをなくすことによって、切り捨てることによって、楽になるものが確実にありました。だって、僕は高校生ではなく、大学生ではなく、20代の若手会社員ではなく、不惑を前に、このコロナの難局を切り抜ける手立てをしっかりメンバーに提示しなければいけない、アラフォーのチームリーダーなのですから。悲しい気持ち、ないわけじゃない。遠い昔に、なくしてきたの。泣いて馬謖を、思い出を切るんです。

そんなこんなで、心を鬼にして積み重ねたダンボールは15箱。一人暮らしじゃありえない量ですよね。すみません反省してます。あと、ブックオフ以外で処理する処理する通常ゴミもとんでもない量になりました。しかし、コロナの中で貴重なパラダイムシフトの機会を頂いたと思っています。みなさんも、まだまだ遅くないと思いますので、「今までじゃ出来なかったこと」やってみませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?