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文明の発達

自分の鬱が少しひどくなって、家にいることが増えた。
家にいることが増えたというか、仕事にいけなくなったというか…。

やたらと時間だけはあるので家にいる時間で自分のことや、どうして鬱なんか生まれてしまったのか考えてみた。

私が思うに、私たち人間は文明、知能を持ちすぎてしまったのではないかと思う。
多分、生物として生きていくうえで必要以上にありとあらゆるものを持ちすぎてしまったがために生きることにあまり関係のないことでいさかいだったり悩みだったりが生まれてしまったのではないかと思う。

私の主な鬱の原因は人間関係と、社会生活。
人間関係は、職場の関係だけではなく、正直駅のたまたま同じ電車に乗っている人に対しても悩みというのは発生してしまう。
「この人、距離が近いな…」だったり「もう少し奥に詰められないのかな…。」とか「まだドア空いてないんだから今から押しても出れないよ…」なんて不満は日々募っていくもので、時には人間の醜悪さをまざまざと見せつけられることだってある。

突然横入りしてくるおばさんや平気でどついてくるおじさん。
年寄りでそういう汚い人間が多いのもより生きていく希望が無くなっていく要因の一つとなっているかもしれない。

そんな感じで私の目にはすべて負のものとして映ってしまうのでそれが人間関係の悩みとなって私に襲い掛かってくる。
最終的には電車を使って通勤が難しくなり、職場の近くに引っ越すか、もしくは車だったりタクシーだったりで行くしかなくなるのだが引っ越すお金もないし車は免許がないので無理だしタクシーもお金の問題で無理だ。

そして結局仕事にいけなくなる。

最近だとひどくなってプライベートで電車を使うことすら若干難しくなりつつある。平気で線路の中に突っ込みそうになるので危ない。

社会生活においても職場にはある程度先人たちが築いたルールやマナーがあるのでそれを最低限守らなければ仕事をするのに支障をきたしてしまう。
そして私は大抵そういうルールやマナーを守るのが苦手だ。

例えば職場で私が席を外している間に机にお菓子をそっと置かれたとする。
気づいた私は周りの人間に「どなたからですか?」と聞き、お菓子をくれた人に「お菓子、ごちそうさまです^^」なんて言いに行かなければいけない。

正直、こういうマナーが面倒で仕方がない。
仕事をするうえで本当にごみくそほど関係ない行為だと思ってしまう。
お菓子をくれたのは完全なる善意で、好意なのはわかっている。
そして、それに対してお礼を言いに行くもいかないも私の気持ち次第というのもわかっている。
相手からしたらお礼を言われようが言われなかろうがどっちでもいいことなのもわかっている。

ただ、ほかの人の目というのがこの世界にはある。
「あの人、何か物をもらってもお礼も言わない人なのね」
そう思われただけで仕事が円滑に進まないことなんかざらにある。

そこまで考え始めたらもうおしまいだ。
私は自分のペースで仕事なんかできなくなってしまう。

そして、どうしてこんなルールやマナー、世間体などが生まれてしまったのか。
一番初めの話に戻るが、それは私たちがやたらと発達した文明、そして知恵を身に着けてしまったからだと思う。
便利になりすぎてしまったので、こういうはたから見たらくだらないことを考えることでしか脳を使うことができなくなってしまっているのだと思う。

ある意味愚かで、退化ともいえると私は思う。

そんな、うつ病患者の考えた妄想でした。

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