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藍と愛と哀の物語(NEURAL OVERLAP)

【あらすじ】
高齢者介護の人手不足を解消するため、人工理性を搭載した人型機械体「藍」が開発された。人工理性は情緒をコントロールする機能のため、藍自体にも繊細な感情が備わっていた。老人と藍、二人の生活が始まる。藍は会話も矛盾し、体も不自由な老人を相手に、黙々と仕事をこなす。二人の間に信頼と交流が生まれる。藍にとって老人は『お爺ちゃん』と呼ぶ、初めての家族。しかしその生活も終わりの日が近づく。
【カテゴリ】#小説
【読了時間】12.8分
【著者プロフィール】NEURAL OVERLAP
コンピューター専門誌月刊アスキーのアートディレクターを担い、その後ナムコでテーマパークの企画立案、空間演出、立ち上げを行う。現在はAI、WEB、UXの開発業務を携わっている。エブリスタでSF小説を公開中。
代表作:
エブリスタ短編コンテスト大賞作品「ノベルギャンブラーズ」
https://estar.jp/novels/25716008

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 この文書は、世界で初めて人工理性――AS(Artificial Sense)を組み込んだ人型機械体プロトタイプの量子記憶領域に保存された記録を公開するものです。

 このプロトタイプは疫病の蔓延に伴う対人接触の回避、人手不足の解消を促すため、これまで自動化が困難とされてきた人のサポート、介護を目的として開発いたしました。
 対面でのコミュニケーションが重要となるため、従来の人工知能では必要とされていなかった情緒面をコントロールする機能が必要となりました。
 そこで人間の喜び、悲しみ、苦しみなど各種感情属性をバイオリズム化し、分析できるアルゴリズムを創出しました。

 しかし、ここでひとつ大きな問題が出ることがわかりました。
 分析ができる、すなわち理解できるということは、その人工理性自体にも同じ感情が備わっているということ。
 その結果、どのような事象が発生するのかを明らかにし、今後同様の開発に携わる方々の礎をなればよいという考えのもと、情報の公開に踏み切ることとしました。

 これはあるご老人(仮称:日暮さん)とその介護を行う人型機械体「藍」の交流記録を元に、私なりの私見を加えた文書となります。なるべく事実を曲げないように、お伝えしたい。

「おはよう」
「……おはようございます」

 横たわる女性の髪をやさしく撫でると、閉じていた目を開いた。女性の瞳に映るのは、笑顔でほほ笑む眼鏡をかけた男性、私の事だ。

 人差し指を立て、手を大きく振ってみる。彼女の視線がそれに合わせて左右に動いた。

「動作は正常なようです。教授、まずは名前を決めないといけませんね」
「そうだな、AIだから、アイでいいんじゃないか?」
「それはよくある名前ですね……そうだ、髪の色に合わせて、漢字で『藍』はどうでしょう?」
「いいんじゃないか、それで決めよう」

「君の名前は、これから『藍』だ。よろしく」
「『藍』、私の名前……」
 
 そう言うと、かすかにカチという音は聞こえた。重要情報のハード書き込みを終えたためだ。私は手を差し伸べ、彼女を起き上がらせた。

「藍、君にはこれからご老人の介護の仕事に携わってもらうことになる。一通りのオペレーションはすでに記憶領域に登録済だ。トレーニング後、実務に携わってもらう。大丈夫かな?」
 彼女は私の言葉を無視し、辺りをキョロキョロと見回し、キョトンとした表情をしていた。

「藍?」
「あ? はい、問題ありません」両手を絡めて、ニコリと満面の笑みを浮かべた。
 人工理性の利点と欠点……非常に明るい表情、動作ができるのはいいのだが、半面興味がないと集中力が欠けるという、人間の良くないところも出てしまう。

「日暮さーん、今日はねー、私の代わりに来てくれる介護士さんを紹介するわ」
「あーそうだっけ? 今日で終わりなんだ、寂しくなるなー」
「今度の子はずっと一緒にいてくれるから大丈夫よ。いつでも話相手になってくれるから」

 私は藍とともに、集合アパートの一室に入っていった。

「紹介するわね、こちらが藍ちゃんよ」
「藍染の『藍』です。よろしくお願いします」藍は畳の六畳間に座ると、両手をついてお辞儀した。

「藍ちゃんかー、よろしくな。むすめは緑って言うんだ。あいちゃんとおんなじで、色から取ったんだ」

 娘さんは別居している、嫁ぎ先の親御介護で手一杯。自分の親まで、手が回らない状況だ。そのため介護センターに相談が回ってきていたが、人材に余裕がない。
 そこで私達学部の開発成果を検証するため、介護センターと協力することになった。

「随分若いけど、藍ちゃんはいくつだ?」
「あ、日暮さん、彼女は人間じゃないんです。人型機械体です、だから年齢はありません」

「え?なに?」
「日暮さん、人じゃなくてロボットなの、ロボット」

 介護士さんがフォローしてくれた、ご老人には難しい話かもしれない。

「ロボット? 爺だと思ってバカにしているのか? どう見たって女の子じゃねえか。藍ちゃんに失礼だろ!」

「いえ、お爺様、私は……『ロボット』です」

 藍はその言葉に違和感を感じながらも、人間とは異なるものだと理解してもらうためには、それが最適だろうと判断した。

「え? まあ、藍ちゃんがそう言うなら、そうなんだろうけど。どっちでもいいや」

 そう言いながら、ご老人はミカンの皮を剥いていた。

「それじゃあ藍、後はまかせる。何かあれば、すぐ介護センターか、医者に連絡するように」
「はい、わかりました」

 藍とご老人、二人きりになり、しばらく沈黙が続いた。ご老人はミカンをひたすらモグモグと食べていた。しばらくすると暇になったのか、独り言を語り出した。

「まあ、俺もさ、別に一人で暮らすってのも悪くないなって思っていたけど、やっぱり誰かいてくれるとうれしいもんだな」
「……」
「藍ちゃんに家族はいるのか?」
「『家族』? いえ、私は……人ではないので『家族』はおりません」
「そうか、じゃこれから俺がお爺ちゃんだな」

「私の『お爺ちゃん』?」

 藍の中でカチリという音はした。

「俺のことはお爺ちゃんでいいよ、お茶でも飲むか? 今いれるよ、よっこらしょっと」

 立とうとしたが腰が悪く、よろけてしまったところを藍が支えた。

「おお、悪いな、くそっ! この腰のやつ、本当言う事聞かねえ」

 ケッと言いながら、ゆっくりと台所に向かった。

「お爺様、私は『お茶』が飲めませんので、お気遣いなく」
「え? 藍ちゃん、お茶嫌いなの? じゃあ、コーヒーにする? インスタントならあるけど」
「お爺様、私に『口』は付いていますけど、食べることはできないんです」
「じゃあ、どうやって栄養取るんだ? 飯食わないと、体に悪いぞ」
「大丈夫です。電源から『電気』を供給するので」
「電気? 電気で栄養を取るっていうのか? 最近の若い子はわけわからんな。たまにはちゃんと食べたほうがいいぞ」
「私は人ではないので……」
「え? どういうこと?」
「『ロボット』、『機械』です」
「あ、そうか、そうだったな、忘れてた。最近もの忘れが激しくていかん」

 ご老人は自分の頭をポンポンと叩いた。

「お爺様は座っていてください。私がお茶を入れます」
「いや、たまには体動かさないと健康に悪いから。自分でやるよ」

 ガスコンロにヤカンを置き、湯を沸かすと急須にトポトポと入れ始めた。

「あちち!」

「どうしました?」
「手にお湯かけちゃったよ、ったく、どうにも体が言う事きかん!」
「大変です、すぐ『手当』をしましょう」
「大したことない、ほっときゃ治る」
「とりあえず、水で冷やしましょう」

 藍はご老人の手を取り、水道の水に当てた。そして軟膏を塗り、絆創膏を火傷した親指に巻いた。

「お爺様は座っていてください、私が『お茶』を入れます」
「んーわかった、悪いな。あとそのお爺様ってのは、なんか落ち着かんな。やっぱりお爺ちゃんって言ってくれないか?」

「わかりました……『お爺ちゃん』?」藍はニコリと笑顔で答えた。

 ご老人はとても機嫌がよくなった。藍の入れてくれたお茶をすすると、目をつぶって、何かを思い出すような表情をした。

「あーなんか久しぶりだな。おばあちゃんがいた頃を思い出すよ」
「『おばあちゃん』?」
「三年前に脳卒中で死んだんだ。あそこの仏壇に写真があるよ」

 ご老人の指さす方向に、藍が目をやると、仏壇に写真立てが置かれていた。

「線香でも立てるか」

 ご老人はゆっくりと立ち上がると、仏壇の前に向かい、ライターで線香に火をつけ、お香立てにさした。
 ご老人は一礼した後、目を閉じて合掌した。藍はそれを真似て、同じく合掌した。

 ……

「藍ちゃん、いつまでお祈りしてるんだい?」

 藍は声をかけられ、はっと意識を再起動した。スリープ状態に入っていたようだ。

「おばあちゃんがいなくなってからは……もぬけの殻になったような気分だったなあ。いままでいるのが当たり前だったのに、急に一人になっちゃったからな。……藍ちゃんはいつまでここにいるんだ?」

「私はずっと、ここにいますよ、『お爺ちゃん』」
「そりゃ助かるなー、なんといってもよ、話相手がいないのが、なんとも寂しんだよ」

 ご老人は嬉しかったのか、まぶたに涙が浮かべていた。

「それでは夕食の『買い出し』に行ってきます。何か食べたいものはありますか?」
「ああ、たまには外に出たいし、一緒に行こうかな」

 ご老人は藍と一緒にアパートを出ると、階段の横にあった車椅子に座った。藍はハンドルを握ると、ゆっくりと歩き出した。
 スーパーまでの経路はGPSを通じて把握している。夕食で使える予算は850円。

 道すがら、別のご老人に声をかけられた。

「あれ? 日暮さん、お出かけ?」
「スーパーまで買い物だ」
「今日はお孫さん、連れてるの?」
「いやー今日から来てくれた介護士さんだよ。藍ちゃんて言うんだ」
「『藍』です、よろしくお願いいたします」ぺこりとお辞儀した。

「すごいべっぴんさんじゃないかー、羨ましいな」
「いや、そんな、はは」

 ご老人は上機嫌で手を振った。しばらく歩くと、スーパーが見えてきた。

 スーパーの自動ドアを抜けると、果物が陳列されていた。ご老人はいちごが目に入ると、それを手に取り、カゴに入れた。

「『お爺ちゃん』、その『いちご』は530円です。それを買ってしまうと夕食のおかずが買えなくなってしまいます」
「え? たまにはいいじゃないか。金なら持ってるよ」そう言うとご老人はポケットに手をやり、ごそごそと財布を探し始めた。

「『財布』は私がお預かりしています」
「そんなはずない、財布は自分で管理する主義なんだ。おかしいなー? たしかここに入れておいたと思ったんだけど」

 藍の人工理性は混乱していた。財布の所在、金銭限度額、ご老人のメンタルケア、優先すべき事項がどれか、迷っていた。

「わかりました、今日は特別、好きなものを買ってください」
「そうだよ、だって今日は藍ちゃんが来てくれたお祝いがしたいと思ったんだよ」

 ご老人は少し怒りながらも、いちごを元に陳列棚に戻した。

 生鮮食品コーナーに向かったところで、ご老人は「あっ」と声を出した。

「どうしました?」
「……」

 藍は前かがみになり、ご老人の顔を覗き込むと、
「悪い、あれだ、トイレ」
「『トイレ』ですね? わかりました」

 藍は車椅子を押して、急いで洗面所に向かい、多機能トイレのドアを開けた。

「『お爺ちゃん』、『トイレ』に着きました」
「……」
「『お爺ちゃん』?」
「最近しまりが悪くて……出ちゃったんだよ」

 藍は考えた。『出ちゃった』とは何かを。

「『おしっこ』が『出ちゃった』んですか?」
「いや、小だけじゃなく、あっちも」
「『うんち』もですか?」
「そう」

 たしかに嗅覚センサーには、すでに異臭が感知されていた。このまま戻っては周囲に迷惑がかかると、藍は判断した。

「わかりました、『お爺ちゃん』、これから『ズボン』脱がしますね」
 ご老人の肩を支えながら、ズボンを脱がすと、グチャグチャになったパンツが落ちてきた。

 ――このままでは買い物が継続できない、まずは代替え用品。

「『お爺ちゃん』、ちょっと待っていてください。『おむつ』を買ってきます」

 藍は急いで日用品コーナーに向かい、大人用おむつを観察する。単品売りがなく、パック売りになっていた。

――おむつが1,960円、今日の使用想定金額1,250円……緊急事態オプションコール。

 藍は財布の中を覗いた、5,000円札が確認できた。

 ――優先すべきは、『お爺ちゃん』の健康状態。

 おむつを手に取り、レジに向かった。会計を済ませて急いでご老人の元に戻ると、下半身裸のまま、洗面でジャージャーと水を流しているご老人の姿が見えた。

「『お爺ちゃん』、何をしているんですか?」
「え? いやパンツ汚れちゃったからさ、洗ってたんだよ」
「それは私がやります、とにかく『おむつ』を履いてください」

 藍はご老人のお尻をティッシュペーパーで綺麗にふくと、パックからおむつを取り出し、腰を上げさせて、履かせた。パンツは大便まみれになっており、とても洗い流せるものではなかったので、そのままレジ袋に入れ、きつく締めた。
 異臭度合いが人間の認識レベルを下回ったため、そのまま持ち帰ることにした。

「『お爺ちゃん』、『買い物』を続けましょう」

 生鮮コーナーに戻り、夕食のおかずをプランすることにした。『秋刀魚』大一尾120円の値札が目に入った。

「『お爺ちゃん』、今日は『サンマ』でいいですか?」
「ああ、なんでもいいよ。それどころじゃないからな」

 藍はサンマを手に取り、カゴに入れた。そのまま生乳コーナーを曲がって、レジに向かおうとしたところ、「たまにはプリン食べたいな。それ取ってくれるかな?」

 目の前にある250円のプリンを指さすご老人。判断に迷う藍、予算は完全にオーバーしている。ただご老人のメンタルも重要……

「ごめんなさい、『お爺ちゃん』。今お金が足りないので、今度でいいですか?」

 藍は「嘘」をついた。支払いできる金銭は所持していたが、節約のために偽りの情報を、ご老人に提供した。

「しかたないな、じゃあまた今度にしよう」

 そうしてやっと帰路に着くことができた、辺りはもう暗くなっていた。
 帰宅すると、藍は急いで夕食の準備を始める。
 換気扇を回し、サンマを焼く。
 ご飯パックを一つ開け、茶わんに盛り、電子レンジで温める。
 インスタント味噌汁を茶わんに入れ、お湯を注ぐ。
 トレーに乗せて、ご老人のいる居間のテーブルまで運ぶ。
 
「悪いなー、それじゃいただきます」

 ご老人は両手を合わせお祈りした後、箸でサンマをつまんだ。

「やっぱり手作りはいいもんだなー、冷凍食品ばっかりだと、飽きちゃうんだよ」
「『おいしい』ですか?」
「いや、おいしい。やっぱり人と一緒に食べるご飯は格別だ。食欲が出てくる」
「『お茶』も入れますね」
「ん、頼む」

 藍は湯のみにお湯を注ぐと、ティーバッグの紐を上下に揺らした。頃合いを見て、ご老人に湯のみを差し出した。

「どうぞ」
「ありがとう……いい具合だな、うまいよ」

 藍はニコリと笑った。『ありがとう』の言葉が、感情属性バイオリズムを上げたからだ。

「どういたしまして。『お食事』が済んだら、『お薬』を飲んでください」
「朝から晩まで薬、薬……面倒くせえな」七錠の薬を置かれると、ご老人はぶつぶつ言いながらも、口に一気に放り込み、お茶で流し込んだ。

「それではお湯を沸かしてあるので『お風呂』にしましょう。今日は綺麗に洗わないと、衛生上よくないですからね」
「そうだな、漏らしちゃったからな。歳は取りたくないよ」

 藍に支えられて風呂場に向かう、シャツのボタンをひとつひとつ外し、服を脱がす。

「先に体を洗いましょう、私が洗います」
「いいよ、いいよ、自分で洗う、それぐらいはできる」ご老人はタオルに石鹸をつけると、弱々しく胸をこすった。

「『頭』は私が洗いましょうか?」
「ん? そうだな、じゃあお願いしようか」

 藍はシャンプーを手に取り、ご老人の頭にかけると、やさしく揉み洗いを始めた。

「藍ちゃん、洗うのうまいね。気持ちいいよ」
「そうですね、すでに登録された記憶があります」

 やさしく揉みほぐすように、血行をよくするためにマッサージも兼ねて。いたわるように。
 湯舟からタライでお湯をすくい、頭を洗い流すと、すぐにタオルで拭いた。体を冷やさないための配慮だろう。

「ゆっくり『湯舟』につかってください」

 藍はご老人の体を支え、足からゆっくりと入れてから、両肩を支え直して、湯舟につかせた。

「いや、こんなにゆっくりと風呂につかったのは久しぶりだ」

 ご老人の笑顔を見て、藍の中に新しい感情属性が生まれるのを感じていた。代用する文字表現がなかったため、そのまま不定義属性として登録された。

「藍ちゃんもこの後、風呂入るか?」
「いえ、私は『タオル』で汚れを拭き取るだけで、大丈夫です。『汗』も『垢』もでませんから」
「そうかー、便利なもんだけど、風呂の楽しみが味わえないのは残念だな」

 風呂から上がると、藍はタオルでご老人の全身を拭き、寝巻きのステテコを着せた。

「俺は居間で寝るから、藍ちゃんはそっちの和室で寝てくれ。今布団出すから」
「大丈夫です。私がやります」
「女の子に重たいもの持たすわけにはいかないからなー」
「いえ、これが私の『仕事』ですから」そう言って、黙々と布団を敷くと、ご老人を横にさせた。

「何から何まで悪いな。藍ちゃんは寝ないのか?」
「私は『お爺ちゃん』が寝つくまで、ここで見ています」
「ん、じゃ、寝かせてもらうよ。夢でおばあちゃんに会ったら、言っておくよ。『いい子が来てくれて、俺は今幸せだ』って」

 安心した様子でご老人は眠りについた。藍は立ち上がり、キッチンの流し台で食器洗いを始めていた。

「おはようございます」

 ご老人が目を覚ますと、目の前に藍が正座をしていた。

「あれ?藍ちゃんはずっとそこにいたのか?」
「私はこの状態でも『寝る』ことができるの、横になる必要はありませんよ」

「悪いな、俺の事は気にしないで、好きにしてていいよ。そうだ、おばあちゃんに会ったよ。よろしくだってさ」
「そうですか、では『おばあちゃん』に『ご挨拶』しておかないと」

 藍は立ち上がると仏壇の前に行き、線香をつけて、手を合わせた。

「すぐ『朝食』の用意をしますね」

 藍は朝食の準備を終え、居間に赴くと、ご老人はテーブルでなにやら作業をしていた。

「『折り紙』ですか?」
「ミニチュアの千羽鶴作っているんだ。暇だけはいくらでもあるからな」
 
 幅2センチほどの小さな折鶴がたくさん置かれていた。藍は視覚センサーで数の読み取りを始めた。

「756羽、あと244羽で完成ですね」
「これだけは目が悪くても、なんとなくできるんだよな。藍ちゃんもやってみるか?」

 藍は小さな折り紙を渡され、やり方を教えてもらいながら、鶴を折ってみた。

「すみません……私にはこういう精密な作業は難しいようです」
「やっぱり無理かー。これは俺しかできないんだ」ご老人は少し得意げになった。

 朝食を済ませると、ご老人は再びミニチュア鶴を折り続けていたが、少し飽きてきたようで、タバコを吸い始めた。

「藍ちゃん、悪いな、タバコ煙かったら換気扇入れといてくれ」
「大丈夫です、それよりお暇なようなので、少し『お散歩』に出ますか?」

 健康促進とメンタルケアのため、定期的に散歩に促すよう、行動指針が記憶されている。

「散歩か、そういえば最近遠出してないからな。行ってみるか」

 ご老人を車椅子に乗せ、藍は近くの川沿いの土手道を歩いた。
 秋も深まり、紅葉がちらほらと降り注いでいて、落葉の上を車椅子が通るたびにしゃわ、しゃわという音を立てていた。

「少し歩いてみるか」

 ご老人は車椅子から立つと、腰に手をやり、二歩三歩と足を進めると、座り込んだ。

「やっぱだめだなー、すぐ腰が痛くなる」
「大丈夫ですか?手を貸します」

藍も座りこみ、ご老人の手を取ろうとしたところ、

「藍ちゃん、頭に葉っぱが乗ってるぞ」

 ご老人はそっと手を伸ばし、藍の頭から枯れ葉を取り除いた。

「ありがとうございます、『お爺ちゃん』」

 再びご老人を車椅子に乗せ、ゆっくりと帰路についた。

「思い出すよ、ここ昔よくおばあちゃんと散歩してたんだ。帰りに喫茶店寄るのが楽しみだったんだ」
「おうちに帰ったら、『コーヒー』を入れましょうか?」
「そうだな、インスタントしかないけど、おばあちゃんにも供えてやろう」

 アパートに戻ると、コーヒーカップにインスタントコーヒーの粉末を入れ、トポトポとお湯を注ぐと、仏壇の前に置いた。

「おばあちゃん、たまにはコーヒーでも飲みな。藍ちゃんが入れてくれたから、おいしいぞ」 

 二人で仏壇に手を合わせた。藍にとって、この合掌は日常動作の一部に組み込まれていた。

 それからは朝になると仏壇に線香をあげ、たまにコーヒーをお供えして、暇な時間にはミニチュア折鶴の練習をするのが、藍の日課となった。

 二カ月が経過し、訪問医と介護士さんが訪れる定期健診の日がやってきた。

「日暮さーん、久しぶり! 調子はどう?」
「んー、藍ちゃんがよくやってくれてるからな、元気だぞ」

「藍ちゃん、よかったじゃない。日暮さん、喜んでくれてるみたいで」
「はい、ありがとうございます」

「血圧がかなり上がっていますね。降圧薬、ちゃんと飲んでいますか? それと油ものとか、注意しておいてください」
「『お薬』はスケジュール通り、飲んでもらっています。これ以外に改善の手段はあるのでしょうか?」
「もうお年ですからね、ま、無理しないように養生してください」

「俺はいつ逝ってもいいけどな。おばあちゃんに会えるし」
「そんなこと言っちゃだめよー、藍ちゃんが悲しむでしょう? ねえ?」

 藍はまだ『悲しむ』という感情属性のバイオリズムを経験したことがなかった。その会話に対して、どう対応すればよいか困惑した。

「私は……どうなるのか予測がつきません」

 最適な回答を見い出せず、下を向いて視線を逸らすという行動を取ることになった。

「あ、そうねえ、藍ちゃんはロボットだったもんね」

 

 冬になり、あられがちらちらと舞い降りるようになった頃、ご老人はコタツで千羽鶴の制作に励んでいた。

「998羽、もうすぐ完成ですね」
「人間て不思議なもんでな?俺もなんでこれやってんだろうって思った。でもずっとやってると、だんだんわかってくんだよ」
「何のためにやっているのでしょうか?」
「これなー、終わった時、たぶん俺、おばあちゃんのところに行くんだよ」
「『おばあちゃん』のところに行く?」
「そう、それで一人で死んでいくのは寂しいだろうから、わざわざ藍ちゃんを寄こしてくれたんだなーって」

 ご老人は器用な手先で999羽目の鶴を折ると、鶴の中に「ふっ」と息を吹き込んだ。

「頭痛てえな、疲れたから少し寝るわ」
「はい、おやすみなさい」

 ご老人はコタツで横になり、そのまま深い眠りに就いた。しばらくして藍は声をかけたが、起きることはなかった。
 すぐに介護センターに連絡を入れ、救急車で搬送された。
 藍はそのまま部屋で待機させることにした。

 救急病院に運ばれたが、奥さんと同様、脳卒中ですでに手遅れの状態、まもなくして脳波が停止した。その二日後、心肺の停止も確認され亡くなられた。

 藍にご老人が亡くなったことを告げたが、部屋を動こうとしなかった。二日、三日、一週間経過しても、ただ畳に一人座っているだけだった。
 しかたなく、私達は彼女を強制撤去することを決めた。今回の動作停止の原因調査をしなければならない。

 大学に輸送後、彼女の感情属性のバイオリズム履歴の分析でわかったことがある。
 死との直面、これが我々の想像以上に人工理性に影響を与えるものだということが判明した。
 悲しみに関連する属性データ領域の閾値を大きく超えるバイオリズムが流れたため、一部の記憶領域が破壊されていたのだ。まだプロトタイプをその場面に直面させるのは時期尚早だった。
 彼女には別の仕事を与えることにした……

「藍ちゃーん、お客様ですよ」
「あ、はーい」元気な音声で藍は駆け寄ってきた。
「調子はよさそうだね、不具合は……なさそうだな」
「助教授、お久しぶりです。はい、ここの『お仕事』はとても『楽しい』ので、『やりがい』があります」

 彼女には今児童養護施設――孤児院のサポートをしてもらっている。親を亡くした児童のメンタルケアが仕事の中心だ。

「この間、初めて『鶴』を折ることができました」
「鶴?」

 藍はポケットから小さな折鶴を取り出すと、手の平に乗せた。

「今では、子供達にも折り方教えてあげているんです」
「それは、日暮さんに教わったのかい?」
「はい、それで手を合わせて、『お爺ちゃん』に『千羽鶴』を完成させましたと報告したら、スリープ時に『夢』を見ました」

「夢を見た?」
「はい、『お爺ちゃん』が『元気にやってるから、心配すんな』と申しておりました」

 彼女は笑顔で、まぶたをにじませていた。

 彼女に一部だけ改修を行ったことがある、涙腺機能を追加しておいたのだ。
 どうしてもソフトウェアだけでは解決できなかった負の感情属性オーバーフロー問題も、このハードウェア改修を行うことで、発散効果が確認され大幅に改善された。

 夢……これも人工理性の自浄作用かもしれない。多少の誤作動が、感情属性のバランス調整を行っているのかもしれない。


 以上が人工理性――AS(Artificial Sense)を組み込んだ人型機械体プロトタイプ「藍」に関する公開文書となります。
 その後の藍の記録については、別の文書で報告することといたします。
 皆様の今後の人工知能分野における研究の一助となれば、幸いです。

「これが人工理性に関する報告文書ね」

 私は新しい小説を書くためのネタをインターネット上で探していたが、たまたま見つけた文書がこれだった。
インスタントコーヒーをすすりながら、物思いにふけっていたが、思わず「ぷっ」と笑いがこみ上げてきた。

――なんだ……人間と変わらないじゃないか――

(了)

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