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「社長を辞めたい。」と言った日

拡大の弊害

 これはもう記憶も朧気な創業三年目ぐらいのこと。社員数は8名程度だった二年目の終わり、そこから一気に20名以上に拡大していったそんな折のお話。

 当時は事業も徐々に軌道に乗り始め、「人さえいれは業績がガンガン伸びる!」そんな確信にも似たカン違いをして多くのメンバーを迎え入れていっていた。
 決して「読み」とか「感覚」というような経営判断ではなく、事業計画を立て事業のプロセス設計や課題抽出なんかも9年目のミライユとほぼ変わらないぐらいにはすでに完成されていたように今でも思う。

 ところが徐々に経営状況は悪くなる。新しいメンバーが入ったことによる人件費や、新たなサービス利用者を募るための広告費は倍増。一方の売上はといえば育成の遅れも影響しコストの倍増をカバーできるほどの伸び方はせず、とたんに赤字や黒字を行ったり来たりする不安定な状況に。

それでも特に何の不安も無かった。「最悪自分が何とかすればいい。」そう思っていたからだ。思えばこれが終わりの始まりだった。

全ての事業を自分で見る決意

数ヶ月経っても目に見える変化は無く、業績は改善せず通帳の残高はジリジリ目減りしていく。いよいよ僕は業を煮やし、管理職たちの打っている施策をことごとく指摘し、メンバー一人ひとりの案件の内容までチェックをしていった。そしてそこから数ヶ月、僕の介入をはじめた組織は売上が改善した。そして、あらゆる部署で人が辞めていった。

事業の売上は改善したものの、一から十までプロセスをチェックし、メンバーの意思なんてものは聞こうともせずひたすら目の前の数字のために行動するリーダーにもはや周囲は興ざめしていたのだろう。メンバーの育成なんていう観点は失われ、「考える」なんてことは必要とされず、ひたすら僕に指摘されないように行動する。そんな組織になっていたのだと今ならわかる。

そしてメンバーの前で「辞めたい。」

当時から僕の思考は今と大きく変わらないので、「メンバーがイキイキ働く」だったり、「メンバーの雇用は自分が守る」なんて耳障りの良い言葉を言っていた。そんな言葉に動機付いていたメンバーたちだからこそ、このような僕の言動に嫌気がさしたのだと思う。こう言ってしまうと他人事のように聞こえてしまうが、嫌気がさしたのは僕も一緒だ。もちろん自分自身に。

「社員を幸せにする」「業界の将来を良くする」などと言いながら、結局は自分の会社の事業すらうまくコントロールできず、業績が上がらなかっただけなのにメンバーの幸福どころか、結果が出ないことをメンバーのせいにして、毎日指摘指摘の繰り返し。ミライユという会社に期待をもって入社してくれたメンバーをこれでもかというぐらいに裏切ってしまったわけである。

そしてその日はやってきた。

ある日の夜。ほとんどの社員はすでに帰社しており、たまたま夜まで残っていた3人のメンバーと今後の会社の話をしていた時である。最初は普通に話していたのだが、今までの自分の不甲斐なさやそれに付き合わせてしまっているメンバーへの申し訳なさ。これから会社を本当にやっていけるんだろうかという自信のなさなどが相まって、思わずメンバー3人の前でこの言葉を吐いてしまった。

「会社を辞めようかと思っている。自分には資格がない。」

こんな無責任なことを突然いうのもどうかしているし、今なら絶対に言わない。でもこの時はこれが本心だった。とにかく自分が会社のトップにいることが、結果メンバーを不幸にする世界しか見えなくてどうしていいかがわからなかった。続けてこんな言葉を言ったような気がする。この時はもうぐちゃぐちゃに泣いていたので記憶が曖昧だがきっとこんな言葉を。

「自分にもっと力があれば。自分にもっとカリスマ性のような周囲を引っ張っていける力があれば。もっとキラキラした世界を創ることができたら。こんなにみんなを辛い状況にしなくて良かったし、離職者も出さなくて良かったかもしれない。もう自信がない。せっかくであれば、僕に対して思ってることを全部教えてほしい。」

多分こんなことを。ながーいながい沈黙のあと、その中のメンバーが重い空気をやぶって言葉を投げかけてくれた。これが僕の人生を変えてくれた言葉だ。

「僕らは岡田さんにカリスマ性なんかを望んでるわけではない。事業がうまくいかなかったのは自分たちのせいだし、自分たちも責任を取らないといけないと思っている。岡田さんは全責任をいつも自分一人で負おうとするけれど、僕らだって自分の会社なんだからいつだって良くしようと本気で思ってし責任は感じている。岡田さんから見たらまだまだ無力かもしれないが、きっと岡田さんが思ってるより会社のことを考えているし、思ってるよりちゃんとできる気がしている。なのに全部一から十まで介入されてしまったら、僕らのことを信用してくれてないのかな?と悲しい気持ちになる。なのでもう一度自分たちにまかせてくれないか?それでもダメなら助けてほしい。」

涙腺が崩壊した。そしてここまで考えてくれるメンバーに対して、自分が今まで取ってきた対応を考えると自分に失望した。そしてメンバーに感謝という陳腐な言葉では語り切れないぐらい「ありがとう。」と思った。

180度方針転換。一蓮托生の覚悟

この日から僕のマネジメントスタイルは180度変わったと思う。ビジョンと大まかな方向性を責任者と握る以外は、現場で起きるすべてのことは責任者に任せることにした。「ここまで業況が悪化したら介入する」というラインを責任者と決めて、それ以外の意思決定に関してはすべて任せた。今までであればパフォーマンスが悪いメンバーがいると全部案件をチェックして、改善方法を責任者に伝達したりしていたがそれもやめた。僕がやることはチョコを配るぐらいの係だ。

マイクロマネジメントによるパフォーマンス改善という手段しかもっていなかった当時の僕からするとこの方針は結構斬新でストレスフルなものだった。毎日朝会社に行くときは吐き気がしたし、事業の数字の進捗を見ながらもっとこうしたいのにな~~~~と心では思っても飲み込む日々。ストレスがたまると食事もガンガン飲み込むタイプなのでまぁ太った。来客とかがあると「おっ!太りましたね!儲かってますね。ははは。」というお客さんの言葉にいちいちイライラした。

まさかの業績回復とごめんなさい

ただしそんなイライラも1か月ぐらいだった。前述の言葉をかけてくれたメンバーを中心に、こちらから見ていても必死に、とにかく必死に頑張ってくれた。不信感があるであろう僕にも積極的に意見を求めてくれた。そんな甲斐もあって業績は一気に持ち直していったのだ。

改めて創業してから数年の間、いったい何を自分はやっていたのだろうという悔恨の念と、これはもしかしたら新しいマネジメントスタイルになっていくのではないかという期待めいた感情がそこで芽生えたのを思えている。
今思えば、僕がガッツリ現場までマネジメントしているときは「心理的安全性」も低かったのだろう、メンバーは「〇〇したい」という願望などいえるわけもなく、必死に考えた施策も僕によって秒で潰されてしまう。こんな環境で働きたいと思ってくれるわけがない。自分が現場を離れてから、目に見えてメンバー同士のコミュニケーションを増え、それぞれが以前とは比べ物にならないぐらい前向きに業務に取り組んでいる。

ごめんなさい。本当にその一言だけだ。なんで最初からメンバーを信じて任せることができなかったのか。離職していったメンバーには特に謝っても謝り切れない。

新たなミライユの方針。「全部任せる」

多くのことをここで学んだ。特に学んだのは「社長の仕事」は何か?ということだ。ひとつは「ビジョンを創る」ということ。メンバーたちがいっしょ目指したい!と思ってくれるそんなビジョンを創れるのは僕だけだ。悪いかがここだけは譲らない。もうひとつが大きく変わった点。「ビジョンを体現していくのはメンバー。社長はその力をつけてあげる係に徹するべき。」ということ。ビジョンに紐づいた事業計画だったり、日々の課題抽出や施策の立案、なんなら新たなメンバーの採用や育成なんかも、全部メンバーが中心でやれるようになっていくそんな組織にしたい。僕は今後細かな口出しはせず、彼ら自身が考え、力を培って、社会貢献をし、新たな世代へとつなげていく。そんな方針にしたいな~と考え始めたのもこのあたりから。そうきっとここら辺から「会社って力をつけるための学校でいいんじゃない?」みたいな考えになっていったんだと振り返るとそう思う。

「会社なんて学校でいい」の中にいる生徒は結構大変だけどスゴイぜ!

そして2022年の今、ミライユという会社なのか学校なのかわからない組織は100人の規模をいよいよ迎えようかというステージに来ており、新卒5年目のメンバーと、あの時僕に声を変えてくれたメンバーが変わらず責任者をやってくれている(←これすごいと思うんです)。
新卒5年目というと、この一連の事件の最中に面接をしながら、事件後に入社をしてきたメンバーである。いざ入社をしたら「学校だぜ!なんでもやらせるぜ!世代」である。なんとも向こうからしたら迷惑なことだ。

 それでも彼らは1年目から結果を出し、チームリーダーになり、3年目から事業責任者になり、今では新規事業を考えたり事業計画を書いたり、採用も一から全部やっちゃうし、最近だと事業部のミッションビジョンなんかも自分たちだけで考えちゃう。これって結構すごいことだと思っています。でもそこにはメンバーたちの並々ならない努力があるのは言うまでもないと思います。
 もちろんたくさんのインプットをしているし、おそらく休日なんかも努力してるのは間違いないです。僕はそのサポート係でしかないですが、唯一守っているルールがあります。それは「意思決定」をすべて彼らに委ねること。僕と意思決定が割れることもありますが、その場合は彼らの意思をまず尊重します。これは彼らからすると新卒1年目からずーっとその文化の中にいるわけなので大小含め「意思決定」の頻度は同年代と比べて相当多いと思います。

会社なんて学校でいいの本質は「決めること」

 彼になぜ社会人のスタートから意思決定をさせ続けるかというと、ミライユという存在は彼らの人生をよりよくするための「学校」に他ならないからです。これから先の人生で多くの意思決定を迫られるタイミングはあります。それが人生を大きく左右することも多々あります。そんな時に「ミライユ」で数多くの意思決定をしてきた経験から、日々頑張って思考力をつけてきた経験から、人の人生を左右してしまう恐怖と戦ってきた経験から、自らの人生を切り開いてほしいと思っているからです。だからこそこのミライユという「学校」で自分の人生の選択肢を決める練習をしてほしいなと僕は考えています。「決めること」それはとっても難しくて、経験がなくては、いきなり目の前に選択肢を提示されてもパッと決められるものではないでしょう。でもきっと彼らなら自分の人生をバシっと選択できるんじゃないかな~と目の前でワチャワチャしている姿を眺めながら思っています。

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