自分を大事にしてから変わった考え方
自分を大事にする、という感覚を掴めるようになってから、色々な変化がありました。
・老後のことをきちんと考えるようになった
今の自分だけではなくて将来の自分のことも大事にしたいという気持ちになりました。老後の自分が困らないように、ある程度の貯蓄をしたり、人間関係を大事にしたり、健康をキープしたいと思っています。若い頃はどうせ死ぬしどうでもいいや、と投げやりになってギャンブルばかりやっていたり、恥ずかしながら借金も作りました。最近では家計簿や自分の健康状態をエクセルで管理していたり、将来のこともきちんと考えるようになりました。
・本当にやりたいこと、やりたくないことがわかってきた
昔は、自分のやりたいことがわからなかったので、周りから評価されそうなことや、その場の雰囲気で適当に物事を決めていたように思います。やりたいことややりたくないことが浮かびかけても、「わがままかな」「別にいいや」と蓋をしていたことが原因だったのではないかと思います。例えば、会社選びをしたときも、本当は転勤をしたくないのに、「転勤くらいは我慢しなきゃ」と思って転勤のある会社を選んでしまったりとか、そういう人生の大事な場面でも、自分の気持ちに蓋をしている内に、自分の本当の気持ちがわからなくなりました。
一方で最近は、「〇〇したい」というわがままを、いかに叶えるかということが一番の関心ごとになっています。例えば、転勤や単身赴任をしたくないから、今の会社でわがままを貫いて出世から外れるか(もう休職したから外れちゃった笑)、転勤のない会社に転職できるように市場価値をアップさせるとか、そのために難しい資格をとったりするとか、そういうことが目標みたいな感じになっています。
・過去の嫌だったことや失敗や挫折などが、すべて意味のあることだったと思うようになった
自分のことを大事にするということは、過去の自分についても大事にするという姿勢が必要だと思います。そして、そういう風に生きていかないと、いつまでたっても幸せになれないなと、あるとき気がつきました。自分が幸せになるためだったら、無理やりにでも、多少強引にでも、それに意味付けをしようと思っています。(『夜と霧』で有名なヴィクトール・フランクルも似たようなことを言っていた気がします。)
ネガティブなことを経験しても、それを乗り越えたと言うよりかは、「生き抜いてきた」ということに自信を持とうと思ってます。実際、大学留年したり、借金したり、躁鬱病になって休職したり、いろんな失敗がありましたが、その分、自分の幅が広がったし、他人に対しても多様性を理解できる人間になりました。何なら、そういう人間になることが目的だったのではないかと、勝手に意味付けをしようとしています。
もちろん、失った時間や味わった苦痛は、パンの焦げとか魚の骨みたいなもので、できるなら食べたくないし、吐き出すべきものだということは間違いありません。ただし、そんな不味いものやトゲのあるものを食べて出血しても、「生き抜いてきた」ということは間違いない事実ですし、それに自信を持った方が、幸せな気分になれるんですね。それに、一度焦げを食べて苦しんだら、もう同じ焦げを食べないように気をつけることができますから、そういう意味でも経験値が身についたんじゃないかと思います。そんな感じで、誰にバカにされようと、恥ずかしいと思われても、自分だけは「偉かった!」「意味のあることだった!」と気合いで思おうと思っています。
ざっと三つほど、「自分を大事にする」ことで、変化した考えについてお話しました。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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