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自分を道具にする思考法

釘(クギ)ってトンカチで打たれないと、価値はないですよね。自分を道具にするということは、自分も釘のように、誰かに打たれるのを待つ、利用されるのを待つということなんだと思います。

誰かに利用されること、言葉を変えれば、役に立つと褒められたり、承認されたり、喜ばれるために生きてしまうと、自分のみでは、自分に価値を感じることができないようになります。そのような生き方をしていると、自分の価値を誰かに委ねることになりますし、その誰かに依存してしまうことになります。

もしその誰かの機嫌を取ったり尽くしたりして、期待した通りに褒められたり感謝されれば、自分の価値を感じることができるので、自分で自分の価値を見出そうとする努力をしなくて済むという意味では、楽かもしれません。

しかし、その依存している相手が、いつでも期待通りの反応を返してくれる訳でもありません。期待通りに感謝されない度にショックを受けて悲しんだり、自分の貢献が足りなかったからだと見当違いな反省をして、さらに労力を注ぎ込むといった貢ぎ行動をしてしまいます。

そして、何事にも限度はあるので、挙げ句の果てには、その相手のことを勝手に恨んだりしてしまうのがオチなのではないでしょうか。「こんなに私は頑張ったのに」と。

ただ、その相手はこう思っているはずです。「そんなことを一言も頼んだ覚えもないのに勝手に色々してきたのはお前だろ」と。もしどんなに努力をして相手に尽くしたり労力を注いでも、褒めて欲しい、愛されたい、承認して欲しい、という勝手な願望を抱いて、それを相手に強制していれば、その相手からすれば、押し付けがましくて不快なんだと思います。

そして、どんどんお互いに不満が溜まって、結局、人間関係は破綻して、新たな依存先を探すというループに入るのでは無いかと思います。自分を道具にする生き方というのは、そんな悲しい結末しか待っていないと思います。

そんな不自由で悲しい生き方よりも、自分が生きていることの価値を、自立して自分自身で感じることができるように、生き方や考え方を工夫する方が、よっぽど労力が少なく済むのでは無いかと思います。

具体的には、自分で自分を喜ばせる、褒める、承認するということです。一人でも楽しめるような物事に没頭したり、自分のマイナスな面も肯定して、自己肯定感を上げることです。また、「〜しなければならない」といった思い込みを捨て、自分の自由意志を尊重し、自分を自分で癒し、機嫌を取るということです。

そうすれば、あえて自分を道具にして、誰かに利用されたり、褒められるために無限に労力を注ぎ込んで、結局自分には何も残らないといった「コスパの悪い生き方」をしなくても済むのでは無いかと思います。

ただ、誰かに愛されたいという願望が強いと、そのために努力をしてしまうことになります。愛情欠乏は非常に厄介なんですね。アダルトチルドレンといわれるような、潜在的に愛情欠乏を抱えている大人は、自分を道具にするような生き方を選択してしまう傾向があります。

その場合は、愛情を貰うものではなくて、好きな人や好きな物事に接している内に自然と自分の心に醸成されていくものが愛情だという認識を持てば、だいぶアダルトチルドレン的な気質は改善していくのでは無いかと思っています。(これは体験談なので、完全な私見です。)

最後までご覧いただきありがとうございました。


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