見出し画像

「身長」と同じように「心」にも変えられない領域がある

こんにちは。AKERUです。

「身体」について考えると、それぞれ個人差があって、自分の努力ではどうしようもない領域があることが容易に分かります。そして、「心」についても、同じことがいえると、僕は考えています。

例えば、身長が低いことを、「努力不足」だと怒られても、どうしようもありませんよね。なぜなら、その身長は、自分で選んだわけではないからです。また身体能力や歌唱力など、身体の機能についても個人差が大きく、誰でも練習次第でオリンピックや紅白歌合戦に出れるわけではありません。きっと「身体」は、生まれるときに神様がランダムに手渡してきたものなんだと思います。

それと同じように、「心」にも個人差があって、自分の努力ではどうしようもない領域があると、僕は考えています。しかし、問題が一つあって、心は身体と違って目に見えないので、努力でどうにでもなると思われがちなんです。

例えば、「優しさ」が少ない人に対して、「なんであの人はあんなに冷たいんだ!」と怒りを覚えたことはありませんか。僕はたくさんその経験があります。悪口言いふらす職場のお局や、道でぶつかって謝りもしない人に対して、いつも怒り心頭でした。

しかし、「身長」と同じように、「優しさ」にも個人差があるはずです。どれだけ努力したり、例え道徳の授業を1,000時間受けさせたとしても、「優しさ」が身に付かない人もいます。そして、身長が低いことを責められないのと同じように、その人を批判したり怒ってもどうしようもないんです。

なぜなら、その人が自分でその心を選んだわけではないからです。きっと「優しさ」が身に付きにくい心を、生まれるときに、神様から手渡された「運が悪い人」なんだと思います。

もう一つ例を出すと、いつまでも被害者意識が強いタイプの母親に対して、「もっと自分で心理学とか勉強したり、少しは自分で改善しようと努力しろよ!」と怒りが抑えられませんでした。

しかし、思考力がなければ、「問題点」を把握して自分なりに「解決」に導くことは難しいですし、最低限、簡単な文章さえ読むことができないのであれば、心理学の勉強なんてできないのではないかと思います。そして、大切なポイントは、そういった「心」を、母親が自分自身で選んだわけではないということです。

昭和半ばに、農家の娘として産まれたので、おそらくそこまでちゃんとした教育を受けられずに育ったのだと思います。また、兄弟が多かったので、愛情不足のまま育ってしまった可能性があり、何か心理的な問題が発生したとしても、自分で考えずに、短絡的に誰かのせいにして被害者意識をもつことで、他人に優しくしてもらう処世術のようなものを身につけてしまったのだと思います。

これらの生まれ育った環境や、元々備わっていた知能指数などは、決して母親が自ら選んだわけではないし、「身長」と同じで、それを責めてもどうしようもないんですね。

「自分次第で人生は変えられる!」という言葉は、とても前向きですし、勇気がもらえます。しかし、何でもかんでも「自己責任」にしてしまうと、自分の力が及ばない問題に遭遇したとき、無力感を抱えてしまったり、他人に対して「努力不足だ!」と責める気持ちが発生してしまい、精神衛生状、かなり悪影響なのではないかと思っています。

特に心の問題は、目に見えにくい部分なので、「もしかしたら自分が何とかすれば、その人を変えられるんじゃないか」と無理な期待を抱いてしまったり、「あの人が変わらなかったのは自分が悪いからなんじゃないか」と罪悪感を抱いてしまうことにもなりかねません。

ですので、「心」についても、「身長」とおなじように、変えられない部分があるということを、心に留めておくと、精神的に良いのではないかと思います。

そのイメージの仕方として、「心」は神様がランダムに貸した自動車のようなものだと考えれば、わかりやすい気がしています。

例えば、野山を自由に駆け巡れるアウトドア車かもしれないし、一人で長旅を楽しむ大型バイクかもしれません。操作がとても難しい車かもしれないし、こまめにガソリンを給油しなければならない燃費が悪い車かもしれません。そして、前提として、車種は「自分」にも「他人」にも変えることができませんし、自分の車種に合った環境を、無理のないスピードで走るしかないんです。(逆に変えられる部分があるとしたら、車内のインテリアとか、汚れが付いたら洗うとか、その程度なんじゃないかと思います。)

ですので、もし途中でその人が運転を止めてしまっても、責めてはいけないのだと思います。もしかしたら、とても運転するのが難しい車だったのかもしれないし、もしそうなら、十分頑張った結果だったはずです。「よくそんな難しい車で頑張ってきたね」と褒めるべきです。

のろのろ運転している車がいても、もしかしたらスピードが出ない車種なのかもしれないし、もしそうなら、「怠けるな!」なんて怒っても、どうしようもありません。その分、事故を起こしにくいという長所をプラスに考えてあげれば、怒りは発生しないのではないかと思います。

また、もし危険な動きをしている車があったとしても、その人を責めるというよりかは、自分の車が傷付かないように、距離をとって走行すればいいだけの話です。

結局、怒ったり、相手を責めたり、恨んだりしても、損をするのは自分なんです。なぜなら、かなり体力を使うからです。精神的に疲れ果てます。

そのため、心についても、身長と同じように「変えられない領域」があると思った方が、精神的に安定するのではないでしょうか。

最後までご覧いただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?