完璧主義の捨て方
自分のことを好きになれば、完璧主義は捨てることができると思っています。
例えば、芸人の狩野英孝さんが好きなのですが、狩野英孝さんがゲーム実況でヘンテコなプレイをしたり、番組の中で噛み倒しても、ものすごく面白いし、むしろ
もっと好きになります。
過去には色んな女性問題があったりしましたが、会見の様子がシンプルに面白かったですし、世間もそこまで問題視していない雰囲気がありましたよね。
きっと好きな人のことであれば、ある程度の失敗は許容できるんだと思います。
一方で、嫌いな人のことは、些細なことでもイライラしますし、許せません。
ですので、自分の失敗が許せないことに悩んでいるとしたら、それは単に自分のことが嫌いなだけなのではないかということに気がつきました。
きっと自分のことが嫌いだから自分の失敗が許せなくて、結果的に完璧主義になってしまっていたのではないでしょうか。
完璧主義っていう言葉は、まるで完璧を目指すストイックな人物像をイメージしてしまいますが、実際は自分のことが嫌いだから、重箱の隅をつつくかのように粗探しをしているだけなんだと思います。
私の場合、完璧主義はうつ病に良くないと、色んな自己啓発書や心理学の本に書かれていたので治そうとしていたのですが、なかなか治らず困っていました。
そこで「60点思考」を取り入れようともしたのですが、あまりしっくりきませんでした。やっぱり100点を目指した方がいいに決まってます。
そのため、思考法が問題なのではなくて、自分の失敗を許せないくらい、自分のことが嫌いだということが問題なのではないかと、今では思っています。
ですので、簡単な話、自分のことを好きになれば、完璧主義にもならないし、過度に自分を甘やかすこともなくなるのではないかと思います。
もし自分のことを好きになれば、「なんとかなる!」「やればできる!」と自分を鼓舞して、100点を目指すことができます。
なおかつ、失敗をしたり、怠けてしまうことがあったとしても、自分を過度に責めて罪悪感を抱かせたりせずに、「しょうがねー奴だな!」「そういうときもあるよね!」と、励ますことができるのではないかと思います。
中には、「人間だもの」と人間のことを失敗の多い生き物だと定義することで、その罪悪感から自分を解放する考え方をする人もいます。実際、それで救われる人もいると思います。
また、「所詮自分はダメな奴だから」と自分を卑下して、失敗しても当然だと考えることで、自分を守ろうとする人もいます。
自分の場合は、どちらの考え方も、あまりしっくりきませんでした。
なぜなら、人間そのものを低く見積もる考え方は、まるで人間のこれからの進化や成長を否定しているような気がして、何となくネガティブな印象を受けてしまうんですよね。それに、「人間だもの」ということを免罪符に、何でも許されるというわけじゃないし、それが時として、加害者側の人間さえも肯定してしまうようなニュアンスにとられてしまうのではという恐れがあるので、やっぱり自分には合わない考え方だなと思っています。
また、自分を卑下すれば、失敗してもダメージはないかもしれませんが、成功しようとする意欲さえ削がれてしまって、夢や目標を描いたりできないので、何のために生きているか分からなくなるのではないかと思います。失敗もしなければ成功もしない、まるで魚の骨を捨てればいいだけなのに魚全部を捨ててしまうような「もったいない考え方」なのではないかと思います。
ですので、私の場合は、自分を好きになることで、失敗を責める毒親のような感覚を排除して、完璧主義から自分を解放したいと思っています。
自分のことを、まるで狩野英孝さんのように、「失敗しても憎めない」「失敗しても好き」という存在に位置付けられるようにすれば、きっと生きやすくなるんじゃないかと思います。
何かに失敗したり、つい怠けてしまったり、過去の失敗を思い出して叫びそうになっても、
「まったくしょーがねーな!」
と笑って許すことができれば、きっとダメージはそこまで受けずに済むのではないかと思います。
そのためにも、自分のことをもっと好きになろうと、そう思っています。
最後までご覧いただき有難うございました。
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