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親に対するわだかまりと解消法

両親に対するわだかまりと、その解消の仕方についてお話します。

私は、神経症の母親と癇癪持ちの父親に育てられ、半ばそのバランスを取るかのように生きてきました。いつもビクビクと顔色を伺っていたので、社会人になってから思ったのは、「面倒なクライアントに対応しているときと同じ感覚だ」ということでした。

学生時代のことを思い出しても、「私が死んでもあの人と同じ墓に入れないで」と暗い声で言ってくる母親のイメージと、普段は無口で何を考えているかわからないのに突然癇癪を起こしてブチ切れる父親のイメージばかりが強く残っています。

兄が一人いるのですが、5歳年が離れていて、高校時代は単身で下宿していたり、大学のときは遠方で一人暮らしをしていたので、自分が辛いときに支えになってくれていたという記憶もありません。仲は悪くはないですが、特段、支えあったりする関係でもありません。次会うのは、おそらく親の葬式とかなのだと思います。

そんな環境で育ってきましたが、「親孝行しなければ」「家族仲良くしなければ」という考えがあったので、母親のご機嫌を取る電話を毎月かかさずして、カウンセラーのように元気付けたり、誕生日の贈り物も欠かしたことはありませんでした。

しかし、自分がもうすぐ適応障害になって会社に行けなくなるという時期に、いつものように母親を励ますような電話をかけたときに、自分が励ました発言に対して「あんた、随分冷たいこと言うね」と不機嫌に怒ってきたという事件がありました。母親からすれば何気ない発言だったのかもしれませんが、そのとき、自分の心を保つ糸が、プツッと切れた音がした気がしたのを覚えています。

それ以降、不機嫌を子どもに直させようとして感謝すらない母親に対してや、そんな妻のケアを怠ってモラハラを続けてきた父親に対する怒りが吹き出して止まらなくなりました。そのときは、以下のようなことを思っていました。

「まともに育てられないくせになんで子どもを産んだんだ!」
「お前らの育て方が悪いせいでアダルトチルドレンになってしまった!」
「お前らの顔色を常に伺っていたから青春時代も全く楽しめなかった!」
「夫婦仲の悪さによるストレスを子どもにぶつけるな!」
「辛い時に支えてくれなかったのに、何で俺ばっかり支えなきゃならないんだ!」

また、ここ数年前に「毒親」というワードが浸透していたので、自分の両親のことを毒親だと認定してしまったことも、その怒りに拍車をかけていたように思います。

それでは、今現在はどのように考えているかというと、2点あります。

①失敗したことや、不足していた部分だけに目を向けるのは、適正な評価と言えないのではないだろか。

嫌だったことはもちろんありますし、それについては怒ってもいいかもしれませんが、してくれたことが少しでもあるのであれば、それについては感謝をした方が、フェアなのではないかと思います。99嫌なことがあっても、残りの1については評価しないと、それは適正な評価とはいえないと思います。

そういう意味で、「毒親」と定義付けてしまうと、してくれたことに目がいかなくなるので、恨みばかり募らせてしまうのではないかと思います。きっとそれは自律神経が乱れてしまうので、自分の健康にとってもよくないのではないかと思います。

②「産んでくれたこと」だけは、意地でも感謝しないと、自分が可哀想ではないだろうか。

自分が生きていることを肯定するためには、「産んでくれたこと」を価値のあることだとみなす必要があります。それを手っ取り早く実感することができるのは、「産んでくれたこと」に対して、感謝することなのではないでしょうか。

もちろん辛いときは、「なんで自分なんか産んだんだろう」と疑問に思ってしまうこともあると思いますが、そんなときは、意地でも「価値のある自分を産んでくれてありがとう」と思い込む。それ以外の選択肢は用意しない。そんな覚悟が必要だと思っています。とにかく意地です。死なないための唯一の方法、スキルなのではないかと思っています。

ということで、現在は①と②のような考え方に切り替えていて、それ以降は、両親に対する怒りが収めることができるようになりました。

また、怒りを収めるということは、副交感神経の働きを優位にするということなので、心身ともにリラックスすることができますし、不眠症にも効果的です。

そのため、自分の人生をより楽しく過ごすためにも、両親に対する考え方を工夫するといいかもしれません。自分はこれからも①と②の考え方をしていきたいと思っています。

重い話になりました。最後までご覧いただき有難うございました。



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