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嫌いな相手には優しくしなくていい

誰かに対して怒りや不満を感じている時は、その相手に提供している労力・時間と、その相手から得られているメリット・利益の差引がマイナスになっているからなのだと思います。

特に、嫌いな相手に何かを提供すると、その相手が嫌いという事実だけでマイナスなので、割いた労力・時間を埋め合わせてもらうことを期待してしまいますし、結果的に差引がマイナスとなり、怒りや不満を感じてしまうのだと思います。

ですので、嫌いな人には、そもそも労力や時間を割かなければいいんですね。必要以上に気を使って優しい対応をしなければいいんです。優しくしたくなければ、優しくしないという選択権が自分にはあります。そういう自分の気持ちを尊重した方が幸せなんじゃないかと思います。

ですが、心のどこかで「人には優しくしなければならない」と思っていませんか。「人には優しくしなければならない」「ご機嫌を取らなければならない」といった思い込みに縛られて、無理をして嫌いな相手にも優しくするから、その分の見返りを期待してしまいますし、見返りがなければ、不満を抱いてしまうのは当然ですよね。

ただ、嫌いな人だからといって、睨みつけたり、唾を吐いて殴りつけたら、色々と支障が出るどころか逮捕されます。それでは、逆に不利益が生じてしまいます。その相手が嫌いというだけでマイナスなのですから、できるだけ労力や時間を欠けずに、その相手と対応するということが基本だと思います。

必要最低限、失礼にならない範囲内の対応でいいのだと思います。ただ、もしその相手に利用できそうな部分があるのであれば、表面的に擦り寄り、人心を掌握して利用するのも一つのビジネススキルだと思います。(見返りが得られるかは不確定なので、ギャンブル要素もあるし、結構、大変ですが。)

一方で、好きな人に対しては、好きという事実だけでプラスなので、その気持ちと釣り合うくらいの労力・時間であれば、それを費やしても見返りを期待することはありませんし、不満も抱かないのではないかと思います。そのため、嫌いな人ではなく、その時間を好きな人に費やせ、という意見はとても理にかなっているのではないかと思います。

ですので、色々書きましたが、結構シンプルなんですね。ただ単に、優しくしたくなければ、優しくしなければいいんです。その自由意思は尊重しないと、とても息苦しいですし、無理をして嫌なことをするから、損をしてしまうんですね。

ちなみに、人類みんなが幸せになってほしいなんて、私は思わないですね。天使じゃないんですから。パワハラしてきた上司なんかは地獄に落ちればいいと思ってますし、今後関わる機会があったとしても、必要最低限に留め、できるだけ労力や時間を割くことを避けようと思っています。

そんな自分は優しくないかもしれませんが、それでもいいと思っています。優しくしたい相手だけに、優しくしたい時に、都合の良いタイミングで、自分の自由に、思うまま気のままに、優しい自分でいたいと思っています。時には鬼のようにもなるし、冷たいし、威圧的でもある。そんな自分も許そうと思っています。

最後までご覧いただきありがとうございました。






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