★連載50★宇宙の法則は愛の法則②
私の人生をかけて、学んできた事は、精神世界だったという事。
精神世界は眼に視えないものです。
眼に視えないものだから、こうして文章という道具が必要になるのです。
眼に視えないものだからこそ、こうやって文章にするのです。
それは、ちっぽけな『私』という存在が、感じてきた世界です。
ですが、そんなちっぽけな『私』という存在でもできる事があるのです。
それが、眼に視えない世界を文章にする事だったのです。
ここまで書き綴るまでに挑戦してきました。
自分自身をずっと、否定し続け、罪悪感の中で生きてきた私にとっては、挑戦でした。
他のブログで書いた事もあります。でも、そこでの記事は中途半端で終わっています。
ですが、書く度に、自分が書く内容が正しいのか、間違っていないのかという私と認識している自我の存在が、私に囁いてきていました。
「お前の書く事なんて、誰も興味なんか示すはずがない」
「お前の書く事なんて、見向きもされない」
「お前の書く事なんて、間違っている」
その声がずっと、私の中で囁いていました。
ですが、こうして50まで、分かりづらかったかもしれませんが、書く事が出来ました。
それは、自分の知った精神世界を伝えていく事が、人の気付きや、救いになれたらという思いがあったからです。
私自身が、精神世界を知り、自分自身と向き合う事で救われたと感じたからです。
救われたと感じたからこそ、伝えたかったのです。
こうして50まで書き綴る事ができました。
自分を褒めると共に、読んで頂いた方に感謝申し上げます。
今まで、抑えて書いて来た事、控え目にしてきた事があるのが、本音です。
私自身を良く見せたいからの行動だと自己分析しています。
ですが、これからは、がっつり、宇宙の法則、宇宙のエネルギーとつながりながら、書いていこうと思っています。
次からは、『真実の愛』をテーマに書いていこうと思います。
宇宙の法則
そして、魂の伴侶、魂の片割れ、ツインレイについてお話をさせて頂きます。私がスピリチュアルの世界に入るきっかけになったのが、ツインレイと言われる存在との出会いでした。
このツインレイという概念に関しては、魂の伴侶、魂の片割れとも言われており、解釈は多岐に渡ります。
興味のある方は、”ツインレイ”で検索してみて下さい。解説が沢山あるので、ここでは割愛させて頂きます。
検索して頂い事を前提でお話を進めます。
ツインレイとは、愛を学び、愛を体感し、愛を表現していく事が使命となっているのです。
私自身もその1人です。
ツインレイと出逢い、愛を学び、愛を体感したからこそ、愛を表現する為に、この文章で伝えるという方法をとらせて頂いております。
ツインレイとは、恋愛中心で捉える方が多いようですが、私は逆だと思っています。恋愛とは真逆だと思っています。
愛だの恋だとの言っている次元では無かったというのが、ツインレイのステージというものを学び進めた感想です。
入口は恋愛の愛でしたが、もっと深いものでした。
それは、自分自身を愛する事。
自分自身を愛する事こそが愛の本質でるという事。
それを知る事ができました。
だからこそ、ツインレイと出逢っていない人であろうと、宇宙の愛である、『真実の愛』を知る事が大切な事では無いか?と捉えるようになりました。
恋愛関係だけの枠に収まらないからです。
愛は、全ての物を含むからです。
愛とは、人間の本質であるからです。
ですが、本質から離れてしまっているのが、この3次元だからです。
日本人は、愛だの恋だのと表現する事に慣れていません。
「愛している」
なんて言葉、なかなか素直に言えないです。それは民族性の性質がると私は捉えています。
奥ゆかしい
控えめ
気持ちを汲み取る
なんて、それこそスピリチュアル性を大切にしてきたのは、日本人の特性だからです。
そして
今、地球は、宇宙は、大事なタイミングを迎えようとしています。
土の時代から、風の時代へ。
変換の時を迎えているのです。
この変換の時、変換のタイミングが物語るのは、地球のアセンションと言われる、次元上昇のタイミングなのです。
心を穏やかに整える事ができるようになる人が、たくさん現れる事で、地球上で生きる物が、生きていきやすい環境に変わるという事なのです。
アセンションと検索すると分かります。
なので割愛します。
争いの無い、勝ち負けも無い、ただただ、個人を尊重してく、個人を活かし、生きて行きやすい世界になるよう、今、地球は変換の時を迎えているのです。
誰一人、誰二人として同じ人間は存在していないので、分かり合えない事こそが本当は自然なのだと私は感じています。
分かり合えないからこそ、中間地点、調和、というものが存在しているのだと思うのです。
あなたと私は意見は合わない、分かり合えない
これが日常にあるのが通常なんだと思うのです。
親も環境も、生きてきた背景も、経験も体験も、それに伴う感情も、誰一人、誰二人として存在していないという事なのです。
だから分かり合えない存在なのです。
分かるというのはエゴなのだとも捉えられます。
だけど、日本人頑張りました。
『相手の立場に立って考える』
と、いうものを教育されてきました。
もちろん、そこには、個人の自由意志が存在しています。
相手の立場って???
分からないのに、必死に、相手の立場に立つ事が大切だという事で、立とうと努力をしたのです。
そして、努力をしてきた結果、
実は分かっていないのに、分かった振りが出来るようになった
訳です。もちろん、私の解釈です。
ですが、相手の立場に立っても、相手の気持ちの全てを知る事には至ってはいないのです。それはできない事だからです。
一人ひとりの個人という存在は、
唯一無二の存在だからです。誰一人、誰二人とも同じ人が存在しないからなのです。
だから、分かり合おうとしなくて良いのです。
だから、分からなくて良いのです。
大切なのは、違うという事を認める気持ち
大切なのは、違うという事を受け入れるという事なのです。
ここで、大切なのは、努力や忍耐や根性ではなく、違うという事を受け入れる気持ちなのです。違うという考えをどのように認め、受け入れるか。という事なのです。
違って当然なのです。
ですが、みんなの意見に合わせる。合わせる事こそが、協調性がある。みたいに言われてきましたが、果たしてそうだったでしょうか?
みんなの意見に合わせた結果、自分を押し殺し、本来の自分を感じる事が難しくなってしまいました。それが結果なのです。
生きて行きやすい地球を選択するのも、勝ち負けや善と悪のように、競い合う世界から解放される事を選択するも個人の自由なのです。
個人には自由が約束されています。
何を選択しても良いのです。
そして、その選択は生きていく上で、必ず必要な事象であるという事なのです。
何を選択して生きていきますか?というのが私の提案でした。
人と競い、争い、勝ち負けや、善と悪のようんい白黒を付ける事が果たして人生の目的なのか?そおそも勝ち負けって何が基準???善と悪って何が基準???
そこに気付く事が大切なのではないでしょうか?
勝ち負けを判断したのは自分
善と悪も判断したのも自分
全ては自分自身がスタートだっという事なのではないでしょうか?
そこを感じてならないのです。
全ては自分なのです。
判断するのも、ジャッジしているのも自分自身であるという事。
これらを手放す事ができたら楽に生きていかれるのだと私は感じてなりません。
長くなってしまいましたが、読んでくれた方、本当にありがとうございます。
この記事に辿り着いたのも、偶然ではなく必然です。
少しでも、あなたのお役に立てたら幸いです。
一人でも多くの人が、最期まで自分らしく、幸せに過ごせますように
最後までお読み頂きありがとうございました
次回もお逢いしましょう♬
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