会社を辞めてから考えた「介護事業」
前回は初回に関わらず、「スキ」をいただけて、ありがたいです!
さて、前回のあらすじとしては、サラリーマンの時の話と義父からいただいた代表就任の話。
ここからは、サラリーマンを辞めて、いざ「社長」というものになってからのお話です。
有休消化期間にやるべきことって
会社員をやめるまで、本当に準備が出来ていなくて、、自分でも計画性の無さを痛感しました。。
有給も使わせていただいた結果、2013年9月末退社でしたが、最終出社は、8月9日でした。これはなかなかびっくりしたんですが、8月10日が私の誕生日ですので、29歳の最終日にほぼ会社員勤務を終え、30歳を迎えて、心機一転することとなったのです!
その時妻は、第2子を妊娠していて、家族3人の時間と自分の時間にうまく当てたいと考えていました。なので、家族で山形の花火を見に行ったり、沖縄旅行に行ったり、長女と遊んだり。
お気に入りの一枚@沖縄
それと学生時代にケニアに半年でしたが、インターン留学していたこともあって、サラリーマン2年目からケニア支援のNPO法人をお手伝いしていて、この有給期間に6年ぶりにケニアへ行きました〜!
キベラスラムにあるマゴソスクールという小学校にインターン中、そしてNPOでも支援していたこともあり、こちらで子供達からパワーをもらってました!
友人のやっているNPO法人Dooooooooとマリノスのコラボサポートプロジェクトで、ボールなどをお届けするお手伝い
NPO法人で奨学金支援していた小学校の卒業生たちと
この有休消化期間でできることを目一杯していたのです。充電と切り替え期間ということで。笑
サラリーマンを辞めて、いざ社長になるということ
そんなこんなで、不安と期待を抱きながら、2013年10月を迎えました。
事業を創っていくことに関しては、いくら商社で財務諸表を読み込んで、商売の本質的なことをやってきたからとはいえ、
所詮、会社の「看板」の力が大きいのです。いくら業績が良くてもその「看板」に守られ、「看板」によるパワーは大部分を占めていると言っても過言ではないと思います。
で、0から1を創っていくということで、アカデミックに経営など勉強したことないし、一度ビジネススクールに通おう!と決めていて、確か、在職中の2013年6月くらいに応募を出して、2013年10月下旬から通えることになりました!
「せんだい事業創造型ビジネススクール」は、従来の起業家育成で重視されていた“志”や“夢”、“社会性”は尊重しつつ、持続的、自立的な企業の成長ためのビジネスモデル(収益モデル)の形成を重視した実践型のビジネススクールとして開催しました。本スクールは、実際に地域で起業間もない方や具体的な起業計画のある起業家(プレーヤー)に数多く参加いただいた点が最大の特徴で、修了後も参加起業家において様々な事業活動が具体的に展開されております。また、本スクールでは講座のゲスト講師あるいは起業家インタビュー等を通じ、数多くの先輩起業家にも関わっていただきました。(せんだい事業創造型ビジネススクールHPより抜粋)
ビジネススクールでの成長
このスクールは19時頃から21時過ぎまでがっちりやっていたのですが、良い仲間もできて、ご縁も広がり、そして内容も実践的で、私にとって非常に有難い機会となったのです。
約4ヶ月間のカリキュラム。結構課題もあり、しんどかったですw
当然、ビジネスアイディア出しをするため、どういう事業をするか、など積極的に情報を取りに行く必要もあり、介護事業として「小規模多機能型居宅介護」に行き着く訳です。11月中旬から介護職員初任者研修にも通い、どんどんイメージを膨らませて、事業計画を作っていきました。
小規模多機能が良いって思ったところは、通い、訪問、泊まり、ケアマネジメントを1箇所でできて、ご本人、ご家族に対してワンストップでサービス提供できる点が一番です。さらには、24時間365日、在宅介護の伴走者としてサポートできる点もこれからの日本には必要だろうと、ある意味直感的に感じました。
そして、介護という保険制度のビジネスゆえに、国の指針、事業予定地の需給バランス、人口動態なども調べながらやりました。
ビジネススクールで学び、出来上がった事業プランは?
最終的にこのビジネススクールの最終発表時にどんな内容でしたかというと、そのプレゼンした時の資料を抜粋して見ていただきましょう。
このプレゼン資料を、noteに書くために見返していたんですが、これって意外に「アンダンチ」の形になっていました。笑
サービス付き高齢者向け住宅があって、
小規模多機能があって、
事業所内保育所があって、
飲食事業があって、
福祉用具まで入れようとしてて。笑
ちょっと驚きながらも、基本的な考えは当時とブレていないことが確認できてよかったです。
実際は、このプランでは当時の企業体力や信用力もないので、大型融資を受けられることもないのは自明でしたし、「小規模多機能」のみでチャレンジをスタートさせようとしたのです。
今回は、ここまで。また取り留めのない話になってしまいまして、すみません。
次回は、小規模多機能事業所を作っていく過程から始めたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました!
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