生きる場所を作り直したら、不眠の私が眠れるようになった話
2022年は自分を赦せるようになった一年だったと思う。
成人してからの人生で、最も気持ちが楽で、
いい意味で、最も生きる意味を考えずに生きられた一年。
ふわっとその背景を振り返ってみたいと思う。
まあ、私は不眠症なのだ。
これは昔から。思いつく限りでは高校生の終わりくらいから?
それは私がタバコを吸い始めた頃であり(おい)、
すなわち自分の人生にちゃんと迷い始めた頃であり、
それ以降は大体何かに迷ってモヤモヤとしながら生きている。
いわば人生の半分に渡って厨二病ver.2を延々引きずってきた。
(ちなみにタバコは10年くらい前にやめました)
ちょっと何かに悩めば、すぐ眠れなくなる。
そもそも普段から、布団に入っても1-2時間寝付けないなんてザラ。
そんな私が今年、布団に入ってほぼ30分以内に寝付けるようになり、
3時に目覚めることも、5時にイライラすることも、
ほぼなくなった。
もちろん全ての悩みがなくなったわけじゃなくて、
これからもまた眠れぬ子猫、、ならぬオバ猫に戻ってしまう可能性はあるのだけど。
この静かなる激変の一年を振り返ると、
明確に見えてきた違いは「生きる場所を変えた」ことだった。
2022年、3つの意味で生きる場所を「作り直した」。
SNS→リアルへ
端的にいうと、Twitterをやめた。あとFacebookもあまり見なくなった。
Twitterをやめたきっかけはちょっとした事故だったけど、
元々なんとなく、Twitterが自分の気持ちを下に引っ張っているのではないかと思っていた部分はあった。
自分が焦っている時になんとなく透けて見えてしまう、友人たちの人生や仕事の順調な進捗。
次々にリリースされる新しいウイスキーとそれを競って買い漁る人々。
なんとなく「私もこうしないとダメかも」みたいに、誰か知らん人に腕を引っ張られてる感じ。
それを全部リセットしてみる、いい機会になると思った。
どうせ数日、下手したら数時間で耐えられなくなって帰ってくるだろうと思ったけど、
それから約9ヶ月?そのアカウントには2,3回しかログインしていない。
あとそういえば、なぜかマイナス感情を抱いてしまう人に対して、
各SNSで個別に「ミュート」も設定したのだった。
周囲の動向が知れなくなることが怖かったけど、
やめてみたら意外とそんなに心配はいらなかった。
人生の重要なイベントはFacebookに書いてくれる人が多いし、
日常の楽しい瞬間はInsta storiesにあげてくれる人もいる。
何より本当に知るべき人の大事なことは、ちゃんと個別に連絡をもらって、
ちゃんと顔を合わせて会って、話せるので十分だった。
知り損ねてる大事なこともあると思うけど、
本当に知るべきことであれば多分、いつか知れる。
要は、自分の本来のキャパを超える容量の情報を、心に流し込んでしまっていたのだと思う。
日常生活を送りながら頭の片隅で「Twitterにあとでこんなこと書こう」なんて考えている自分もいた。
そういうものを全て洗い流してリセットしてみたら、なんと心が軽くなったことか。
少し「いま」に集中できるようになったのではないか。
コロナ禍、飲み会も少ないし、旅行で新しい人に出会う機会もグッと減り。
SNS接点を減らしたら世界が狭まってしまうような気がしていたけど、
逆に自分の心のスペースが広がって、自分らしくいられている気がする。
草鞋を2-3足増やした
副業を本格化させた。
と言っても、自分の意思で案件を探したわけではなく、
ご相談いただくお話に、できることでお応えしていたらそうなっていた。
いただいたお話はいずれも過去の何気ないご縁が持ち込んでくれたもの。
趣味のつながり、学生時代のつながり、前職場のつながり。
自分の実力が云々などと言えるほど強気にはなれないのだけど、
ひとつ自信を持って言えることは、
自分なりに「誠実にいよう」とか、
「自分のできることで誰かの力になろう」とか思って
意識的に取ってきた行動の結果に、お声をかけていただいたのだ。
この自己肯定感は、私の意識に革命的な変革を起こした。
そもそも私は物心ついた瞬間から自己肯定感がドン底であり、
歪んだ自己愛とコンプと劣等感のミックスパックみたいな人間だ。(めんどくせえ)
その私が、自分に素直に真摯になって、
過去の自分が紡いだご縁を大事にして、
陰で泣きながら這いつくばって身に着けてきたスキルを頼られて、
「私」を(甚だ僭越な言い方ながら)ご指名していただいているのだ。
この「満たされ感」は、
過去に味わった、劣等感と背中合わせの優越感とは全く違う。
初めて私が私自身を、ニュートラルな価値観で、
認めることができたという感覚なのだ。
実は今も本業の会社員としては、泣きながら這いつくばっている。
が自分が底辺だと感じるのも高次な仕事を割り当てられているからであり、
おニューのスキルを学べることは幸せなのだけど、
それでもやっぱり日々「できない自分」とひたすらに、
ひとりきりリモートワークのリビングで向き合い続けているわけなので、
心にクる。
その一方で、何のしがらみもなく、
「私という人」を頼ってくださる方々がいらっしゃる。
「自信がついた」とは言えないけど、
「自分、使ってもらえる場所がある」とは思えるようになった。
単純にワークロードは増えるので、まあまあ余裕はないし、
副業各所には思うように動けずご迷惑をおかけしている瞬間もある。
スケジュール管理は素直に反省するとして、
充実して幸せな年だったと思える理由の多くは副業、
それによって得られた健康的な平衡感覚にある気がする。
お世話になった方々本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
(3本溜めてる執筆は年内にがんばりますぅ…)
物理的に生きる場所を作り直すことにした
家を建て始めた。
去年結婚したが、家族の健康面や居住地の問題でコロナ禍結婚式もできず、
壮大な計画を勝手に描いていた二次会も、新婚旅行も、
何もかも出来なかった。まあつまり好奇心と消費意欲がヒマだった。
それでなんとなく住宅展示場に通い始めたら、結構火がついてしまった。
2月には運命的な土地との出会いもあり、勢いで買ってしまった。
素晴らしき担当者さんと出会えて(suumoカウンターイイヨmajide)、
素晴らしき建築士・インテリアコーディネーターさんを呼び込んでくれた。
とにかく損したくなくて失敗したくなくて、
限られた予算で最高の家を建てたくて、
狂ったように数十冊の本を読み漁り、
毎日2時間くらいネットやInstaで情報収集し、
最近家を建てた親族友人の話を聞きまくり、
コンセプトから内装まで提案書?を作りまくり、
結果、
2社のハウスメーカーの方から「うちで働きませんか」と言われた。笑
まだ出来上がっていないし、
これから幕上がる壮大な借金劇場に怯えないといったら嘘なのだけど。
自分たちの意志と感性で、
これから自分の人生を生きていくハコを考え抜いて計画するプロセスは、
自分の感性を数段、いや10段くらい引き上げてくれたように感じる。
そしてそんな家に住める自分を思い浮かべるうちにまた、
徐々に自己肯定感の傷が埋められていく感覚があった。
(サムネ画像は建設中の自室のイメージスケッチです)
生きる場所を選ぶ
振り返ると2022年、
私が未だかつてない心の平衡感覚と落ち着きを得られたのは、
自分で自分が生きる場所を選び、作り直したからなのだと思う。
自分が自分の人生のオーナーになること。
そのために心理的に、物理的に、
あるいはネット上や、キャリアの観点で、
自分が生きる場所を選ぶこと、創ること。
去年自分で選んだ人と「家族」を作り直したところから、
多分人生が好転している。
人は、自分の手でコントロールできないものに悩むと、
高い確率で不幸になると思う。
自分で変えられるものだけに着目すれば、
「あの人のせいで私は不幸」なんてことはなくなる。
そのために、目に入れたくないものを目に入れないことを選ぶ。
自分を求め、認めてくれる人と一緒に働くことを選ぶ。
自分らしくいられる場所を創る。
自分では変えられない「何か」に苦しんでいる人がいたら、
自分でコントロールできるものをひとつ、動かしてみて欲しいと思う。
んで来年
とりとめもない振り返りにお付き合いいただきありがとうございました。
来年は、家族(実家)との付き合いを復活させたい。
2週に一度帰っていたのに、今年は2月に一遍くらいになってしまった。
これ毎年言ってるけど、もうちょっとお洋服づくりの時間も増やしたいね。引っ越したらミシン作業もしやすくなるだろうから、まあそれまでは我慢。
本業の方は、とにかくもう泣きながら頑張る頑張る。スキルアップだ。
副業でいただいた報酬を、スキルアップに突っ込むのだ。
久しぶりに学校とか行ってもいいと思っている。
あとは新しいお家で、私と夫で創っていく家族を、
どんな形にしたいのかじっくり考えていきたいと思います。
みなさま、よいお年を。
蛇足:
よく眠れるようになったのは単にエアウィーヴのおかげ説もあります。
(みらい研幽霊部員 K.O)
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