『お母さん、生んでくれて、ありがとう』
今日は一年に一度の特別な日、そう、母の日。昔から、妹は人見知りせず、誰にでも声をかけられて、友達も多かったのですが、私は今も対面トークが苦手です。手紙や文章だと素直に書けるので、改めて母にまつわる話を書いてみたいと思います。
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私は小さい頃から、ひとに甘えるのも友達を作るのも、仲良くおしゃべりするのも下手でした。さらに家庭の中では、母が妹を産んだ直後くらいから自律神経失調症でよく寝こむようになり、私は常に「しっかり者のお姉ちゃん」でなくてはなりませんでした。
三歳から妹の世話をしたり、小学生の頃から、晩ご飯を作るようになりました。晩ご飯を父親に任せると、外食や出前やホカ弁ばかりになって、私は体調を崩しがちだったし、母はなるべく手作り派だったからです。父親は家事を手伝うどころか、「お母さんはいつも寝こんで、かなんなぁ(困ったなぁ)」と台所に立つ私の背中越しに、母のことを嘲笑したのです。
私は唇をぎゅっと噛みしめました。母が何故、苦しんでいるのか、何故、病んでしまったのか、私は説明されなくても、全部、理解していました。嫁姑問題とデリカシーがなく発達障害(当時は知りませんでした)の父親や小姑にまつわる金銭トラブルや諸々、喧嘩ばかりの毎日。私は母が少しでも元気にならないかと、必死で背伸びして頑張りました。
早く大人になりたかった。早くあの牢獄のような家から、母を救い出したかった。甘えたい子供のこころを何度も押し殺しました。そして妹には私と同じ思いはさせたくない、と強く決意して、チイママが誕生しました。そして結婚願望がなくなるほど、家庭の争いに辟易して、自立した女性になるべく、とりあえず勉強を頑張るしかありませんでした。自由奔放で天真爛漫な妹がどこかで羨ましかった。
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私は少しでも母の負担を減らしたかった。それなのに母は私が頑張れば頑張るほど、体調のいい日は妹の世話を焼くようになりました。母も私と同じで不器用で、自分から甘えられないし、自分から甘えてくるひとしか構わない人間になってしまったのです。私は段々、心を閉ざして、毎日、昼は自分以外のひとの前で強がって、夜にこっそり布団をかぶって、ひとりぼっちで泣くようになりました。
甘えたいけど、甘えられない、甘えてはいけない。自分で自分に鞭打つ日々。高校を卒業したら、家を出よう、ひとりでも出よう、それまでは何があっても、我慢しよう。そう決めていました。本当はいつだって妹みたいに、母に甘えてみたかったのに。友達にも恋人にも、無防備に甘えたことはありませんでした。
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日本の学校にも家庭にもなじめず、居場所はどこにもありませんでした。特に中学時代から、過酷ないじめに遭っていて、遅刻や欠席、早退が増えていきました。逆に出席日数がぎりぎり。自分の学力の限界にもぶち当たっていました。反抗期も激しく、生まれてきたことを呪ったり、「なんで生んだんや。堕ろしてくれたら良かったのに」などと酷いことも言いました。
唯一、絵はみんなに褒められたので、美大に行きたかったのですが、お金がかかるので諦めていました。大学の文学部か英文科にしようと思っていた進路決定のとき。母が穏やかな声で、「好きなことをやりなさい」とそっと背中を押してくれたのです。ずっと我慢して生きてきた私のひそかな夢に、母は気づいていました。
ずっと母は礼儀や挨拶には厳しかったけど、いつも頭ごなしに「~しなさい」とか「~するのはやめなさい」とは言いませんでした。他人に何と言われても、芯が強くて、自分の意見をしっかり持っていて、曲がったことが大嫌いで、おおらかなひとでした。
短大の英文科卒で、英語を使う仕事がしたかったそうです。しかし母も学歴社会で挫折して、妥協結婚したんだと話していました。母も本当は「好きなことがやりたかった」、だからこそ「好きなことをやりなさい」という言葉につながったんだと思います。
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結局、女三人で家を出てから、もう28年。父とは絶縁状態。今、妹と母と叔母と暮らしていますが、家族バラバラの時もありました。父は音信不通。自分が困った時しか連絡してこないし、借金まみれ。実家も土地も担保にとられています。
あれからアメリカの美大に編入して、ホームシックになって、下手くそだけど愛に満ちた母の手紙で号泣したり、帰国して絵が描けなくなったり、定住できずに引っ越しばかりだったり、仕事も何度か変わったり、過労で仕事を退職したり、創作活動をするようになったり、色々あって、京都に引っ越してきても、泣きっ面に蜂。喧嘩もたくさんしました。しかしどんな時も、私の傍らには詩や創作がありました。次々にやりたいことが変わったり、希望が広がっていきました。今ではことばは私らしさの証です。
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現在、私は主に詩や文章を書いて、それに合わせてデザインやフリー素材の画像加工をしたり、自分でも写真を撮ったり、またそれも加工したりして、地道にこつこつ頑張っています。将来の不安はあるけど、今が一番幸福です。少しずつ大嫌いだった私自身を好きになってきました。すべて母のあの「好きなことをやりなさい」という言葉のおかげです。
「これからはお母さんも、好きなことをしてくださいね」
いつもありがとう。
生んでくれてありがとう。
2022.5.8.母の日に寄せて。
photo1:見出し画像:みんなのフォトギャラリーより
(茨城カメラマン仲居さん)
photo2:フリー素材
design:未来の味蕾
word:未来の味蕾
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