ほりの流マーケティングキャリアを完全解説。失敗や苦悩の26年間を振り返る
みなさんこんにちは!
「ほりの」です。
「え?誰?」
という方はまずTwitter(X)をご覧いただけると幸いです。
1,000日以上、毎日マーケティングに関する情報を発信しています。
■このnoteの対象者と読むことで得られること
この記事では、僕の26年のキャリアを振り返りつつ次の2つの視点で発信を行います。
①マーケターとして成長するためのロードマップ
1つ目は、これからマーケティングのキャリアを積み上げたい人に向けた発信です。
僕のキャリアを振り返ってみるといくつの重要なポイントが浮き彫りになってきました。マーケターとしてキャリアを積み上げるうえで必要なこと、やってはいけないこと。僕自身が経験した範囲となりますがこのようなパターンもあるんだと参考にしてください。
②企業のマーケティング力を強化するためのポイント
もうひとつは、企業のマーケティング方針やチーム作りを強化したいと考える経営者や事業責任者に向けた発信です。
僕自身、現場の担当者、マーケティング責任者、小さいながらも経営者、企業様のご支援する立場など、いろんな角度からマーケティングに携わってきました。
その経験を通じて、企業のマーケティング力を高めるうえで大事にすべきポイントを言語化しましたので、事例を通じながらお伝えします。
■ほりのの26年のキャリアをご紹介
それでは早速、
僕のキャリアについてご紹介をさせていただきます。
波乱万丈でもなく、
輝かしい体験があるわけでもありません。
失敗を繰り返し、悩み、考えながら地道にステップアップしてきました。
だからこそ多くの方にとって参考になるのでは?
かなり恥ずかしい失敗事例も含まれておりますが、勇気を振り絞ってnoteにまとめることにしました。
いいところは真似て、失敗の落とし穴は避ける。
このような使い方をおすすめします笑
「ほりの」の26年間のキャリア
僕が生まれ育った「姫路」にある大学を卒業。
専攻は「法学部」でしたが六法全書を見た記憶はまったくありません(苦笑)
ろくに勉強もせず、バイトと旅行とサッカーに明け暮れた学生生活。大学4年生の就職活動の時期、いままで自由気ままに暮らしていたのに、急に社会に出て働くことに恐怖を覚えて、就職もせずに1年間フリーターとして過ごしてしまいました。
今考えると大学まで行かせてもらえた両親に申し訳なく思っています、、、
23歳 地元の出版社
最初の就職は、地元にある小さな出版社。
実はフリーター時代にお手伝いしていた会社でそのまま正社員になりました。取材をしたり、原稿を書いたり、広告営業をしたりとそれなりに楽しい仕事でしたがこのときは「いかにサボるか?」ばかり考えていました。
取材と称して外に出て喫茶店でサボるのはかわいいもので、ショッピングモールで買い物をしたり、仕事中にカラオケに行ったりと、めちゃくちゃな社員でした。当時の社長さん、ごめんなさい。
27歳 旅行サービスのWebマーケター
大学時代、旅行好きがこうじて「総合旅行業務管理者」の資格を取得。学生での合格率は1割以下と言われていたのでそれなりに勉強をした記憶があります。
その資格を活かしたいと考えて、リゾート会員や旅行サービスを取り扱う会社に転職。このときは「僕ならば絶対にうまくいく」という謎の自信しかありませんでした。
ここでの仕事は、会員向けの「会報誌」を企画して制作する業務。
年4回発行をしていたのですが「あれ?これWebでやればいいんじゃない?」と思い会社に提案。
実は小学生時代にオヤジが急に買ってきたパソコンで自分でプログラムを書いたり、バイトで稼いだお金でMacを買って勉強したり、見様見真似でホームページを作ってみたりと、人一倍Webには慣れ親しんでいたのでした。
「おもしろい、やってみろ」
これが僕のWebマーケターとしてのキャリアのはじまりだったかも知れません。
ホームページをつくり、
会員管理用のシステムや、
予約システムを構築して、
会員に告知をして、
紙→デジタルへの切り替えを促す。
今思えば、お粗末な仕事ぶりでしたが
当時はまだホームページがあるだけで
デジタル化ができていると思われるような時代。
特に旅行業界のようなアナログな世界では
一目を置かれる存在に。
同業者からもいろいろと聞かれたことを覚えています。
33歳 人材サービスのWebマーケター
小さいながらも成果と実績をあげて、次はもっと大きな会社で実力を磨きたい。そう考えて転職をすることに。
入社したのは売上7兆円の大手の電機メーカーの子会社となる人材サービス会社。ここではマーケティングチームだけで30人以上。仕事内容も業務プロセスもまったく未知の世界でした。
「これが大手の仕事なのか」
これまでは自分で考えたことを即実践できたのですが、大手になると、他の部署への根回し、上司への稟議申請、関係者への協力依頼、理不尽な社内力学に巻き込まれながら一向に前に進まないのにやるべきことがいっぱい。
だんだん熱量が失せていき、また昔のようなサボり癖がでてしまいました。上司に怒られる毎日、どんどん社内評価も急降下しました。
「あいつ使えないな」
「給料どろぼうやん」
「何やっているのかわからない」
こんな陰口も叩かれて徐々に自信もやる気も失い、ついには体調不良で会社を休んでしまうことに。
これが社会人になってのはじめての挫折でした。
37歳 ウォーターサーバー会社のマーケ責任者
失意の中で大手企業を退職したのち、神戸にあるベンチャー企業に転職。しかしその会社が入社してわずか半年で業績不振で倒産するという事態に。
この時は本当にピンチでした。
ゼロからやり直そうと心機一転。
嫁の実家がある「加古川」に戻ることに。嫁の両親に甘えて住む場所を借りて暮らしていました(大家さん経営をしていましたので)
「加古川でマーケティングの仕事はないかな?」
大阪や神戸ならまだしも、
田舎の加古川でマーケティングの仕事はなかなか見つかりません。
求人サイトで3ヶ月ぐらい探してようやく見つけたのがこの後入社するウォーターサーバー会社でした。
入社後は、朝6時に家をでて、夜22時に帰宅。
週末もずっと仕事のことばかりで、家族との時間なんてありません。
夜中の1時に電話のやり取りをすることも。
加古川で就職したのに勤務地は大阪。
片道1時間半の通勤中に仮眠をとって、職場のお菓子で空腹を満たすような毎日。
それでも仕事に夢中になってのめり込み、売上が伸びていくことに喜びを感じ、人生のうちでもっともハードに働いた時期でした。
この会社での実務経験が僕のマーケターとしてのキャリアを大きく変えました。ここにたどり着くまでの経緯をもう少し掘り下げてご紹介をさせていただきますね。
■70億円を生み出したマーケティングキャリアの成功と失敗
入社当時は年商10数億円。
もともとはカタログギフトの会社でしたが、新規事業としてはじめたウォーターサーバー事業が大当たり。
社内にマーケティング組織がなく、総務の担当者がWebサイトを管理しているような状態。新たにマーケティング部の立ち上げにともなう責任者の募集でした。
社長、専務、常務を相手にしたプレゼン
もう一度人生をやり直す。
その覚悟を持って面接に挑むことに。
会社の扉を叩くと、そこには昔ながらの雰囲気が漂う狭い会議室に社長、専務、常務の3人がずらり。会社の本気度を感じて脇汗がドバッと滝のように出てきたのを今でも覚えています。
もし僕がこの会社のマーケティングを任せてもらえるならどうするか。
事前に頭を悩ませて作った提案書を用意。
現状分析、競合との比較、改善プランについて一気にプレゼンをしました。緊張しすぎて当時のことはよく覚えていませんが、面接が終わって30分後には「いますぐうちで働いてほしい」という電話をいただけたので、きっと手応えがあったのだと思います。
晴れて新たなマーケティング部署の責任者として仕事を任せていただくことに。マーケティング責任者というポジションですが、雇用条件はまだ「ヒラ社員」でした。
当時の部署は僕を含めて4名。
総務と兼任のWeb担当者さん、社会人経験のない法務担当者、Webが未経験の中国人スタッフさん。
僕以外はいずれもマーケティング経験のない人ばかり。でもやるしかないと燃えまくっていました。
サイトリニューアルが最初の大仕事
僕が最初に取り組んだのがWebサイトのリニューアル。
これは面接時の提案書にも最優先事項として入れていました。
▼入社前のWebサイトイメージ
僕がユーザーだったらちょっと買うのを躊躇するレベルですね笑
実際、広告からの直帰率も高く改善が必要なことは一目瞭然。
「社長、これをやらせてください」
「絶対に売上を伸ばします」
なぜか根拠のない自信がありました。
入社してわずか1ヶ月で大きなプロジェクトを任せてもらえることに。
ボールペン1本を買うことすら稟議書が必要なシビアな会社なのに、いきなり新人に任せてくれるとは、経営者の器の大きさですね。
当時のプロジェクト総額は400万円でした。
▼リニューアル後のWebサイトイメージ
限られた時間のなかで作ったのがこのWebサイト。
近所のママさんにあれこれヒアリングをしたり、制作会社と昼夜問わずディスカッションをして制作を進めていきました。
「こんな地味なサイトで本当に大丈夫か?」
「すきまにもっと情報を入れたほうがいいのでは?」
以前のWebサイトに慣れていた社内からの反発も。
「ダメならすぐに戻します。一度やらせてください!」
社内を説得してなんとか前に進めることに。
そして本番公開。
「これでダメならクビかな?」
と覚悟を決めていましたが
蓋をひらいてみると、新サイトからの新規注文が殺到。
準備していたマーケティング施策の効果もあり、売上は30%以上アップ。
その夜、嫁と2人で小さなお祝いをしました(笑)
マーケティング責任者としての仕事内容
この成功のおかげで
入社1ヶ月で「課長」に昇格(過去に例のないスピード出世)
年収も一気に100万円近く増えました。
これを皮切りに、いろんなマーケティング施策を実施。
・タレントを活用したTVCM
・テレビショッピングでの販売
・大手カタログ通販との業務提携
・販売代理店を1000社以上にまで拡大
・催事販売組織のマーケティング支援
・1万サイト以上のアフィリエイト提携
・「ウォーターサーバー」でのSEO上位表示
僕が在職した7年間で、担当事業の売上は70億円にまで成長。このときの経験が、今の僕の基盤となっております。
僕が犯した「人生最大の失敗」とは?
でも大きな成功の裏には、いくつもの失敗を繰り返してきました。
「2,500万円をかけて施策が大コケ」
「SEOでペナルティをくらって非表示に」
「強引な仕事ぶりに社内からの大反発」
でも僕が犯した最大の失敗は「人間関係」での過ちです。
左が当時の僕です(当時39歳)
悪い顔ですよね(笑)
体重も今より13kg太っていました。
当時の僕は、実績をだして天狗になっていました。
「自分の考えが正解」
「数字をつくるのがエライやつ」
「ロジカルな考えがすべて」
「年10億円以上の決裁権をもつ部長」
気に入らない相手をガン詰めしたり、時には叱責したり。今だと完全にパワハラ認定です。
当然社内では嫌われ者に。
新たに採用したスタッフさんも次々と去ってしまいました。
それでも「嫌われることも仕事のうち」と完全に開き直っていたのでさぞかし周りは扱いにくかったと思います。あとから聞いた話では「俺に話しかけるなオーラ」がすごかったとか。
当時の僕にとっては数字だけが自分の存在意義となっており、ひたすら売上を伸ばすことしか考えていませんでした。
それを見かねた当時の社長からのアドバイス。
当時は、なんでそんなことを言ってくるんだろう?と半分も理解できていませんでした。でもこの言葉が「失敗」に気づかせてくれた大きな転機となりました。
今ではこの考え方が僕の礎になっています。
マーケティング組織はいわば「サッカーチーム」のようなもの。
攻撃が得意な人、守備が得意な人、足が速い人、体力がある人、いろんな特徴を活かしてチーム作りを行う。
僕はそこの「監督」として、チームが勝つための戦略を考えたり、メンバーの特徴にあわせた戦術を組み合わせたり、相手にあわせて戦い方を変える指示をする。
これが僕の社内マーケターとしてのキャリアで学んだ最大の収穫でした。
器用貧乏な僕は、やろうと思えばサイト制作、広告運用、ライティング、アクセス解析に至るまで全部ひとりで実行ができました。
でも所詮素人の付け焼き刃。
そこそこは稼げてもそれ以上には伸ばすことは無理。
それよりも専門性を持つ仲間を増やして、彼らと一緒に進めることで大きな成果につなげることができることを身を以て経験できました。
■「転職」を考えるマーケターへのアドバイス
転職は怖いもの。
誰だってそう感じますよね。
僕もはじめての転職のときはドキドキでした。
今の自分のスキルが新しい職場で通用するのか?
人間関係がうまくいくのか?
僕が転職をするときは、かならず「年収UP」と「より大きな業務への挑戦」の2つを選定基準にしてきました。
「マーケター」として転職をするのであれば、応募資料や面接も「マーケター」として行動すべき。
市場調査や競合分析を事前に行って自社のつよみ、弱みを発見。市場内のポジションを理解して、改善方針をプレゼンする。これが僕の転職時の必勝法です。
面接だと思わずプレゼンだと思うと、意外と緊張せずに取り組めたりします。
これをやるだけで「おっ」と思われるはずです。
■「独立」を目指すマーケターの戦略とタイミング
僕が独立したのは43歳。
世間的には遅めの独立かと思っていましたが、社会の酸いも甘いも経験したことが独立後に大きく活かされました。
最近は20代で独立する方も多いですが、企業のなかで働く意味や、組織内のいろんな理不尽、社内政治の対応や調整業務など、これらを知らずに独立してしまうと苦労も多いんだろうなと思います。
独立するとマーケティングスキルだけでは食べていけません。
これまでは「マーケティング職人」として得意なことだけをやればよかったのですが、独立するということは小さくとも「経営者」になるということ。
上から指示してくれる人はいません。自分で100%考えて意思決定をする。
この違いはめちゃくちゃ大きいです。
僕自身、20年以上も会社員として働いてきたのでかなり思考を切り替えるのに時間がかかりました。
独立のきっかけは?
きっかけは仕事の同僚の何気ないひとことでした。
それまでは1mmも起業のことなんて考えていませんでしたが「起業家向き」だと言われてからずっと頭から離れず。
3年後には独立をしていました(笑)
最初は法人ではなく個人事業主(フリーランス)としてスタートすることに。
https://twitter.com/horino_ec/status/1764234334314369408
案件獲得ってどうすればいいの?
いざ独立を実行しようとすると、ワクワクよりも恐怖感のほうが大きくなってきました。僕はこれまで営業というものを一切したことがありません。
仕事をどうやって獲得すればいいのか?
これが一番の悩みでした。
僕は当初、独立準備と並行して転職活動も行っており実は3社ほど内定をいただいておりました。
その企業様に「もしよければ業務委託という形で関わらせてもらえませんか?」と打診。
うち2社から「それでもOK」という回答を得ることに。
2社あわせて月80万円の報酬。
これが僕のフリーランスとしてのスタートでした。
(独立時点で会社員時代の給料を上回ることに!)
しかし最初にいただいた案件も、契約は6ヶ月更新。
すぐに次の案件も見つけておかねばとドキドキでした。
そこで営業ができない僕は、Webマーケティングのスキルを活かしてブログをひたすら書いて「ECコンサル」というキーワードでSEO集客を実施。
1年後には、上位表示がされるようになり、ポツポツお仕事の相談も来るようになりました。
そして2021年4月からはSNSをスタート。
これが僕の人生を変えました。
今ではTwitter経由のお仕事の相談が大半となっており、お仕事を手伝ってくださるパートナーさんもすべてSNS経由で採用(かかったコストは0円!)
見知らぬ人から「あ。Twitterで見た人だ」と指を刺されることも(笑)
本当に人生ってわからないものですね。
僕がSNSを活用してどのように案件獲得につなげたのか?過去のnoteをご紹介しますのでご興味あればご覧ください。
独立は「準備が9割」
フリーランスの独立は「周到な準備」と「徹底した自己管理」で成功が決まります。
・時間の管理
毎朝9時から18時に会社で働く。
これを20年間続けてきたので、独立当初は日中に自宅や会社以外にいることに罪悪感を覚えることも。習慣って怖いです。
いま、僕は毎朝4時起きの習慣を続けています。
朝は自分の仕事、午前中はクライアントワーク、午後は好きなことに使う。今のところこの時間配分が最高です。
時間管理術に興味がある方は、過去のnoteをご参照ください。
1日3時間の仕事でパフォーマンスを最大化する「ほりの流 時間術」https://note.com/mirai_marketing/n/n3289b663651c
・お金の管理
誰もが一番怖く感じるのが「お金」ではないでしょうか?僕も人一倍、お金に対しての恐怖は大きかったです。
「1年間仕事がなくても食べていける蓄え」
これを確保することで乗り越えることができました。
独立した年に子供が生まれたのでお金のリスクは犯せません。
我が家の生活費は月30万円。
つまり年360万円あれば仮に1年間仕事がなくても生活はできることに。その間に事業基盤を整えて、新たな案件を獲得できればOK。
この心の余裕は大きかったですね。
しかも僕の場合、コンサルティングという仕事内容だったので、仕入れ無し、在庫なし、オフィスなし、初期投資もなし。
固定費の少ないビジネスを選ぶだけでぐっと倒産リスクも減らせます。
お金の心配が和らぐと「まあ、なんとかなるでしょ」という気持ちでスタートできました(笑)
・人間関係の管理
自宅兼オフィスなので下手すると1日誰とも会話しないことも。
定期的に東京や大阪で人と会う予定を入れ「ほりの会」と銘打った交流会を開催しています。
ここでもTwitterは大きな武器に。年間で100人以上の方とリアルでお会いすることができました。
ほんま最高です!
独立して感じたのは、僕は自分を律することが人よりも少しだけ得意だということ。
時間の管理や、地味なことを継続することは意外と苦になりませんでした。逆に細かいスケジュール管理やタスク管理は苦手だという発見も。
苦手なことは人に任せて、自分が得意な領域に注力する。
これを徹底してきたおかげで、独立後も大きなピンチもなく今のところ無事生き延びることができております。
これも周りの方々のおかげだと心から感謝しています。
独立に向く人、向かない人
「これからマーケターとして独立したいんです」
このようなご相談をいただく機会がしばしばありますが、まずは以下に当てはまるかどうかをチェックしてみてください。
勢いや憧れだけで独立するのは無謀すぎます。
まずは自己分析をしてみましょう。
独立=自由というのは間違いありません。
時間も、お金も、人間関係も自分でコントロールができるように。
しかし自由には必ず「責任」が伴います。
それを面倒と感じるか、楽しいと感じられるか。そこが分かれ目です。
独立に向く人
独立に向かない人
ここから先は
¥ 500
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?