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「自分が幸せになるわけない」という思い込み

ここ3ヶ月で一番グサっと刺さったツイートがある。


これを読んで、わたしには「自分が幸せになるわけない」という思い込みがあることに気付いた。



「うちは貧乏だし親は大学に行っていない、仕事も世で言う一流とは程遠い。そういう家系なんだから、いくら努力してもわたしが幸せになるはずがない。“上の世界” は別世界で、自分はそこまで行けるわけがない。


“上の世界” を見たりちょっと経験したこともあった。でも「あぁこんな世界もあるんだな、自分とは別世界だな、見学はこれくらいにして自分の世界に戻ろう」と、無意識に元の世界へ戻っていた。


わたしが感じる “上の世界” には、実家を出てから出会った人たちが大体当てはまる。

都会に住んで平均かそれ以上に稼ぎがある。子供のころからある程度の経験(習い事や塾、その他諸々)をさせてもらっていて並の教養がある。家族で海外旅行なんかも行ったりして。人生を楽しんでいる人たち。

ぴしっとスーツを着てSDGsバッジを付けた小綺麗な50代男性。
海外も飛び回りながら、自分の興味に従って仕事を開拓していく50代女性。

どちらも両親と同じ50代の男性・女性なのに、全く同じだと感じない。すごく変な感覚。いや、両親が50代に思えないほど思考が幼いとか、そういうことではなく、違う人種に見えるのだ。異世界に生きる人たち。

お金の使い方、日々触れる情報、話す相手、考えていることの規模、雑談で出てくる幼少期のエピソード。どちらが良いとか悪いとかではなく、ただ違いが大きすぎるのだ。



ここまでの文章で沢山のつっこみが入ることは容易に想像できる。今の自分でも十分恵まれている、親を見下している奴だ、人の表面だけ見て判断するな、とか。でもその範疇に収まらないこの違和感を表す言葉がわたしにはまだないから許してほしい。この違和感をしっかり説明できるようになりたい。



そんな “違い” に苦しめられていたわたしに、このツイートが気付かせてくれた。

過去のことは過去のこと、親のことは親のことで、今のわたしには関係の無いこと。もし自分が不幸せな世界に生きているのだと思うのなら、その世界から抜け出してよいということ。今のわたしは、自分が選択したことの結果だということ。

そしてその大きすぎる “違い” は、乗り越えても良いのだ。生まれはそれぞれだとしても、生き方は自由に選択できるのだ。


もしくは、そんな世界の違い=分断を無くすこともできるかもしれない。

分断の対義語を調べると、明確にはないらしい。
イメージに近いのは「融解」「寛容」「融合」あたりだろうか。



この分断がずっとわたしの違和感だったことに気付かせてくれた、そんなツイートだった。

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