【連載】20代で得た知見 #1
名言。
ありたい姿に近づくために必要な
もしくは、気づいていないが実は必要な道具。
同じ名言でも響く時と響かない時がある。
その時々目指している姿が違うから。
↑
持論です。
本当かどうかはわかりませんが、21歳の私はこう考えています。
最初に
『20代で得た知見』には、著者であるF氏が20代で得た183の知見が記載されています。
21歳の自分に響いた言葉も29歳の自分には響かないかもしれないし21歳の自分には響かなかった言葉も29歳の自分には響くかもしれない。
20代を終えた時、再びこの本を手に取りたいです。そして、21歳の時に響いた言葉と比較したいです。
今回は、29歳の自分が比較するための記録として、21歳の自分に響いた2つの言葉とそこから考えたこと書いていこうかなと思います。
41 さようならの時間
これまで信じてきた本や映画、音楽、言葉がいきなり響かなくなる瞬間が人生にはあるものです。
でもそれはあなたが冷淡になったからではない。感情的に死んだわけでもない。
ただあなたの心が、いきなり歳を取ってしまっただけなのです。
必要以上に悲しむことではないのですよ。そしてもう一つ。
これまで信じてきたものどもは、あなたの本当の故郷なのです。故郷は普段、思い返さないでしょう。なにかを失くしたと思ったら、そこに帰省するのを推奨します。
昔と比較すると、人や本から受ける言葉、歌詞に響くことがかなり減ってきました。
昔なら『そんな考え方あったんだ!すごい。』スッと自分の中に落ちていった言葉も『まぁそういう考え方もあるよな。』今はこれでおしまい。
すぐ感動してすぐ泣いていたあの素直な自分の感情はどこへ行ったのか。少し寂しくなっていました。
なのでこのF氏の言葉を見て、『あぁ歳をとるとそうなるのか。 当たり前のことなのか。よかった。』少し安心しました。歳をとったという事実を受け入れることもまた悲しい気がしますが(笑)
例え今は響かなかったとしてもいつかまた響く時が来る。いつかまた必要な時が来るかもしれない。
その時のためにも響いた言葉や音楽は残し続けようと改めて決意しました。
49 大前提として人は、食事したものしか排泄できません
オリジナルだとか、唯一無二のなにか、なんて崇高なものは、この世に存在しない。誰もが誰かの複製。一切は借り物。でもそれだけでは世界は余りに窮屈でしょう。この世界の限界を突破する方法がひとつだけ存在します。
人は、見聞きした言葉しか話せません。
でも、見聞きした言葉は、出会った人によるものである必要がない。
最初にこの言葉に出会った時、衝撃を受けました。
オリジナルだとか、唯一無二のなにか、なんて崇高なものは、この世に存在しない。
え、どういう意味? 誰一人として同じ人はいないのではなかったの?
だけど、心のどこかで気づいていたような気もします。
人の言葉に響くことが減った理由として、「同じような言葉誰かも言ってたから。同じような言葉本でみたことあるから。」「すごく魅力的な言葉も、誰かの言葉であることに気づいたから。」こう解釈していたので。
何かを読んだり聞いたり見たりしたからこそ言葉は生まれてくるもの。これって当たり前のことですよね。
唯一無二の言葉なんては存在しない。というより、唯一無二の言葉しか存在しなかったら会話が成り立たなくなりますよね笑
だけど、その言葉を発したいという強い思い。そこには、オリジナリティがあると私は考えています。
その人は、きっとどうしても相手に伝えたい思いがあってその言葉を発している。同じ言葉であってもその言葉にかける思いは人それぞれ違うはず。そこにこそオリジナリティがあると私は考えます。
でもきっとこの思いに気づくためにはたくさんの言葉に触れる必要がある。たくさんの言葉に触れれば触れるほどその思いの本質に気づくことができるようになる。
そうなれるよう、これからもたくさんの本を読みたくさんの人と話してたくさんの言葉と触れていきたいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました🙇♀️
厳選した2つを書こうかと思っていたのですが制限かけるのは勿体無いような気がする(勿体無いというか発散しきれなくてむずずむずしている笑)ので連載形式にしようかなと思います(笑)⇦note を更新する習慣をつける良い機会にしたいという裏目的もあります笑
次回も読んでいただけたら嬉しいです♡
ではでは。
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