ゲームとマッツが大好き。

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陰鬱な人間こそ、陰鬱な映画を

 高一の夏、私は死んでいた。 生きているとは程遠い生活を送りながら、死のうにも死にきれず、ただ日々を摩耗していたあの頃。 そんな毎日を一緒に過ごした映画が『エヴァンゲリオン旧劇場版』だ。 俗に「旧劇」と呼ばれるその映画は、希死念慮を持っていたら危ないのではないかと思うほど、あからさまな陰鬱さを孕んでいた。 しかし、当時の私はそれを観て死のうとは思わず、廃人状態の中観たそれは異常なほど心地よかった。 旧劇は一言で言えば、生温かいのだ。 血生臭い割にどこまでも愛に飢えたキャラ

    • 断片的に思いついた創作をちゃんと形にして、公募に参加してみたいなー。 本当は漫画でやりたいけど、コマ割りとか構図とかできる気がしないからやっぱり小説かな。でも本読まないやつが小説なんて書けるだろうか、、

      • 絵が描けなくなってから、ゲームや映画、勉強など色々なことに打ち込んでいる。 毎日が充実していて楽しい。 ただ、やっぱり心というのは正直なもので、無性に泣きたくなる日が増えた。 虚しい、虚しいな。

        • 初めての詩

          いつのまにか執着君のせいで僕は堕ちていく でも、君とどう付き合うか それが僕の人生そのものだから いなくなったら寂しいかもな 君がいるせいでこんなに生き辛くても 君のせいにはしない 僕が君を包みこめるほどの 人間になればいいだけの話 僕の人生は君との対話 いつまでも君と話していたいような いや、やっぱりいいや 気が済んだら離れてくれよ 気難しい君と話すのは、疲れるから 何を言ってる? 私を掴んで離さないのは お前じゃないか 希死念慮と付き合っていくのが、私の人生なのか

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        陰鬱な人間こそ、陰鬱な映画を

        • 断片的に思いついた創作をちゃんと形にして、公募に参加してみたいなー。 本当は漫画でやりたいけど、コマ割りとか構図とかできる気がしないからやっぱり小説かな。でも本読まないやつが小説なんて書けるだろうか、、

        • 絵が描けなくなってから、ゲームや映画、勉強など色々なことに打ち込んでいる。 毎日が充実していて楽しい。 ただ、やっぱり心というのは正直なもので、無性に泣きたくなる日が増えた。 虚しい、虚しいな。

        • 初めての詩

          躁鬱患者がうっかりアフターサンを観た話

          観ていて動悸がする映画は初めてだ。 観ていてこんなにも、早く終わってくれと思った映画は初めてだ。 今回は精神疾患描写がリアルすぎて気分が悪くなった映画「aftersun(アフターサン)」の感想と考察を書き留めたいと思う。 気分が悪くなったと書いたが決して貶める意味ではなく、恐らく登場人物と同じ病を患っている私にはリアルすぎた、という個人的な理由なので批判的な内容ではない。 まず物語の簡単なあらすじを書くと、離婚したため滅多に会えない父カラムと娘ソフィはある年の夏、トルコの

          躁鬱患者がうっかりアフターサンを観た話

          アイデンティティだって諸行無常

          絵が好きだった。 pixivでイラストを漁ったり、画集を買ったり、たまに展示に行ったり。 絵を描くのも好きだった。 毎日のように推しカプを描き続ける狂った時期もあった。 私には”絵”というものが凄く身近にあった。 囲まれているのが当たり前で、今の私を形作っている存在。 ”絵が好き” それが自分のアイデンティティだと、そう思っていた。 しかし、ある日を境に私は絵が描けなくなった。 あんなに描いていた推しカプも、ぱったり描かなくなってしまった。 描けないだけならまだしも、絵に

          アイデンティティだって諸行無常

          「豪雨」+「教室待機」=カオス

           雨の日が好きだ。 音楽はかけず、少し開けた窓から聞こえる雨音と湿った地面を走るタイヤの音だけをbgmにして、ぼーっとしながらゲームをする、私が考える雨の日の理想だ。 しかし、上手くいかないのが理想である。 雨の日というのは、強烈なノスタルジーが私の頭を殴ってくるからだ。 ふとした瞬間に「いつかの雨の日」を思い出してしまい、ゲームどころじゃなくなって、追憶にふけてしまう。 そんな私が、いつだって思い出してしまうのは「雨の日の教室」 私は「雨の日の教室」が大好きな子供だった。

          「豪雨」+「教室待機」=カオス

          自己欺瞞の果てに  ワンダと巨像考察

          (この記事はワンダと巨像のネタバレと妄想を大いに含みます) たまに自分の過去記事を読み返したくなる時がある。 その時の熱量がそのまま感じられて、読んでいて微笑ましくなるからだ。 しかし「ワンダと巨像」について書いた最初の記事だけは読むのを避けてきた。初投稿だから文が拙そうだし、恥ずかしいぐらいの勢いで書いた覚えがあるからだ。 ところが、意を決して読んでみた結果気になったのは、文の拙さや勢いなんかではなかった。 「ワンダくん、覚悟ガンギマリすぎない???」 ということで今回

          自己欺瞞の果てに  ワンダと巨像考察

          上田文人の世界に惚れ込んで

          「ワンダと巨像」で上田さんが作る世界にハマったことをきっかけに購入したゲーム「人喰いの大鷲トリコ」を昨日ようやくクリアした。 そして思った。やはり私は上田さんの作る世界が心底好きなのだと。 謎は謎のまま前作ワンダと巨像でもそうだったが、説明を極限まで削いで作られた世界観が凄く好きだ。舞台となる世界の成り立ちについて説明は一切なし。結局大鷲を操っていたあの装置は何だったのか?ヨロイは?少年が連れ去られる扉の先には何があるのか?疑問は無限に出てくるが、その答えを得ることはできな

          上田文人の世界に惚れ込んで

          行間オタクと芭蕉と私

          (※宝石の国12巻までのネタバレを少し含みます) みなさんは、物語の行間を勝手に想像して、Twitterで発狂するという経験をしたことはあるだろうか。 私はある。 ここ二年、私は宝石の国行間捏造オタクをやっているが、これがまあ本当にしんどい。なぜなら、私が大好きなのは彼らが宝石だった時代の妄想、つまり、彼らが月人になることを分かった上で、あったかもしれない日々を妄想するのにハマっているからである。 しかし、行間を捏造することで生まれるこの苦しみを、私は以前も味わった事があるよ

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          どこまでも高潔だったあなたに  Hotline Miami考察

          前置きが思いつかないのでいきなり本題に入るが、今回は私が大好きなゲーム「Hotline Miami」シリーズで感じたある一つの違和感について考察していきたいと思う。がっつりネタバレを含むうえ、あのややこしいストーリーをかなり理解していないとわからない内容になっているのでご注意を。 まず違和感のある部分とは、ビアードのこのセリフである。 1でVHSショップ屋のビアードがジャケットに話しかけてくるシーンだが、かなり血の気の荒い発言をするので記憶に残った場面である。 まず前提と

          どこまでも高潔だったあなたに  Hotline Miami考察

          宝石の国〜三族のモチーフは本当に仏教の三界なのか〜

          宝石の国に登場する三族(月人・宝石・アドミラビリス)はそれぞれ仏教の世界観における三界をモチーフにしている説がある。 まず三界の基礎知識から。三界とはその名の通り、仏教における三つの世界のことを指す。 簡単に言うと、無色界は精神だけの世界、色界は物質(肉体)に縛られた世界、欲界は欲望に縛られた世界のこと。上に行くほど欲と物質(肉体)の縛りを離れていく。確かに物質の縛りの有無で言ったらピラミッドの分布は以下のようになるだろう。 月人は空を飛び、身体を霧散されることができるが

          宝石の国〜三族のモチーフは本当に仏教の三界なのか〜

          ワンダと巨像、好きすぎてnote始めた人

          つい先日クリアして、あまりに刺さりすぎたのでなにか書き残したいと思い、noteを始めてみた。 クリア後、手帳に書き殴った主観と妄想を纏めたものなのでご注意を。日本語は苦手である。 セカイ系とリアリスト私がどハマりする作品は、高確率である作品と似ていることがある。 今も色濃く、バイブルとして私の中に流れている「新世紀エヴァンゲリオン」だ。 悪い癖だが何かにハマるたび、エヴァとの共通点を探してしまう。 例に漏れず今回も探してみると、あったのだ。 どう考えてもなさそうなエヴァと

          ワンダと巨像、好きすぎてnote始めた人