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「豪雨」+「教室待機」=カオス

 雨の日が好きだ。
音楽はかけず、少し開けた窓から聞こえる雨音と湿った地面を走るタイヤの音だけをbgmにして、ぼーっとしながらゲームをする、私が考える雨の日の理想だ。

しかし、上手くいかないのが理想である。
雨の日というのは、強烈なノスタルジーが私の頭を殴ってくるからだ。
ふとした瞬間に「いつかの雨の日」を思い出してしまい、ゲームどころじゃなくなって、追憶にふけてしまう。
そんな私が、いつだって思い出してしまうのは「雨の日の教室」
私は「雨の日の教室」が大好きな子供だった。

外の暗さとは対照的に、嫌に明るく見える教室の電気。
クラス全員一日中屋内にいるという、閉塞感ありつつ、人間の体温が感じられるどこか温かい空気。
雨の音が聞こえない、昼休み。
雨の音がやたら聞こえる、五時間目。
日常の中の少しの非日常が、私には愛おしかったのだ。

しかし、少しの非日常ではなく、完全な非日常も私は大好きだった。
「雨の日の教室」ではなく「豪雨の日の教室」である。
大体は雨の日と同じだが、豪雨の日は一時的に下校できなくなるという特殊イベント付きなので、私はいつもワクワクしていた。
教室待機という名のカオスが発生するからだ。

雷が鳴るたびに叫ぶ女子。
それを裏声で揶揄る男子。
キレる女子。
それを横目に、終わりの見えない指遊びをする私と友達。
なぜかいる隣のクラスメイト。

カオスである。
共学の学校ならどこでも起こり得る、至って平凡で愛おしいカオスである。

しかし、このカオスのクライマックスはここからだ。
「豪雨」+「雷」
そう、停電だ。

雷ほどは叫ばないけど、ちょっと泣きそうになる女子。
若干引き気味に揶揄る男子。
キレる女子。
そろそろ帰らせろと騒ぎ始める一部の生徒。
疾風の如くアルプス一万尺をする私と友達。
そしてやはり、雷が鳴ると叫ぶ女子。

カオスである。
そしてこのカオスな思い出を何年も大事に抱えている私は、あまりに滑稽である。

人間の記憶というのは案外脆弱なもので、あんなに楽しかった学校生活も今では思い出せることが少なくなってきた。
しかし、修学旅行の記憶さえもほぼなくなっているというのに、雨の日の教室の明るさ、温かさ、稀に起こるカオスだけは鮮明に覚えている。
あの頃のことを、もう思い出せなくなっている事実は寂しいことだが、たった一つ克明に覚えているカオスが私の心をいつも笑わせてくれるのだ。



一通り昔を思い出し、ノスタルジーの波が引いてくると、握ったままのコントローラーと目の前の中断していたゲーム画面に気がつく。
そしてまた、雨音と走るタイヤの音だけをbgmにして、私は一人ぼーっとゲームをする。

そんな日が好きだ。

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