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noteからWEB、私のその後

 創作大賞も、いよいよ締め切りまで10日を切った。

 当初、募集要項に「スキ」「コメント」を考慮に入れると書いてあったのを読んだときは正直、あらら残念、と思った。

 別に「賞とったるで」みたいな鼻息の荒いアグレッシブな気持ちでいたわけではなく、お祭り気分で「ちょっと参加してみようかな」という感じではあったのだが、スキやコメント如何によってそもそも土俵に乗れないのだとしたら悲しいなと思ったのだった。そして、スキやコメントをなるだけ集めようとする人がいてもおかしくないなとも思った。

 私の記事はいわゆるニッチなほうだ。
 ニッチにしては健闘していると勝手に思っているが、数の多くないビューに対して10%くらいスキをしてもらったらかなりいいほう。

 大変ありがたいことに、常日頃、自分の記事にはスキもコメントもつけてくださる方がいる。コメントは善意そのものだ。
 私自身は「書く」に比重がおかれている時期は他のかたの記事をなかなか読みに行けないが、それでも読むときはちゃんと読んで、コメントするときは心をこめてコメントしようと心がけている(やたら長い)。
 だから参考とはいえその数を競うことに抵抗があった。

 noteはSNSなので、スキやコメントが記事の良し悪しには直接関係がない場合もあるな、とも思った。知り合い、という気持ちが強くなると、内容はともかく相手の方とおしゃべりしたいような時もあると思う。最近はあまり見ないが、フォローが欲しいからスキをする人もいないわけではない。それが悪いということでもない。

 とにかく「数」だけを見たら活動が活発な人にはとても太刀打ちできないのは明白だ。

 しかし、しかしだ。
 私は女性なので文字通り本物の土俵にはあがれない。
 だからといって相撲が嫌いではない。
 土俵にのれないくらいで、やめる、というのもおかしな話ではある。

 そもそも、他人の評価が指標になるというのは、考えてみれば当たり前のことかもしれない。

 自分が選考委員になった時のことを考えてみよう。
 あるいは、大手企業の会社の人事部に配属されたと考えてみよう。

 履歴書を、最近はエントリーシートとも言うらしいが、エントリーしてきた学生の何を見ると言ってまずは出身校を見たりするだろう。顔も見るだろう。それに対して「ルッキズムだ」とか「そんなことだから学歴社会がエスカレートする」と言ってみても始まらない。1000も5000も応募があって、会社が給料を払う人物を選ばなければならない。好みというのは千差万別なので、どこかで線引きしないと、いつまでたっても選べない。どんな建前をぶち上げたところでそれが人間で、社会なのだと思う。

 どんな大学に注目するかは会社によるところだろうし、創業者の出身大学は目につくかもしれない。そういえばひろゆき氏は採用するときに最終学歴ではなく中学や高校を見ると言っていた。地頭の良い人が欲しいからという理由だった。

 最初は出身校や容姿に注目するかもしれないが、やはり大切なのは内容で、自社にあっているかどうかを判断するのは書かれている経験や経歴、面接での態度や言葉の選び方など様々な要因を総合して判断することになるだろう。
 似たようなスペックを持つ人物を比べた結果、笑顔がいい、に落ち着くこともあるだろうし、スキやコメントを推薦状のようなものととらえれば、信頼できる推薦状があればそちらを採用したくなるのは致し方のないことだと思う。そういう仕組みならとnoteのなかでのスキやコメントも活発になるという側面もありそうだ。

 でもなにより肝心なのは、選んだ人が会社や社会に貢献する人物たりえるかは、雇用して働いてもらってからではないとわからない、ということだ。苦労して採用しても3日で会社に来なくなるひともいる。
 選考、というのは難しいものだと思う。

 先月、NHKスペシャルで「ヒューマンエイジ 人間の時代 第2集 戦争 なぜ殺し合うのか」という番組をやっていた。

 
 それによると「オキシトシン」というホルモンが敵と味方を分け、必ずしも敵をせん滅する目的ではなく、身内を守るために戦うのが戦争なのだそうだ。

 オキシトシンは、愛着ホルモンとか絆ホルモンと言われる。「愛」に欠かせないホルモンだと言われていたから、その説は意外でもあったし納得もした。確かにライダーや戦隊はいつも愛と平和を守るために闘っている。闘争本能や攻撃性が戦争を引き起こしているわけではなく、闘う理由がいつも「愛」だとするなら、その「愛」が引き起こす結果に、なんともいえない気持ちになるのは私だけではないだろう。
 この世はままならないものなのだ。

 会社も最終的には互いに「オキシトシン」が発動する人間を採用したいし、創作大賞も、多くの人にオキシトシンを分泌させる作品に賞を授与し、利益につなげたい。当然だ。

「今回は出さなくていいかな」と最初は思った。
 でも次は果たしてあるのか、次のその機会とはどんな機会なのか、と考えてみたとき、エントリーすらしないのはやはり後悔のもとではないか、と思った。土俵に乗れなくたってエントリーはできるのだから、なんら不公平ではない。私の作品に、体内でオキシトシンを分泌する人がいないとも限らない。まずは出してみよう、と思った。

最初に出したのは、吉穂みらい名義の創作作品。


 それから、マガジン「やってみた」。
 LINE公式、WEBサイト、投稿サイト探し、Amazon電子書籍出版、Amazonオンデマンドへの挑戦の記録だ。

 noteがなければ挑戦しなかったであろうことが、詰まっている。

 これらの記事を読み返してみると、結構、変化していることがある。

 今はNolaさんは使っていないし、LINE公式は規約が変わって月に1000通出せたメッセージが、無料なら月200通になってしまった。

 私にとってのLINE公式は営利目的の宣伝活動ではないので有料にはできない。公式には現在30人ほどのメンバーさんがいて、毎週金曜日に私の配信を「たぶん」楽しみにしていてくれる。この規約変更で、毎週配信はできなくなってしまった。
 世知辛いが仕方がない。
 また、よりよい方法を考えて改善していくしかない。
 

 WEBの「ひとりごと」は1週間で消えてしまう記事なので、これは意外とチェックしてくれる人も多い。noteと違ってあまり多くの人の目に留まらないと思っているから好き勝手なことを書いているのだが、それが「今のみらっち」を知るのにいいと言ってくれる人もいる。

 世の中は不思議なもので、無料というものはものごとに価値を与えない。
 私のWEBは公式メンバーに限らずいつも開放されているし、小説は無料だが、こういうのは無料だからこそ読まれない。
 お金を払うことは価値をつくる。
 逆説的だが、有料にしたほうが読まれたり望まれたりすることもあるのだ。
 そんなことも、私はnoteから教わった。

 とはいえ私は過去の作品を有料にするつもりはない。noteでの有料記事も作るつもりはない、今のところ。

 ごくまれにWEBの小説を読みましたよなんて言われて「読んでたんですか!」と顔を赤くすることがある。発表したくて載せているのに、読まれると赤面するという不思議。
 今いい創作ができるようになれば、昔どんなものを書いていたのかな、なんて思ってくれる方もいるかもしれないし、死んだら消えてしまうだけだから、小説の墓地だと思ってまとめている。

 Amazonでオンデマンド出版した『駐妻記』は、今年1月から約半年でロイヤリティが12000円になった。冊数で言えばペーパーバックを45冊、買っていただいた。
 さすがに新規でペーパーバックを買ってくださる方はいなくなったが、電子書籍は、半年途切れず、地味に読まれ続けている。

 新しいことだけに価値がある。
 これもこの世の理不尽かもしれないが、真実だ。
 今の時代には、特に。

 でも考えても見て欲しい。
 45冊。
 そのうち自分が買ったのは5冊だから、この世に実質40冊も、40人も、「物質・物体として」私の本を持っている人がいるのだ。
 クラスに何人、ではなく、1クラス全員持っているようなもの。
 ありがとう。
 どのような形であれ、買ってくれて、読んでくれたみなさん、本当にありがとう。

 夢のようだ。

 おっと、忘れずにこの体験も入れておこう。

 noteの沼にハマり、得難い体験をして今がある。
 すべてが、私の創作の軌跡だ。





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