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Review 9 グネグネ

問 診 票   
本書を服用になる前の症状についてお聞かせください。 
 1.理系ワードを聞いたとき、ポカンとしましたか。
 2.数式に目を背けましたか。
 3.奇妙な現象に無関心でしたか。
       ~中略~
今までに理系力を鍛える手術の経験はありますか。
「はい」の場合その手術はどんな本によるものですか。
 (この後も問診はつづく)

『物理学者のすごい思考法』P216

 『物理学者のすごい思考法』の巻末には、こんな問診票がついている。当然、服用前の巻頭には「使用上の注意」がついていて、それがまた全文掲載したいくらい面白い。

使用上の注意
 1.次の人は服用前に書店に相談してください。
 ①物理学によりアレルギー症状(発疹など)を起こしたことのある人。
 ②すでに物理学者の人。

『物理学者のすごい思考法』P6~P7

―――自称物理学アレルギーの人から「あのぅ、これを読んでも大丈夫でしょうか」なんて相談された書店員さんがいたらどうしよう。

用法・容量
 一日一回、適量を読んでください。(ただし、小児に服用させる場合には、保護者の指導監督のもとに服用させてください。なお、本書の使用開始目安年齢は生後144ヵ月以上です。また本書は内服しないでください)。

『物理学者のすごい思考法』P6~P7

―――まずい。一気読みしてしまった。薬(読?)害が心配だ。

保管および取り扱い上の注意
         *この前に①、②の注意事項アリ*
 ③使用期限は服用し始めてから2か月です。使用期限内であっても、品質保持の点から、開封後はなるべく早く服用してください。
 ④小児の手の届くところに保管してください。

『物理学者のすごい思考法』P6~P7

―――リビングのあらゆるところに置いてみたのだが、子供は「ちら」とめくって開封したくせに、あっという間に使用期限を過ぎてしまった。

 さて、そんな魅惑の導入をされたので夢中になって読んだ私は、巻末についていた問診票の、

 ”今までに理系力を鍛える手術の経験はありますか。「はい」の場合その手術はどんな本によるものですか。”

 という質問に至ってハタ、と思った。

 読んでいる間中「ああ、これは掛田くんだな」と思っていたからだ。途中、横辺くんも登場する。

 掛田かけだ君と横辺よこべ君のことを、ご存じの方はいらっしゃるだろうか。

 掛田君は『決してマネしないでください』という漫画の主人公で、横辺君は『数字であそぼ』という漫画の主人公だ。名前からして、掛(×)田君と横辺(よこへん)君はいかにも理系!だ。ともに理学部。掛田くんは架空の大学、工科医大(おそらくモデルは東工大)物理学専攻。横辺くんは吉田大学(おそらく、というか間違いなくモデルは京大)数学専攻だ。

 掛田君の登場する「決マネ」こと『決してマネしないでください』はこちら👇。「決マネ」は、掛田君が学食で働く年上の女性に恋をするところから始まる。

『数字であそぼ』の横辺くんはこちら👇。

 そうか、私はすでに手術を受けていたらしい。しかもわりとちゃんとした手術を施されている。この『物理学者のすごい思考法』を読んだときに全くアレルギー症状が出なかった。アレルギーはすでに改善していたのだ!そうでなければかなりの斥力(引力の反対)が働いて、私はこの本を手に取ることすらしなかっただろう。

 もしかしたら著者の橋本先生は「決マネ」で監修などはしていなかっただろうか?と思って見たら、ありました、ありました。「決マネ」3巻にて、「special thanks」のページ、大阪大学大学院素粒子論研究室の皆さんのお名前の筆頭に、橋本先生のお名前がある。

 ひとりで「エウレカ」と盛り上がった。ただしこの発見は別にすごいことではない。なぜなら漫画の掛田君は理学部/物理学専攻/理論物理学教室/高科たかしな教室のゼミ生で、高科教授は「超ひも理論」の研究者(という設定)なのだから。橋本先生は「高科先生」を構築するモデルのひとりだといっても過言ではない。「決マネ」読者ならすぐに思いつくことに違いない。

 橋本先生との関連性は漫画のあちこちに散見されるが、必ずしも高科教授と橋本教授が近似とはいえない。高科先生は家にスパコンを置いてCIAに狙われているが、橋本先生はそんなことはまさかないだろう。それに高科先生は独身だが、橋本先生にはツッコミの上手な素敵な奥様とレゴと迷路の好きな賢いお子様がいる(ときどきエッセイに登場される)。

 物理学の教授と言うから朝起きてから寝るまで数式で話をするような方なのかと思いきや、シャーロックホームズが大好きなシャーロキアンであり、グネグネの建物に魅せられてグネグネの建物のある街に住んでいるらしい。ちなみに「グネグネ」とはカオスであり、カオスは二重振り子のように複数の規則が重なり合うとできるのだという。いちいち面白いことが出て来るので、おちおち飛ばし読みもできない。幾何や微分を愛してやまない先生のグネグネの選択は、少し意外な気がして親近感がわく。

 漫画では、高科教室は二人きり(掛田君と、もうひとり謎の女性はバンビのぬいぐるみを被っていて人が多い時は表に出てこない)のゼミだが、ここに工学部の有栖くんと留学生のテレスくんが入り浸り(アリスとテレス、アリストテレス…)、高科先生の学生時代からの友人で病理医の白石先生もちょくちょく来るので理論物理学教室は賑やかだ。

 そんな漫画に出て来る個性的な面々のリアル版ともいうような人々が、『物理学者のすごい思考法』にも続々登場してきて、面白い。むしろ事実は小説より奇なり、という感じすらするほどだった。

 そんなわけで知らないうちに漫画による理系力強化手術を施されていた私は「決マネ」のメンバーを思い浮かべつつこの『物理学者のすごい思考法』を読み進めていった。折々に「数式を使って宇宙の謎に挑む理論物理学の基礎は数学」「数学に心惹かれる」「幾何や微分に魅せられる」といったエッセイが頻出し、そうなると今度は横辺くんの出番となる。

 『数字であそぼ』の横辺くんは、驚異的な記憶力を持つ学生だ。高校数学が得意だったので大学も理学部に進んだが、大学の数学があまりにも高校の数学と違っていることに驚き、ショックを受け、大学に行けなくなってしまう。なんということだろう。驚異的記憶力をもってしても、数学には太刀打ちできないのだ。横辺くんは、数学に魅せられた友達にひっぱられる形でなぜか「恐ろしい」と感じているはずの数学科に進んでしまい、数学と格闘するアレコレが実に滑稽な出来事を引き起こしたりする。

 『物理学者のすごい思考法』の中で橋本先生は、常に数学の問題を考えてしまう横辺くんの友達と同じような思考や行動をされている(横辺くん自身はそういう思考・行動がとれないので数学ゼミでは苦しんでいるのだ)。いや、横辺くんの友達が、橋本先生のような行動をデフォルメして教えてくれている、と言うべきだろうか。

 橋本先生も、高校までの数学・科学の区分が大学の学部や専攻に結びつかなくて学生が混乱しがちなことに触れていらっしゃる。この辺は、どこかで是正されないものなのだろうか。横辺くんのような数学迷子を作り出してしまう原因になっているのなら、喫緊の問題ではないだろうか、と思う。

 ともあれ、本書でなにより印象に残ったのは「科学は美しいのか?」というエッセイだった。

 僕は20代まで、人生とは自分の専門性を狭めていくことである、と思っていた。興味あることをより狭く見つけていくことが、自分の高揚と安心につながる、という一心だったのだろう。専門を極めることが、人生において美を感じ続けることを確実にするための、僕なりの方法だった。つまり、僕の場合は、論理を構築するときに感じる「美」の追求のために、自分が考え、感じる対象領域をどんどん狭めていき、その狭い中で自分を高揚させ安心させてくれるという意味の美を愛するようになったのだ。(中略)僕は構造の美のみを愛しており、科学現象を愛していなかったのかもしれない。

『物理学者のすごい思考法』P142

 実は私にとって、この個所は難解だった。宇宙の構造というとんでもなく大きなことを考えるのが専門の先生が、対象領域を「狭めた」ということに少し混乱すらした。でも確かに専門性を極めるということは「狭める」ことに他ならないのかもしれない。虫眼鏡で光を集めて黒い紙に焦点を作るように鋭角に「狭めて」行くイメージだろうか。

 先生は、「美」を感じるのは人によって相対的なことだから、自分の美の定義は「科学は美しいか?」=「科学現象は美しいか?」と問う人の定義とは違うかもしれないが、構造の美を追求しているという点では間違っていない、やはり自分の中の美意識が自分を突き動かしているのだろうとおっしゃられている。

 確かに数学者や科学者の方々が「数式は、科学は美しい」と言っている文脈に接することは多い。しかし何について「美しい」と感じるかは、科学者でもそれぞれなのだ。なるほど心に「美」が存在するからこそ、興味を追求する原動力になりえる、というのは理解できそうな気がする。「審美」と言い換えてもいい。しかしそれをあえてすり合わせて一般化しようとすると、おそらくは様々なところに齟齬がうまれてしまうだろう。

「美」に対して厳密性を求めると、「美の普遍」に対しては悲観的にならざるを得ないというのには頷ける。私には数学や物理のことを説明してある箇所以上に、個人的感情や心に依存する概念を説明したこの箇所にこそ、『物理学者のすごい思考法』が集約されているように感じられた。どちらかと言えば厳密性よりも曖昧な余韻や想像を楽しむ文系的な解釈とはひと味もふた味も違うと感じたのだ。

 皆が鑑賞して美しいと感じるものが美術館には並ぶが、そこに厳密な「美」の定義はない。しかし数学や科学はそこに厳密な美を審美しようとする。たとえばモナ・リザの顔に黄金比をみたり。といって「黄金比が存在するから美しい」として黄金比に適った絵だけを集めた美術館を建てたら人々はどう思うのだろうか(それはそれで面白そうだけれども)。概念を形にする、言葉にするときの相互理解の困難さの神髄を見る気がする。科学者は曖昧さのないものに美(センス)を感じるが、一般の人は曖昧さを回避したものが必ずしも美しいわけではないと感じる、ということだと思う。センサーが違うような気がする。

 この2年あまりの年月は、メディアやSNSに、医学や疫学などの沢山の専門家が現れた。彼ら専門家の「手を洗いましょう」「マスクをしましょう」「基本的対策をとりましょう」ということのどれをとっても、専門家同士、また当然一般での受け取り方にも千差万別の違いがあり、その多様さに驚きつつ、言葉の持つ力と意味ついて考えさせられた2年だった。

 専門家には自明である言葉をその意味通りに受け止めることは、無知無明の民には極めて難しいことだ。一般の人が言われた通りちゃんとしているつもりでも、きっと専門家の方々は、あまりにも一般に「伝わらない」ことに愕然としたことが一度や二度ではないだろう。それはことこの「厳密性」において、「定義」において仮定する時点で、そもそものスタート地点が違っているからなのだと思う。

 さて。本書を読むと、やはり副作用は出る。道を歩くとき、つい経路について考えてしまったり、太陽に向かって首を傾げて地軸を感じたくなる。意味なく「近似値」とか「有効数字」とかの理学部語を喋ってみたくなる。個人的には特に「シュレーディンガー音頭」を聞いてみたくて仕方がない。プサイ(Ψ)とファイ(Φ)が、人が手を上げ下げしている様子に似ていることから振付をつけた音頭があるのだという。

 掛田君の恋が、相手の女性の「物理学的理解度の急成長」により成就したように、愛があればその副作用すらも心地いいものになるのだろう。しかしまずは初歩段階として、本書を読むことで身近なものに対する視線に変化が現れるのは保証できる。アレルギーの無い方には、是非とも一度、服用してみることをお勧めしたい。

※遅れも甚だしいが、これは「”読書の秋2021”の、”締め切りに間に合わなかった”読書感想文」である。笑




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