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占いの文章が好き

 かわせみさんの記事にコメントを書いていたら、コメント欄にとても収まり切れない思いが湧いてきたので、記事にまとめておくことにした。

 かわせみさんの記事は、すぐ忘れちゃうような「今日の運勢」でも、人の心を軽くする役に立っているし、気分良く過ごすことに貢献しているよね、家族がそれによって気分良く過ごせるならいいよねという記事だったのだけど、読んでいたら「そういえば占いのことで書きたいことがあった」と思い出した。

 テレビでも、雑誌でも、ネット上でも、結構ありとあらゆるところで本日の占いや運勢といったコンテンツを目にする。
 そしてそれは案外、気分を左右する。

 これほど世の中に溢れている、ということは、「人々が欲している」ということなのだと思う。気にしない、と言う人もいるだろうし、とても気にしてしまう人もいるだろう。ひとりひとりはそこまで渇望していなくても、全体としてみると「ないよりあったほうがいいもの」と認知されているから、古今東西長きにわたり存在しているのだと思う。

 どんなに科学が発達しても、私たちは気象のことも明日のこともはっきりとはわからない。未来は蓋然性の世界だ。何が起こるかわからない未来は誰しもが不安だし、起こったことによって嫌な気分になるのは、やっぱり嫌なものだ。

 これから先に起こることが、できたら「いいこと」であってほしいし、嫌なことなら避けて通りたい。縁がある人とつながりたいし、どこにその縁があるのかを知りたい。
 見えない未来に対しそんな風に思うことは、とても自然な感情なのではないかと思う。

 映画『マイノリティーリポート』みたいに未来予知者プレコグが未来を教えてくれる世界なんて、むしろ嫌すぎる。
 『マイノリティ・リポート』では、将来犯罪を起こす人を片っ端から未然に逮捕監禁あるいは排除していた。
 未来が全部わかってしまったら、生きる気力がなくなりそうだ。

 人生は、先がわからないから面白い。
 だからこそ占いも面白い。

 私は昭和に幼少期を過ごしたので、多分に漏れず少女向け占い雑誌『マイバースディ』などで、ひと通り様々な占いに親しんできた。

 振り返れば『マイバースデイ』は世界中の占いの存在を知るのにうってつけの教科書だったように思う。興味が湧いたものは本を読んで調べたり、追いかけたりした。
 長じてからは、占いは当たるも当たらないもないのだなと思うようになった。「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」というようにどんなことにも悪いこともいいこともないのだと思う。そこには「捉え方」があるだけだ。

 もちろん、対面でカウンセリングのように語りあうセラピーのような占いもあるし、そこにはそこでしか得られないものがあると思うので、占い自体を「そんなもの」などと軽視することは決してない。重大な決断をするときに「占い」を上手に活用する人は、想像以上に沢山いるのを知っている。占いの世界は広く、深いのだ。

 私はあちこちでいろいろ視てもらう、というタイプではない。
 でも、どういうわけか、占いの文章や言葉が大好きだ。

 世間に横溢する無料の占いは本格的な占いの「つかみ」だったりエンタメだと思っているが、それでも「今日は何をしてもうまくいかない日」なんて言われるよりは「今日のプレゼンはばっちり」と言われた方が、プレゼンの予定は全くなくても気分がいい。

 朝の星座占いなどふとした時に届いた言葉で、ちょっと気分を変えられるなんて有難いばかりだ。ラッキーアイテムが「赤い服」で、それがちょっと心に残ったら、お守り代わりに待ち受けをカズレーザーにしとくのも悪くない(したことはないけど)。

 何年か前から、毎朝、石井ゆかりさんの「星読み」を愛読している。
 石井さんの書く文章や言葉が好きだからだ。

 そもそも、データをもとに象徴をどう解釈するのかが占いだと思うので、読み取ったきたるべき未来をその占い師さんが「どう料理」して「どう提供」しているのかにとても興味がある。

 石井さんの、悪いことでさえポジティブに書く、その言葉選びが好きだ。喩えの表現も面白いし、何より詩的だ。
 決して人を不快にさせない言葉を選び取るセンス。

 かわせみさんが好きと仰っていたしいたけさんの占いも読んだことがあるが、同じだと思う。
 語り掛けるような言葉から今の自分を肯定され励まされているように感じ、読むと元気が出てくる。

 鏡リュウジさんや星ひとみさん、ゲッターズ飯田さんなど、有名な方々もそうだが、ネットや雑誌で見かけるプロから素人までの現代の占いという占いの人々の「言葉」が、私は面白い。

 占いの文章というのは、正解がなく、過去の事実について書いてあるものではないだけに、書き手の工夫が見事に現れる。「~でしょう」とまるで天気予報みたいな文末なのだが、天気予報とは違うバリエーション豊かな語彙に溢れている。自分のオリジナリティを出しつつ、心理学などのいろんな要素を取り入れて、あらゆる事象を多面的にとらえながら人の気持ちを盛り上げることに苦心しているのがすごくわかる文章が多い。だから、雑誌の占いページなんかは食い入るように読んでしまう。鏡リュウジさんのブログなんて、本格的な知識が満載で読み応えたっぷりだ。

 「占いジプシー」など、次々と占いを求める人もいる一方、今は素人でもひとかどの知識がある人が沢山いる。占いをする側にとっては、理解者が増え、相手により深い理解を求めていける反面、生半可なことが通用しなくなって偽物が簡単に排除されていく傾向にあると思う。このご時世、占い師は常に勉強しなくてはいけない。大変な仕事だと思う。

 今のところ私は、特別占ってもらわない代わりに「今だ」という時に自分に来る言葉を大切にしたい、と思っている。

 カクテルパーティー効果みたいに、雑踏の中からあるひとつの言葉が、突然浮かび上がるように実感を伴ってすっと入ってくることがあるが、あんな感じで、自分に向かってくる言葉。

 小説の中の言葉。ネットで見かけた言葉。友達が言った言葉。
 その言葉の中にハッとするものがある。
 今自分が気にしていること。ちょっと悩んでいること。
 必ずしも正解が来るわけではないが、自分の内なる言葉に気づく瞬間が、私のとっての「オラクル」だ。
 それが占いの姿をしていてもしていなくても私は、「言葉」を捕まえて「占い」にしてしまっているのかもしれない。

 日本には昔から「言霊」という言葉があるけれど、西洋にも「オラクル」というお告げ文化がある。何かしらの言葉がタイミングよく耳に入ってくることは自分にとって大切だ、という感覚が人間にはあるような気がする。

 岡崎体育さんの曲に『Horoscope』というのがある。

 この曲はラジオの星座占いの曲。
 最初は丁寧に各星座のアドバイスをしているが、途中からめんどくさくなってラッキーアイテムは全部「模造紙」になるし、いて座から後は適当にまとめられてしまっている。
 言ってみれば「占い」と「占いに振り回される人」をおちょくっているのだが、占いの本質を突いているような気もする。

 今週の君のことは君が決めればいいし
 誰かに何を言われてもずっと輝いていて

岡崎体育 『Horoscope』

 確かに、決めるのは自分だし、誰かに言われた言葉に依存するのは違うと思うけれど、それでも未来を照らす言葉は前に進む原動力になる。

 きっと人には「自分に向けられる言葉」が必要なんだと思う。
 占いを上手に利用して生きていきたい。 




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