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多和田葉子によせてⅡ 母語を出る旅と孤独

 多和田さんのことを、私は本来、語ることなどできない。

 私は学のない一般の市民であり、路傍の石のような主婦である。尊敬している作家さんは何人もいるが、そのどなたの作品も全部は読んでいないし、学者のように読み込んでもいない。
 大変一般的な意味で「読んだ」という、それだけだ。

 にもかかわらず、多和田さんについては、なぜか語りたい思いがあふれてくる。

『エクソフォニー(2003)の、最初の「ダカール」のページを、正直何度読んだかしれない。何度読んでも新しい発見がある。

 すべて創作言語は「選び取られたものだ」ということになる。運命のいたずらで他所の言葉を使わなければならなくなった作家だけが例外的に言語を選択しなければならなくなるのではない。一つの言語しかできない作家であっても、創作言語を何らかの形で「選び取って」いるのでなければ文学とは言えない。

『エクソフォニー』母語の外へ出る旅 1.ダカールより

外国語で創作する上で難しいのは、言葉そのものよりも、偏見と闘うことだろう。

『エクソフォニー』母語の外へ出る旅 1.ダカールより

 エクソフォンという言葉は、欧米圏ではすでにあり、認知もされているにも関わらず、ためしに日本語でググってみると、多和田さんの書籍の書名しか出てこない。

 この事実からして、日本人のエクソフォンに対する認知度はたいへん低い、ということであり、日本語と日本語感覚がどれほど閉じたものであるかが、はっきりする、と思うのだ。

これまでも「移民文学」とか「クレオール文学」というような言葉はよく聞いたが、「エクソフォニー」はもっと広い意味で、母語の外に出た状態一般を指す。外国語で書くのは移民だけとは限らないし、彼らの言葉がクレオール語であるとは限らない。世界はもっと複雑になっている。

『エクソフォニー』母語の外へ出る旅 1.ダカールより

 エクソフォンという言葉以前は、上の多和田さんの文章の引用にも出てきた「ピジン語」とか「クレオール語」といったものが「植民地の言葉」だと認識されていた。
 「ピジン語」というのは、共通言語をもたない複数の集団が使う接触言語(二種類以上の言葉が影響を及ぼしあう言語)だ。ピジン語が母語化し、より完成されて公用語のように使われるようになったのが「クレオール語」だ。

 リービ英雄さんの解説に、私が何度も読んだ部分がたくさん引用されていたので、ああよかった、同じことを考えた人がいたのだとなにか安心した。


 リービ英雄さんの解説も少し引用してみる。

 「エクソフォニー」というカタカナの、元のアルファベットを思い浮かべてみると、exit(出口、外へ向かうところ)と、telerhoneやphonographのphone(音、もしくは声)から「外へ出る声」だと分かり、phoneがphonyに変わったところ、「外へ出る声」の、その状態なりその現象を意味しているのも、分かった。そしてそのような現象が、批評用語という形で認められたということと、その中には言葉の表現に対する新しい認識がこめられているだろうということを、ぼくは直感することができた。

リービ英雄 解説「エクソフォニー」の時代 より
太字部分は私の主観によるもの

「エクソフォニー」という英語は、リービさんによると「母語以外の言語で文学を書く」現象を指す用語としてすでに学問的に成立していて、リービさん自身も、「エクソフォン作家」の系列に属しているという。

 日本の中で、他の国で生まれ、後天的に日本語を学習し、日本語で文学評を書いていると言ってすぐに思い浮かぶのはドナルド・キーンさんやロバート・キャンベルさんだ。

 文学といって限定するなら、ノーベル賞を取ったカズオ・イシグロさんがそうだろう。彼の場合は両親が日本人だが幼少期から英米で教育を受けているバイリンガルだから、後天的に学習した言語ではない点で少し違うかもしれない。しかし「母語の外」に出っ張っているのは間違いない。

 毎回ノーベル賞の時期に噂になる村上春樹さんは、処女作である「風の歌を聴け」を英語で書き、それを日本語に翻訳して出版したが、その後の作品はすべて日本語で著しているようだ。

 英語や英米文学の造詣は深く、おそらくその気になれば英語での著作も自著の翻訳もできるのだろうが、あえてしていないように見受けられる。実際に日本以外で日本語以外の言語での著作の出版はしていないが、大きくみてエクソフォンの作家といっていいのかもしれない。

 読んでいない作品が多いが、韓国籍の柳美里さんや、中国だと楊逸さん、台湾出身の温又柔さんや李琴峰さん、スイス出身のデビット・ゾペティさん、韓国生まれながら和歌を作るカン・ハンナさんも、エクソフォン作家であろう。

 漫画家のヤマザキマリさんは、私は日本語での著作しか知らないが、少なくとも拠点は日本とイタリアの2拠点であり、確か日本以外でも様々な賞を受賞していたように思う。

 多和田さんは、高校生の時にドイツ語に出会った。後天的な習得をしたにもかかわらず、ドイツ語で小説を書き、それが認められ、ドイツで出版され、デビューした。ドイツで詩を書き、朗読会も開いている。

 この『エクソフォニー』には、多和田さんが世界の街を旅する中で「母語」以外の言語で生活したり創作したりすることに関するエッセイが詰め込まれている。旅と言ってもほとんど仕事で、講演会やパネルディスカッションに招かれたりと大変に多忙な様子がうかがえる。
 文中に登場するたくさんの作家は、その道の専門家は良く知っているのかもしれないが、正直ほとんどが日本ではなじみのない名前ばかりだ。
 世界で活躍している作家を、私は全然知らないで生きている。そんなことも知らずに50年も地球で生きている気になっていることを知る。

 『エクソフォニー』第一部は各都市の名前が冠され、そこを訪問した時の出来事を通して、当地の人々の母語との関わり方や自分の母語に対する思い、あるいは言葉というものに対する鋭く繊細な感覚が微細に描かれる。

 第二部はドイツ語と日本語をめぐる言葉の探求についてのエッセイだ。
 どれをとっても面白く、引き込まれてしまう。ドイツ語などまったく知らないのに、外国に住むこと、母語以外の言葉を駆使するとはこういうことなのかと奥深い思いに包まれる。

 私が多和田さんの著作を初めて読んだのは『犬婿入り(1998)だ。

 これがまた、賛否両論分かれる変わった小説だ。『献灯使』よりずっと奇妙で、受け入れがたい人にはとても受け入れがたいものだろうと思う。

 舞台は多摩川沿いのありふれた街。子供たちに人気の塾の先生、北村みつこ先生は夏休み前に子供たちに「犬婿入り」という奇妙な話をするのだが、夏休みの間に本当に犬のような男が突然北村先生の家にやってきて、二人は同居を始める。犬婿は得体のしれない男で二人の間に会話らしい会話はない。みつこ先生もなぜこの男を追い出さないのかわからない。そのうちに街では塾の先生が奇妙な男を連れ込んでいると話題になり、それがどうにもただの同棲ではなさそうなただならぬ感じだが、39歳独身のみつこ先生が男性と同居しているとしてもおかしなことではなく、なんとなく奇妙な感じがしているだけ。
 そしてある時犬婿は家を出て―――

 物語はつじつまが合うようであわず、合わないようで符合し、読者は気づくと奇妙な街に連れていかれて置き去りにされたような感覚を味わう。

 書評などを読むと「民話的」「現代の民話」などと書かれているものが多いが、民話的なのは「犬婿」という設定だけで、そこにあるのは中途半端な街で、中途半端な暮らしをしている中途半端な年齢の女が醸し出す得体の知れなさと、共同体とのディスコミュニケーションである。

 みつこ先生には「不潔」なイメージが付きまとう。塾の宣伝をする張り紙も汚ければ、教室も家もあまり手入れがされず、彼女の言動も野放図で清潔感がなく、性的にもだらしがない。子供たちのプリミティブな感覚は先生のその野性味にいくばくかの恥ずかしさと嬉しさを感じる。だからこそ先生は子供たちに大人気だ。

 犬婿がきてから、犬婿にすみずみまで掃除される家はきれいだがみつこ先生はどんどん汚れていく。「狐」か「犬」かわからないが、なにかそうした得体のしれないものは関係者に伝染し、憑かれたようになり、日常や所属している場所から切り離されていくのだ。
 孤独、という字は「きつね」と「いぬ」に似ている。

「犬婿入り」と同じ文庫本には「ペルソナ」が収められているが、最初はどちらかというと「犬婿入り」のほうが面白いと思ったのに、気づいたら「ペルソナ」のほうが気になり、何度か読んでいた。

「ペルソナ」はドイツで暮らす日本人姉弟の話だ。
 日本以外に出ていくと「日本人女性」としての仮面を被せられる奇妙さや違和感がひたひたと押し寄せるような作品だ。

 ドイツで文学を研究する姉弟は支援金を得ながら勉強している。
 現地で集う日本以外の国から来た友人たちの中にも、日本人妻たちの中にも、入り込むことも出ることもできない窒息しそうな感覚が、姉を半分狂気に陥れる。「日本人男性」である弟はまだましだが、それでも「表情のわからないアジア人」として一種の仮面を被せられ、コミュニケーションがぎくしゃくする。

 多和田さんの小説や、エッセイに共通するのは「所属に対する違和感」だと思う。それは主に「言葉」と「偏見」からはじまる。

 私が多和田さんの作品やエッセイが気になるのは、やはりたった一度でも外国で暮らしたことがあるからなのかもしれない。外国で、私は別段現地に溶け込む暮らしをしていなかったし、外国語を駆使したわけではない。むしろ日本人の集団の中だけで暮らしたにも関わらず、多和田さんの意図することが感覚的に理解できる瞬間がある。

 外国で外国人として暮らすのと、日本で母語の外の視点を持つ日本人として暮らすのと、多和田さんはその両方の境界線上にいる。
 常に母語と対峙し、外国語であるドイツ語と格闘し、その言葉の成り立ちや不思議さに飽かず発見を繰り返す。多和田さんの発見が、日本で暮らす私たちの新たな発見になる。

 先日、私の記事にもたびたび登場するフランス語のRyoko先生が、授業の終わりに「Bon weekend!(よい週末を!)」と言った。「Bon」はフランス語だが「weekend」は英語である。日本語にも日本語になってしまった英語は沢山あるが、フランス語にもあることに驚いた。

 そういえば昔、2000年ごろだったか、上海出身の友達から「超coolチャオクー」という単語を聞いたこともある。「超」はもちろん昔から中国語として存在するが、「cool」は英語だ。そのうえ、その「超」の活用は、当時日本でも若い人がよく使った「超~」という言い回しで、それが当時上海でも流行っているのだと言うことだった。

 言葉は生きていて、動物や細胞のようにうごめく。『エクソフォニー』で多和田さんは、変化し続ける言葉をひたすらに追いかける。

 日本で、まさに上記の「良い週末を!」という言い方をするようになったことについて、「昔はそんな風に友達に言う人はいなかった」と前置きしたうえで、ずっと日本にいる人は言葉の変化に気づかない、というような意味のことを述べている。母語の中に忍び込む外からの言葉は、単語や外来語としてだけでなく、言い方そのものにも影響を与えて言葉を変質させていくのに、当事者はそれに気づかないのだ、と。

 また、パリでは、多和田さんのドイツ語の本のフランス語訳を担当した翻訳者と食事に行き、フランス人のフランス語をドイツ語に訳してくれる時に(ちょっと状況がややこしい)、翻訳者は「直訳したらドイツ語としてはとても変な表現になるから」と実に慎重に訳してくれた、という。

 多和田さんはそういう「境界を実感できる躊躇い」にこそ、重要なものを感じ取る、という。

 境界を実感できる躊躇い。

 ギリギリのところで、自分の知識と経験を総動員し、あっちがわとこっちがわをどれだけ適切につなぐことができるか。しっくりくる手ごたえを感じられるか。AIの直訳にはないその躊躇い。

 多和田さんにはその緊張感がたまらないのかもしれない。そして言うのだ。

 私は境界を越えたいのではなくて、境界の住人になりたいのだ、と思った

『エクソフォニー』母語の外へ出る旅 4.パリ より

 どこかが元宗主国で、どこかが元植民地、といった時代は終わりを告げ、自分の生まれた土地や国以外に住む人々、国境を越えた多言語を操るエクソフォニーな人々はこれからも増え続けるだろう。

 母語と母語以外の言葉をスイッチしながら生きるということは、簡単なことではない。あちらの世界とこちらの世界が融合して芳醇に感じられることもあれば、言葉の持つ無力さ、伝わらなさに絶望を感じ孤独として刺さってくる場合もある。同じ母語を使っていさえ、それはある。

 これらの本は20年以上前の作品だ。あれからも多和田さんは言葉を追いかける作品を書き続けているが、こちらの作品達が色褪せることはない。

 むしろ世界の繋がりが弛み始めている「今こそ読むべき本」ではないかと思う。

 ただ誰かの先導に乗り生きるだけではなく、自らを生きたいと願う時、自分が生きる土地の言語を知り、かつ言語を超える生き方は、閉じた世界から脱出する一つの希望なのだと思う。

 そんな希望を、私は多和田さんにみるのである。











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