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『鎌倉殿の13人』特設マガジン作りました

 鎌倉殿の13人、感想の特設マガジンを作ってしまいました。

 当初は、鎌倉の寺社巡りや、鎌倉のことについての本を読んだ感想など、いろいろ書きたいことがあって、ドラマの感想などはそのついでにちょっと書ければいいかな、と思っていました。

 もともと、ドラマ全般をそれほど熱心に観るほうではないので、途中から観なくなったりするかもしれない、と思っていましたが、今のところ、結構毎回、へ~だのほ~だの言いながら観るようになってしまい、ついにマガジンまでこしらえてしまったというわけです。

 この夏は感染症の流行や空ちゃんと私の都合で思うように鎌倉に行けなくなり、「のんびり鎌倉紀行」は始まったばかりでほぼ中断。
 鎌倉関連本も確実に読めるとは限らないので「何かのついでにドラマの感想」が難しくなってしまいました。

 そんなわけで、たまには独立した記事で「鎌倉殿の13人」の感想を書いてみたいと思います。ちょうど、今回は少しドラマにモヤモヤして、いろいろ思うところがあった回。

 鎌倉時代は確かに史料でわかることが少なく、あっても確かではない、ということで、今回の大河は自由に想像の翼を広げ、「ドラマとして面白く」を最優先にしている、ということは理解しながらも、先週はちょっと、んんん?と思ったところが多かったかな、と思います。

 2022年8月21日放送の鎌倉殿です。


仁田忠常の自害

 まずは、高岸宏行さん演じる仁田忠常にったただつねの、頼家と北条の板挟みになっての自害。
 彼が本来心優しく、あまり賢くない、と言うドラマの設定でした(三浦義村の"ふたりとも戦に強く忠義者で馬鹿”という解説が的確)が…

 歴戦の坂東武士として、創作であっても自害はどうだったんでしょうか。
 確かに単純ではない状況にはなっていたものの、武勇に優れた武人が戦わずに自害。
 …しますか、ねぇ?

 『吾妻鏡』では頼家から「時政討伐」を命じられた仁田忠常は翌日「比企討伐の褒美をやる」と言われて時政の館に呼ばれて行き、ちょっと一杯と言われて飲んでいたら、帰りが遅いのを疑った仁田一族が時政宅に押し入り、すれ違って帰宅した仁田忠常は一族の謀反の嫌疑で討たれた、ということになっているそうです。なんかこれも確かに微妙だけど。

 仁田忠常としては、とりあえず場合によっては時政をやるか、と思って屋敷に行ったけど懐柔され、いい感じに酔っぱらったから、やるのはまた改めてにするか~それまでなんか頼家様の気持ち変わってくれないかな~くらいな感じで家に帰ったんじゃないでしょうか。
 そしたら弟たちが「帰りおそくね?兄ちゃん、時政をやったんかな?そんなら俺たちも加勢じゃぁ」と時政邸に押し入って返り討ちに会い、「謀反人め~」と今度は御家人が仁田邸に攻めてきたので、応戦して、酔っぱらってたからやられちゃったのでは。

 どっちにしろ、やるかやられるか、の中で、時政(義時)が上手だっただけじゃないかなぁ。三浦義村が指摘するように「時代は北条」と読み切れなかったか、読んでいたからこそ、一応頼家向きに「家には行ったけど失敗しましてね」という既成事実を作りたかったか(そう言ってももう頼家が自分をすぐに殺せないと踏んでたか)。

 ちなみに自害の仕方としては、当時は切腹もあるにはあったけどメジャーではなく、いろいろな自害の仕方があって一定ではなかったようです。史実に無念の武士の集団自決として最初に出てくる切腹は、北条一族の滅亡時の「北条やぐら」での切腹だったとか(今回の記事のサムネは、そのやぐらの地にある「宝戒寺」の写真)。

姫の前(比奈)との離婚


『吾妻鏡』にあるのは、頼朝の女房だった姫の前の美しさに義時が惚れ込んで、何通もラブレターを書いたけど振られ続け、頼朝が起請文を書かせやっと結婚させた、という話でした。
 
 ドラマでは「ずっと八重さんと比べられてた」などと姫の前のほうが義時に惚れた感じに描かれていましたが、泰時の母を描くのに八重と姫の前を分け、八重のほうを恋女房にしたために、ドラマの中での起請文の存在が奇妙になってしまった気がします(ドラマの中の起請文は比奈にぞっこんの証ではなく、義時してみれば姫の前に頼朝の手がつくよりは、という頼朝牽制のための起請文だったかと)。

 ドラマでは二人の関係はロマンティックラブでしたが、実際は姫の前と義時が、どこまでロマンティックな関係だったかは謎です。姫の前としては比企一族皆殺しの中、起請文を盾に義時に自分と子供の生存を保証させ、「あなたがどうしても、というから嫁に来たので、責任は取って欲しい」ということだった可能性があっただろうなと想像します。

 上洛後の姫の前のことは詳しくわからないようですが、京の歌人と再婚し、産んだ子がちゃんと官位をもらっているので、離婚して公家に嫁いだことは彼女にとってそれほど悪くなかったんじゃないかと思ったりします。

 むしろ北条に残した息子たちは、義時からあまりかわいがられていない(というより継室けいしつの伊賀局から、かもしれないけれど)様子で、朝時は義時の勘気に触れて義絶されています。姫の前の子供たちは比企の血ということで、ちょっとつらい目に合ったんじゃないかと思われます。

※継室というのは、正室との離婚や死別の後、正式に後妻に入った人のこと

頼家の修善寺幽閉

 頼家の修善寺行き。
 私は政子がむしろ息子を守ろうとして伊豆に蟄居させたのでは無いかと思っていたのですが、「出家させたら?」という案に反対してたのであれ?と思いました。

 書物によって違うものの、息子を見殺しにする政子の非情の表れのように言われることの多いこの事件。ドラマでは、これまでの言説よりマイルドな政子が描かれているように思います。

 今後、私の「スッキリ案件」にたびたび登場する予感がする、野村育世さんの『ジェンダーの中世社会史』(記事参照でも、野村さんは、政子は頼朝とほかの女性との間にできた貞暁じょうぎょう(頼家より4つ下、実朝より6つ上、三幡と同じ年)を仁和寺で出家させた後、高野山で遁世(俗世を捨て)させたことを例に挙げ、

 この人物(貞暁)を、如実妙観(政子)は、あくまでも出家・遁世という道を歩かせることで、監視しつつも見守ったのである。余談だが、この対応を見ると、政子は修善寺に幽閉した我が子頼家にも、貞暁のような道を歩ませたかったのだろうと想像するものである。

 とおっしゃっていて、「私もそうだと思ってたんだ~」と膝を叩きました。

 政子は当初、貞暁の母に対し悋気りんき(やきもち)や嫌悪が甚だしく、貞暁のお産に関しても怒りが収まらなかったようで(自分の三幡の妊娠・出産期間が重なっていたからよけいにかもですね)、頼朝が貞暁親子を京都に避難させてこっそりかくまったりしていたようです。

 でもその後は「親族のトップに君臨する女性として戦乱に巻き込まれた不遇な親子を庇護するのは当然の義務として、政子は生涯貞暁の面倒を見て、見守り続けた」(『ジェンダーの中世社会史』より)とのこと。

 貞暁は長じて「鎌倉法印」と呼ばれる名僧となり、政子とも良好な関係を築いたとされています。俗世を離れ高野山に隠遁することで北条氏の陰謀から免れた頼朝の三男。その後、政子と高野山を結ぶ懸け橋となって、いくつかの寺や持仏堂などを建立しています。

 高野山の真言宗高僧列伝である『伝燈広録』には、政子が貞暁を訪ねて行って還俗するつもりはあるのかと問いただしたところ、貞暁は出家する際に頼朝からもらった形見の刀で片目をつぶして固辞したという伝承があるようです。
 が、『伝燈広録』が後世に作られたものであるのと、高野山の高僧については南朝方の『瑜伽伝灯鈔』もあって内容は違うようなので、真相はわかりません。

 いったん「鎌倉殿」となってしまった頼家が、たとえ本人が望んでも、貞暁と同じ道を歩めたか、と言えばそれは難しかったかもしれませんが、母親として父と弟からなんとか子を救いたいと奔走したところを描いてもよかったんじゃないかなと、ちらりと思いました。

 でももしかしたらこのドラマでは、立場も言動も「意外に政子の立場は弱い」「女であるということで父と弟に逆らえない」というところがよく表現されているのかもしれません。

そして、善児

 初めて義時雇い主の命に逆らった善児の目に涙が。

 この善児というキャラクターは創作なのですが(モデルは北条家の御使雑色と思われます)ドラマの中で常に重要な役割を果たしてきました。

 義時の兄の宗時(三郎)を殺害したのも善児でしたが、それが誰の命であったかは明かされていませんし(もともと伊東祐親の刺客として登場)、義時はその事実を知りません。

 主が義時になって、善児は高齢を理由に積極的に仕事をしようとしていないように思えます。

 かつては無情に千鶴丸を殺した善児の心に、弟子を取ったし年も取って一幡に対する憐憫や情が起こった、という場面のようでしたが、何か違う理由もありそうです。

最後に、比企の尼

 のちに実朝を暗殺する善哉ぜんざい(のちの公暁)が、母と二人身を隠しているあばら家で一人遊びをしていると、目の前に突然山姥のような姿の老婆が。

 比企の尼———!

「北条を恨め、時政と義時、政子への恨みを忘れるな」と、まるで『仮面ライダーダブル』に出てくるシュラウドみたいに幼い子に言い聞かせます。

 憎め憎め憎め!
 憎しみが足りない!もっと復讐の炎を燃やすのよ!

byシュラウド

 恐ろしさに震える善哉。

 母の胸に飛び込み、振り向いたら、老婆は消えていました。

 比企の変の後、生死がわからなかった比企の尼。
 生きていたのか、それとも何か違う存在になったのか…

 ではまた、来週。



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