Fan letter 2 りんご☆スター
私は特定のアーティストのファンでは無いのですが、長年にわたり注目しているのが、椎名林檎さん。
出会いは鮮烈なデビュー盤『無罪モラトリアム』でした。
うわぁもう、これ、来た!天才!
天才来た!と思いました。
当時私、もう結婚しておりました。
いい大人でしたけれどもね。
激しく心つかまれてしまいました。
『無罪モラトリアム』は彼女が20歳の時に、10代の集大成として作られたアルバムです。
美しい完璧さを感じました。
出会いが10代なら沼から出られぬ人になったでしょう。
私はコンセプトアルバムが好きで、全体でひとつの物語として成立しているようなアルバムが好みだ、と以前、テイラー・スウィフトのときに書いたことがあります。
明確なコンセプトと、ブレない精神性。
私は、かつて戸川純さんが好きでした。10代、私はまさに戸川純さんの沼にいました。初めて椎名林檎さんを聴いたときは、戸川純さんを思い出しました。来た!にはそんな気持ちもありました。
戸川純さんは女優さんでもあり、七色の声を持つと言われたシンガーでしたが、TOTOのウォッシュレットのCMや、バラエティなどで少々エキセントリックさが強調されてしまっていたようです。映画に出てくると、たとえ脇役でもすごい存在感。そういえば映画『ヘルター・スケルター』では『蛹化の女』が挿入歌として使われているらしいですね。観てないんですけど。岡崎京子さんについても語る、いつか。笑
1990年代くらいまでは露出も多かったのですが、ご自身の事件や妹さんの戸川京子さんが亡くなったりといろいろあった2000年代以後は「ゲルニカ」「ヤプーズ」などのバンドで音楽活躍されているようです。令和になってからはYouTubeで「人生相談」をしているのを観ました。お元気そうでよかった。
椎名林檎さんを聴いてすぐに戸川純さんを思い出しました。
よく比較されたり影響を受けたのではと言われたりするようなのですが、椎名林檎さんは洋の東西を問わずディープなロックミュージックの洗礼を受けた方。戸川純さんはもともと俳優さんになりたかったそうで、音楽はその経過で参加する形になったようです。なので作詞はしますが作曲はしません。音楽性、という点では、椎名林檎さんと戸川純さんはまるで違います。
ではなぜ、椎名林檎さんが戸川純さんを想起させたか。
ちょっとまとめてみました。
初期は、特にその歌詞に類似を感じていました。
例えば、椎名林檎さんの「ここでキスして。」は、戸川純さんの「好き好き大好き」っぽい(なんか最近、Tik Tocでバズってるみたいですね)。
椎名林檎さんのほうがソフトに見えるけれど、なにしろシド・ヴィシャスなんですよね。自分はナンシーだと。
セックス・ピストルズのボーカル、シド・ヴィシャス。ドラッグを始め強烈な話題に事欠かない人物です。恋人のナンシーの謎の死の後(彼が殺害した疑惑も)、薬物過剰摂取で死亡。
どちらも強烈なキッスですわ。
おふたりの歌詞に特に共通するのは「禁忌の解放」です。恋愛に「傲慢」「卑屈」「暴力」「服従」「束縛」「依存」といったパワーバランスが存在することは普通は隠されていて、人々はその精神性や快楽だけを注視しようとします。そこにおふたりは、ティンカー・ベルのような声で急に「肉体」「死」という不穏で危険な肉の生々しさをぶち込んでくる。(あ、ティンカー・ベルの声は聴いたことが無いのですが(笑)、私のイメージの中では決して綺麗なだけの声ではありません。彼女は結構嫉妬深いから。笑。)
『加爾基 精液 栗の花』ってアルバムのタイトルとして凄まじい。椎名さんの楽曲・歌詞には花街のイメージがよく出てきます。旧仮名遣いの多用もその雰囲気を醸し出してきますが、ある意味現代的とはいえない性風俗の印象を多用することには、やはりメッセージ性を感じます。そして演出家の椎名さんにはその風俗を取り仕切る「やり手婆」の姿を濃厚に感じます。悪い意味にとられてしまうでしょうか。そんなつもりは毛頭ないのですが。「いい曲がたくさんいるわよ」と言いながらあらゆることを計算に入れ算盤を弾く、総合コンダクターとして才能を感じてしまうのです。
椎名林檎さんの歌詞には、たくさんのフックがちりばめられています。
例えばわかりやすいところで「丸の内サディスティック」の歌詞。
「そしたらベンジーあたしをグレッチで殴って」という歌詞が出てきます。
ベンジーって?グレッチって?
ベンジーは、伝説のロックバンド、BLANKEY JET CITYヴォーカルでギタリストの浅井健一さん。グレッチはエレキギターのメーカー名です。浅井健一さんの愛用ギターです。
椎名林檎さんの初期の頃の歌詞は辞書みたい。
それか、脚注がいっぱいついている本。
私にとっては、だから、どの曲も小説のように美味しいのです。
最近の椎名林檎さんは東京事変の活動のモードみたいで、紅白歌合戦にもこのところずっと「事変」で出ています。ベースは常にこちらなのかな。
だから2020年2月29日にライブをして当時の情勢から批難されたりしましたが、どうしてもあの日にしなければいけなかった理由もわかります。
私は昔から「事変」の活動よりソロが好きでした。この区別は自分でもよくわかりません。事変の椎名林檎さんも椎名林檎さんなのでもちろん好きだし、好きな曲もいくつかありますが、どこかパラレルな感じがします。たぶん「東京事変」と「椎名林檎」のときの「物語」がそれぞれ違うんだと思います。私は「椎名林檎の物語」が好きなんだと思います、たぶん。
実は私、椎名林檎さんが映像で出てくると、どうしても「食い入るように」お顔を見てしまいます。衣装が素敵とか着物が似合うとかそういうことじゃなく、顔を凝視します。どうしてかわかりません。ひとときでも目を離すと違う顔になっているような気がして目が離せないのです。こんな人は他にはいません。
さて、ソロ活動で最新のアルバムは2019年の『三毒史』です。前回のアルバムから5年ぶりのアルバムでした。
これまでのアルバムの中でこれが一番好きです。
『三毒史』は般若心経から始まります。
クレッシェンドに広がる人生と、闇から闇へ帰る命。
コンセプトアルバムとしてはここに極まれりというくらい、縛りの多いアルバムです。すごいのはタイアップ曲があってもちゃんとひとつにリンクしてくるところ。
ジャケットでは椎名さんが半人半馬の姿でギターを持っています。ケイロンっぽい。もちろん、ケイロンは私のただの深読みです。ケイロンはギリシャ神話の半人半馬のケンタウロス族の賢者でアポロンから音楽と医学、予言の才能を授かっています。その死を惜しんだゼウスにより射手座になりました。
ギリシャ神話でケイロンは弟子のヘラクレスの毒矢に射抜かれたけれども不死なので死ねず大変に苦しみ、同じく不死のためゼウスに受けた罰で毎日肝臓を鷲に啄ばまれるプロメテウスに不死を譲ってようやく死ねます。プロメテウスは誰かに不死を譲ってもらった時に解放されることになっていました。賢者であるケイロンが先に考える予見者プロメテウスに不死を譲ると言う物語に非常にドラマ性を感じます。
椎名林檎さんは射手座の午年生まれ。このアルバムでデュエットしているのは皆、午年生まれのボーカリストです。宮本浩次さん、櫻井敦司さん、トータス松本さん。
『三毒史』には特設サイトがあり、そこでは椎名林檎さんご自身が、全ての楽曲を解説していらっしゃいます。最近、CDをディスクという物体として購入することがなくなり、この「クレジット」がないのがつまらないと思っています。曲の解説は、不要な場合もあるけれど、やはり読み物として面白いので。本人解説は特に面白いです。
椎名さんは、人の声を楽器だと思ってるんじゃないかと、常々感じます。自分の声も含めて。それから、オーダーによって楽曲の組み立てを変える。背景も加味して商業的演出を加える。この世のあらゆる音を感知し、それを曲の世界に落とし込む感覚、と言ったらいいでしょうか。どの音にどの音を組み合わせたらいいか、音の質感、トーンやピッチ、リズムといったものが自分の中に明快にあり、それを「施主さん」の希望に添うような楽曲にする、でも自分のスタイルは貫く。お気に召さないならこちらは別のところに。という感じ。
彼女と同時代に生まれたことに喜びを感じている私です。