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freestyle 4 手紙

 手紙が苦手だ。

 書くことが好きだと散々公言してきておいて大変言いにくいことだが、年賀状から書類郵送まで、手紙のシステムとプロセスに、苦手意識を持っている。

 そもそも私の中に、手紙を書くなら「手書きの方が格が上」という思い込みがある。見るだけでうっとりするような美しい手蹟の手紙には憧れがあるし、「字は体を表す」と言う通り、その人となりが現れた手紙にぬくもりや温かさを感じる。達筆なお手紙をもらうと心まで清浄になるようだ。

 手紙が嫌いだ、ということではないのだ。勝手なことだが、いただけば嬉しい。しかし自分が書いて出す、ということには抵抗がある。

 まず、自分の字が好きではない。美しくない。

 まあ、百歩譲って字はいい。相手は「みらいさんらしい」と思うか、何も思わないに違いない。よほど悪筆でなければ読めて伝わればよいので、自意識過剰な部類だ。

 お世話になった方への御礼状やお詫び、親戚への近況など、特に気を遣うような手紙はもう、書き出すことさえできない。起首は何がいいんだろう。拝啓だろうか。謹啓?いや比較的親しいから前略でも許されるのか。一筆申し上げますなんて最近使うのだろうか。そもそも必要か?今時は必要ない、という常識に変わっていて笑われるだろうか。いやいやいや、今時だろうがなんだろうがフォーマルはフォーマルだ。ではやはり普通に拝啓でいこう。時候の挨拶は?今は秋だが、初秋か、晩秋か、年末が近くなっているから晩秋という気もするが、もう立冬を過ぎてしまった。ということは初冬か。

 とにかく次々とハードルが立ち上がり、まともに書き出すことができないのだ。

 何度も「起首・手紙」「時候の挨拶・季節・秋・冬」など検索ワードをひねり出してはGoogle様のお世話になる。やっと書き出しても、いざ自分の手を使って書き出すと漢字が書けなくなっている。仕方なしに一度PCやスマホで文章を作成し、校正し、その後ようやく便せんに写す。その時も何度も失敗して、修正ペンを使うのは失礼だろうと書き直す。便箋だけが消費されていく。

 正直、Google様と何らかの文章作成ツールのおかげで手紙が書ける。Google様がいらっしゃる前には「手紙の書き方」「冠婚葬祭百科事典」などと首っ引きだった。メールやLINEの方が数万倍楽だ。しかしどうしてもメールでは失礼と言う場合もあるし、メールであってもフォーマルなお礼状や詫び状の書き方は結局同じだ。

 親しい間柄の手紙でも、難問はある。「真夜中のラブレター」という言葉もあるように、ついうっかり自分に酔いしれて相手にとってはどうでもいいことを長々と書き連ねてしまうことがある。

 特に悩み事や自分の思いの丈を聞いてもらいたいような場合、抑制的に書き出しても気がつくとくどくなっている。かといって、手紙というのは普段言葉では言えないことなどを伝えたいときの通信手段でもあるので、相手に配慮ばかりしていると、自分の気持ちがうまく表現できず、何を伝えたいのかよくわからない内容になってしまうこともある。お元気ですか?どうしていますか?などと疑問文ばかりで質問攻めにしていることもある。

 相手がもらって嬉しい手紙を書くのはとても難しい。

 さらに難関がある。本文を便せんにしたためた後、封筒に入れ、封筒に宛名を書かなければならない。その住所と宛名も、書きなれないとするするとは書けない。国際郵便ならなおさらだ。

 そのうえ、いざ出そうと思って切手がない。先日は切手を買いに行って「82円の切手を」と言ってしまい「84円ですね」と丁寧に訂正されてしまった。普段手紙を書きなれていないと、様々なアップデートが追い付かず、いつの時代の話だ、というところで止まってしまう。

 そして最後の関門が投函だ。これが最も苦手なのだ。何度も確認してようやく封をし、「えいやっ」と投函しても、自分の手を離れたとたんに「字が汚いバージョンを入れてしまったかも」「名前の字を間違えていたかも」「住所や宛名に間違いがあったかも」「切手を貼り忘れているかも」「金額が足りなかったかも」「書類が不備でハンコを押し忘れていた気がする」などなど、きりがない不安にさいなまれる。「えいやっ」と決心したはずなのに、その決心はもろもろと崩れ去り、もはや手の届かないところに行ってしまった「手紙さん」に思いを馳せる。

 その後も、相手には無事届いたのだろうか。読んでくれたのだろうか。読んでどう思われただろうか、などと、くどくどと思い煩う。そしてたいていの場合、相手に伝わるように書けていないせいなのか、わかってもらいたいいちばん肝心なところがスルーされてしまっていたりする。

 自分に手紙が届いたときは、返事を出すまでに毎度、上記のプロセスを経る。手紙をいただくのは嬉しい。しかし、いただいた手紙ほど素敵な返事を出せる気がしない。なにか非常に恐縮し、宿題が出た時の生徒のような心持になる。お返事を出さなければ、と、返事を出すまで思い続ける。そしてそのあまりの重圧に、出しそびれ、時が経ち、結局は出さない場合も多々ある。なので最近は、いただいたら電話やLINEやメールで「取り急ぎ」と返事をしている。

 いつか、の手紙は書かれることがない。

 なによりも私の心を手紙から遠ざける大きな要因は、その「手紙のやり取りの合間に電話やその他の通信手段でやり取りする」ということなのだ。電話やメールででやり取りできるのに手紙をやり取りするのに抵抗を感じる。なんだか手紙が「無効」になるような居心地の悪さを感じてしまうのだ。手紙にも書いたんだけど、などと話すのは全くの興ざめと感じる。

 スピード感、だろうか。やりとりにスピードを求めてしまう、ということもありそうだが、私はせっかちで、文字を読むスピード、打ち込みスピードが比較的早い。それと同じようにはとても書けない。書きたいことに手が追い付かないのがもどかしく、綺麗に書こうとすればさらにスピードが落ちる。頭と手がバラバラになる。やはりここは、写経などをして心を落ち着けるべきなのかもしれない。手紙の前に。

 ひと昔前は、それしか通信手段がなかったから、情報を伝え合うために手紙を利用した。数々の小説にも手紙が登場し、借金の依頼だろうが三行半だろうが、その素晴らしい小説家の美文にため息をついたりもする。

 今は電話やLINEなど通信手段が豊富にあり、心の中のつぶやきなどはSNSにとってかわり、ラブレターを毎日出す人というのもあまりいないだろう(今だと一歩間違えるとストーカーの証拠物件だ)。現代の手紙は、「情報を伝えるだけではない、思いのたけを綴るだけではない」手紙だと言える。

 それはいったい、何だろう?

 今私たちは、何を伝えたくて手紙を書くのだろう?

 本来、手紙と言うのは一方的なもので、それが良さであり魅力だ。相手が読もうが読むまいが、どう感じようが、自分の伝えたいことを書くもの。一方で手紙を書いて返事がないと不安になるのも事実だ。心のどこかに往復が前提という思い込みがある。どこで止めたらいいのかわからくなくなったりするほど、往に対する復の妙があってこその手紙だ。しかし返事は強要するものではないし、お返事くださいなどと書くのも気が引ける。

 現代はお互いの手紙に対する価値観が多様すぎて、相手がどうとらえているのかおもんぱかるのが難しい。

 著名人の手紙がオークションで高値がついたり、どこからか古い手紙が出てきてそれが歴史的な大発見だったりすると、手紙の重要性が再認識されることがある。ある人物の空白の時間を埋めて無実の証明になったり、思いがけない恋愛が暴かれたりもする。そのためにも(?)手紙はきちんと保管しなければならない。

 物理的な場所が必要になるが、大切に保管すれば、何度も読み直せるのが手紙の良さでもある。だから捨てるのを躊躇する。子供が小さい時の「ママだいすき」的な手紙も捨てられない。

 ファンレターの返事などがあったら死ぬまで大事にして棺に入れてくれと言うだろうが、感動して何度も何度も読み返す手紙というのは人生においても相当に稀だ。そんな手紙をもらったら本当に貴重な有難いことだし、自分がそんな手紙を書けたらいいと思ったりするが、たいていの手紙は読まれた時点でその使命を終える。時間はそこで止まる。ましてや他人の手紙なら、よっぽどの有名人でスキャンダルや名言が記されているのでなければ価値が生じるはずもない。

 何を伝えたくて書き、どうやって手放すのか。それが手紙に付きまとう命題だ。

 かように、手紙は悩ましい。

 年に一度、年賀状だけはと思うのだが、これも、たったひと言なのに非常に悩ましい。結局いつも同じ文言になる。最近は、悩んだあげくにLINEで"あけおめ“をしたりしている。洒落たひとことが書いてある年賀状には心底憧れる。

 白ヤギさんからお手紙ついた/黒ヤギさんたら読まずに食べた/仕方がないのでお手紙かいた/さっきのお手紙ご用事なあに

 童謡にもあるように、手紙は実はすれ違いに「味」があるのかもしれない。ディスコミュニケーションでよいのだ。手紙を出す相手がいる、ということが重要なのだ。おそらく私は考えすぎなのだろう。確実に受け止めたい、正確に伝えたいと思いすぎている。手紙への思い入れが強すぎる、ともいえる。

 常に手元に手紙セットを常備していて、気軽に書く、とおっしゃる方もいる。絵が趣味だから葉書に絵を描いたら知人に出す、という方もいる。後々に残るとか、もらった方がどうするかなどと憂うことなく、そのように軽やかにとらえられるようになりたいな、と思う。

 そろそろ、年賀状の季節でもある。みなさんは、手紙とどのようにおつきあいしているのだろうか。





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