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母の日、午後5時

 午後5時になるとなぜか無性に何か書きたくなります。
 特に日曜日は。
 え?まじ?これから?ないない。
 でもnoteやWordを開いたりしてしまいます。
 信じられないことに1日のうち1番頭がクリアな気がします。その時だけは名作が書けそうな気がします。
 明確な過誤。明らかな逃避。

 なぜと言うにこれからご飯を作るからです。
 迷ったら最も困難な道を選べと岡本太郎さんが言っていました。逃げている場合ではありません。調理と配膳はなんとかコンプリートしなければならないミッションです。

 私は主婦ではありますが、食事の準備及び調理そして片付けがあまり得意ではありません。毎日、逃げちゃダメだ逃げちゃダメだとブツブツ言いながらキッチンに向かっています。気合だ、気合だ。

 あ。そうだ今日は母の日。
 でも関係ない。そろそろ台所に向かわなくちゃいけません。でもさっきからグズグズしています。立ち上がりかけては、何か違うことをしてしまいます。

 お母さん、いつもありがとう!と、カーネーションの1輪でもくださらないのですかと夫に尋ねましたら、花は購入したらいずれ枯れてゴミになります。捨てるのはゴミ係たる私の仕事ですので。との趣旨の詭弁を弄されました(忘れていて気まずいがゆえの詭弁だと信じます)。

 では私の息子であるあなたの息子に、母の日と知らせ母の日には花の一輪でも感謝のひと言でも贈りなさいと教えるべきだと申し上げましたら、そうですね、今年は間に合いませんので、では来年。

 はぁ?来年——、だと?

 いやいや、怒りは最も克服すべき感情のひとつです。アンガーマネジメントをして深呼吸で心を落ち着けます。

 母の日。大リーグではピンクの装具を付けてプレーし母への感謝を表明するほどメジャーな行事でございます。メジャーだけに。

 その歴史はおよそ120年ほど前、アメリカの南北戦争中に負傷兵の衛生状態を改善しようと立ち上がったアン・ジャービスの娘アンナが母の追悼のために教会で白いカーネーションを贈ったのが始まりとされます。1914年にアメリカの記念日となりました。
 日本では昭和皇后の誕生日の3月6日を母の日にしていましたがあまり普及せず、戦後アメリカに倣って5月の第2日曜日になりました。
 以上、お手軽Wikipedia情報。

 ちなみに先日チコちゃんでやっていたのですが、5月5日の子供の日も実は「子供の人格を重んじこどもの幸福をはかるとともに母に感謝する日」とされています。

 そういえばタイの母の日は皇后のお誕生日の8月です。シリキット前王妃は金曜日生まれなので金曜日の色である水色のものを身につける人が多い日です。韓国では「父母の日」とされて両親に感謝する日があるようです(5月8日)。ノルウェーでは、出産して最初の母の日(2月)に夫が母となった妻に花と感謝の言葉を贈るのだとか。へえええ、いいなぁ。そういうの、なんかいい。

 母の日は世界中にありますが、由来も過ごし方もそれぞれ。
 各家庭によってもそれぞれ。
 私もこれまでたいして気にしていませんでした。

 午前中、雨の切れ目に買い物にでかけたら、街の中は「お母さんありがとう」という装飾とカーネーションがやはり目につきます。

 そういえば、何ももらったことがないな。
 ことばひとつ。

 子供が幼稚園時代は、幼稚園で似顔絵を書かされたりカーネーションを折り紙で作ったりしてくれたので「まあ💖ありがとう💕」などと受け取っていましたし、小学校の低学年くらいには絶対に使用されることのない「かたたたき券」などをいただきました。
 あれは二度とない貴重な尊い機会だったのだ―――

 ま、夫からはいいんです。私は彼の母ではありませんし。
 がしかし目の前ではどっかのお父さんと娘さんが花を買ったり、スーパーでは「今日はぼくたちだけで買い物?」「そうだよお母さんの好きなもの買おう」なんて光景が本当に繰り広げられていて「うそまじ?こういう世界なの?今?」と我に返った私です。

 で、夕方5時。
 毎度の「逃げちゃだめだ」をブツブツしながらキッチンに立とうとして、件の会話になったわけです。

 私自身は、私の母に毎年「イイ花ドットコム」で花を贈っています。
 うっかりしていて申し込みがギリギリになることも多く、到着が母の日を過ぎてしまった、なんてこともありますが、一応毎年贈っています。
 
 自分だけが「母の日」を祝い、自分は「母の日」を祝ってもらえないから拗ねるというのもおかしな話です。自分自身、母としてたいしたこともしていませんし。
 でもこういうのは気持ちの問題。
 だからこそ、なんかちょっぴり寂しくなりました。

 自分の誕生日になんにもないのは全然平気です。なぜなら世の中は毎日誰かの誕生日で、有名人でもない限り自ら「私の誕生日なんです!」と触れ回らない限り誰に知られているわけでもなく、自分にとっては特別だけれどほかの人がみんなお祝いムードというわけではありません。
 
 よく「失恋して寂しいのはクリスマス」というセリフを映画やドラマで聴いたりしますが、みんなが一斉にお祝いをする日というのは妙に孤独感が強まります。

 今年の「母の日」は若干、そんな日でした。
 たまたま連続でそういった光景を見てしまったせいでしょう。

 とはいえ、息子は試験が近いのでそんなことやってる場合ではなく、今はしっかり勉強するのが母のためでござーます。そしてなんでも合理的にしか考えない浪漫を解さない夫を選んだのは誰あろうこの自分でございます。

 なんかね、欲しいのよ、母だって。モチベーション。

 そう思った母の日の午後5時でした。

 

 

 

 

 

 


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