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『20年後のゴーストワールド』第1章・私のシーモア(7)歌の中の人

「で、何で、村井くんのライブに来なくなっちゃったの?」

「……」
無言の時が流れた。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、熱心に通っていたライブに行かなくなるのは、宗教の信仰をやめるのに近いものがある。私はガチ恋も伴っていたので余計に。心の拠り所であるライブに何故行かなくなったか、本心は信じられなくなったから。好きだったけど、好きでいられなくなったから……。

おじさんになんて言えば良いのだろう。他の人はどういう理由でライブに行かなくなる?彼氏彼女ができた?転勤?転職?結婚?子育て?失業?介護?そんな人生の重要な局面の時ばかりでもないか?私の場合他のアーティストはどうだったっけ?自分の理解や感情のキャパオーバーを起こすほどの素晴らしいライブを観て、そのミュージシャンが心の中で殿堂入りして観に行かなくなる時はあった……心のメーターを振り切った瞬間のまま、上書き保存されたくない気持ち……あーなんて言おう、頭の中がぐるぐるしていた。

「ファンの誰かと揉めたとか?」

「……えっ、えーと」

「俺ファンの人と関わらないようにしてたけど、そういう話面白そうじゃん!ファンの人ならではの俺の知らない話めっちゃ興味ある」

「いや、周りの人は別に好きでも嫌いでもなかったです。最初は目をつけられて嫌だったけれど……」

私は絶望的に嘘がつけない人間だった。お世辞的な嘘は言うけれど。

「えっ、じゃ何で?村井くんの歌飽きちゃった?」

「村井さんの作品は今は聴いてないけど、作品そのものは好きです」

「と……すると、村井くんとなんかあった?え……まさか付き合ってたとか!?いやいやいやごめん、そんなわけないよね」

「……」

「えっ……そうなの?マジで?本当に?冗談で言ったのに」

おじさんの声のトーンがあがった。
身体の大きさのわりに、おじさんの声は少し高めで話し方に落ち着きがない。
この時私はおじさんの前でどんな表情を浮かべていたのだろう。私は金麦をまだ一口飲んだだけで、固まっていた。

「マジかよ……どうしてくれるんだよ、俺の下心は……」

話し声だけど語尾に百個くらい(笑)が見えた。
やっぱりあったんだ下心。初回二人きり個室なのに飲み放題というアンバランスな今のこの飲みの場において、そのへんの気持ちはまるで計りかねていたところだった。

「えっ?いつから?あいつとずっと一緒に居たのに俺は全く知らなかった」

「本当に知らなかったんですか?私は暗黙の了解でバレてると思ってました」

「いやいやいやいや……多分俺の周り誰も知らないはずだよ。あいつ……いや別にいいんだけどさ、俺は別に」

そして、事の顛末を少しずつ恐る恐る話した。
おじさんはノーダメージ風で居たけど、私が村井の元彼女(結果的には愛人だった)ということよりも村井がずっと隠し通していたことの方が衝撃的だったのではないだろうか。

「そっか、あいつ何食わぬ顔で完全犯罪してたんだな……あいつ不器用だから、そんないかにも遊んでるバンドマンみたいなことするとは思ってなかった。逆にすげーわ」

「……」
合間に食事も注文したが、何を食べたか全く思い出せない。驚くべきことに飲み放題だけじゃなくて、食事も食べ放題だった気がする。

「と、すると……村井くんの曲はほとんど俺が関わってるから、もしかして……時期的に君のことを歌った曲もあったりしたのかな、いや気づかなかったよ。なんだよ。全く。歌詞の意味も聞いて曲も仕上げてたのに」

私も話していて生きた心地がしなかったが、誰よりも人物相関図の説明が不要な人に、長年の鉛のような思いを吐露できたことに感動ともまた違うが、感じたことのない変な安堵感のようなものがあった。おじさんからしたらあわよくばな気持ちだったのに、まるで反対の落とし穴に落とされるようなあんまりな話だったけど。

相手のことをよく知っていると思っても、やはりそれは自分勝手な思い込みなんだと思った。人の一側面だけで、その人のことを測ることはできない。おじさんの場合は鈍感力が強すぎる気もするけれど。

村井も村井でおじさんと深いところでわかりあうのは諦めていたのだろうと思った。単純に私とのことがバレたら世間的に不都合だから隠していたんだろうけど、おじさんに話す気にもなれなかったのだろう。曲作りで勘鋭く言い当てられるよりも、意としない解釈でもそれが一般の聴き方だと聞き入れたり、受け流したりして逆ににそれがやりやすかったのかもしれない。

「歌の中の人になっても、ハッピーエンドのラブソングじゃないですからね。歌があることによって、それが消えないアザのように残って私はよけいに忘れられず辛かったです」

「俺なんて長年一緒に居ても、一曲も俺の歌はないもんなぁ。あいつ友情を歌ってる曲もあるけど、これ俺のこと?って聞いたら、違いますって即答だった」

自分に向けられた気持ちの歌、というのは本当に世の中のどんな名曲よりも威力が強い。胸への飛び込み方が違う。心臓を直に弓矢で垂直に射抜かれた感じ。良い歌を聴いて素直に感動するそれとは全く違う。決して消えることのない身体を貫通するような衝撃。しばらく立ち上がることができない。それを食らってしまったら、もう他のあらゆるものに対して無感動になってしまうくらいの力がある。

世に存在する彼女の名前を曲名にしちゃったパターンの曲は、その時は本当の気持ちを込めたラブソングでも、あれはもう一生ものの呪いになる。誰かがそれを聴いて感動すればするほど、歌われる側は感動のネタとして消費されて、自分の存在が消えてしまうような気にすらなる。

幸せなラブソングだったらどうなのだろう、そこに恍惚があるのだろうか。一生もののお守りになるのだろうか。村井に気持ちが通じるまでは、ずっと村井の歌の中の「君」が羨ましくて、これが自分だったらいいのにと思っていた。しかし村井はずっと、その先に待ち受ける私との別れの曲ばかり作っていた。嘘つきは歌の中だけは本当の気持ちを込めていたのだった。

「ははは、いやー予想だにしない展開だ。すごい秘密を知ってしまったなあ。君も相当キツかったろうね。ここまで秘密を隠し通すあいつの神経もなかなかだよ。今度突然ライブ来てみたら?あいつビビらせようよ」

「ずっと傷は癒えてないですけど、私はもう会いたくないし、会う理由もありません」

「そーお?ずっと引っかかってるなら、会った方がいいと思うけどなぁ」

村井と和解まではしなくても、わだかまりを解けばおじさんも、私と堂々と一緒に居られると思ったのか不明だが、その後もずっと村井と会って話したほうがいいと諭された。ずっと胸に抱えている私のトラウマみたいな気持ちはわかってもらえなかった。村井のことを思い出すと、今も消えてしまいたい気持ちに襲われる。今回おじさんと再会したのも、浅井を経由した事故みたいなものなのだから、おじさんから私と会った事情を村井に話したっていいのに。それで気まずいならそれまで。

村井と会っても今さら話すことはない。何故わざわざ向こうの肩の荷を降ろす必要があるのだろう。「あなたのこともう気にしてないんで、大丈夫です」なんて口が裂けても言えない。そう言わざるを得ない状況を用意されて、男の単なる都合の良い理想の女像を実行させられるだけの茶番になるのが目に見えている。男は全てを許す女が好きすぎる。そもそもが茶番だったけど。恋をするって全力疾走の茶番劇だ。その中でお互い良い感情のやり取りを怠らずに続けられる組だけが、恋の茶番から羽化していける。

おじさんのことを村井に歌われる日は残念ながらこれからもやって来ないのだろう。

脳内BGM
水中、それは苦しい/芸人の墓

谷川俊太郎原作、作曲ジョニー大蔵大臣。
水中、それは苦しいのライブでもハイライトに演奏される重要な曲ですが、言葉が刺さりすぎて私はずっと聴くのが辛かった。

私は第5話「死因はガチ恋」と今回の話で鉛のような気持ちを書いて、やっとこの曲を聴けるようになりました。

この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

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