見出し画像

ひさしぶりのセルトラリン

仕事を始めてからすっかり鬱が良くなったことは何度も書いた。仕事を始めて7か月が経った。大変なことも日々の小さな事件も。なんだかんだ波乱は多々あったものの、社交的で人と人を繋ぐことが得意な私は、与えられた仕事をたいして苦に思わず大小の波を乗り越えて半年やってきた。仕事内容は向いているし、仕事仲間にもまぁ、恵まれている。

最近では、仕事の片手間に趣味もできるぐらいには余裕が出てきたのだが、そこにひょっこり鬱がきた。

もともと鬱もちなので、小さな鬱は日々あるけれど、仕事を始めてからはセルトラリンのお世話にはなっていなかったのに、薬がないとしんどくて無理、という状態がこの半年ではじめて来た。きっかけ的なものは思い当たらない。

金曜から様子はおかしくて、土曜日の夜はついにセルトラリンを飲んだ。これは重症かも、と思ったのだ。重い溜息は止まらないし、黙っているだけで泣きたくなるし、それでも泣けないので余計つらいのだが、今これを書きながらもまた泣きそうになっている。

おなじみの自己否定。死にたい気持ち。ああ死にたい、なんてのは日常によくある感情だけれども、ここ数日のものはもっとシリアスだ。本当の意味で死にたい、消えたい。いなくなりたい。これまでの人生全部がめちゃめちゃだった。負けの道を選んでしまったから私はもう這い上がれないのだ。結局私は欲しいものを何も手に入れられずに貧しく寂しい老後を送るのだ。などなどひたすらにネガティブ。仕事を始める前までの、鬱が酷かった頃の私に取り憑いていたおなじみの想念に支配されている。心というものに形があるのならば、深い傷が入って血を流しているような気がする。胸が痛くて息をするのも苦しい。そして、寂しくて寂しくて気が狂いそうになる。久々の、あいつがやってきたのだ。妹のLINEに返信ができないぐらいに辛い。

土曜の夜にセルトラリンを飲んでも日曜はまだ辛かった。申し込んでいたTOEICも欠席した。というか、趣味にかまけて全然勉強をしていなかったことも相まって、目覚ましはかけたのだがどうしても行く気にならなかった。

母が私の部屋に様子を見にきて「行っても思うようなスコアを取れなそうならやめなさい」と言った。「お金がもったいなんじゃなくて、申し込んでから今日までの日々がもったいなかったのよ。意味のない受験はやめなさい」ときっぱり言った。とどめが「寝てなさいよ。日曜日よ」だった。窓の外はあっぱれな秋晴れで、青い空にオレンジの陽ざしがこの小さな部屋を照らしている。

そこから昼まで寝て、絶望的な気分で起きた。起きた時点でもう泣きたかった。泣きたい気分で支配されていた。10月の陽ざしが差しこんで、部屋が嘘みたいに明るい。セルトラリンが全然効いていない。生きていること自体無駄な気すらしてきた。

せめて趣味のことでもやろうかとデスクに向かったけれど、焦燥感が邪魔をする。辛さに耐えられなくなってまたベッドに舞い戻った。さんざん寝たので眠いわけではない。辛さを押し殺すためには寝逃げするしかないのだった。

日曜日の18時半はダンス教室だ。ダンスなんて踊れる心境でもなかったから、欠席の連絡を入れようと思ったが、とりあえず踊ったら逆に元気になる気もしたので、ちぐはぐな気持ちを誤魔化しながらダンスシューズをリュックに入れて泣きたい気持ちでバスに揺られた。

気分に支配されるのは、私の悪い癖だと思った。準備運動に入っても相変わらず気分は晴れなかったけれど、踊りの振り付けだけに集中した。自分の気持ちはどうでもいい。振り付けを正しく踊るのだ。1時間のレッスンが終わると、沈んだ気持ちはいつのまにかどこかへ行っていた。

画像1

…10月3日にこの記事を下書きしたまま忘れていた。2週間も書いていなかった。修正も加筆もせずにこのままアップしようと思う。この記事を書いてから少しして、私は一気にLINEスタンプを制作した。絵を描くのが好きだったので、いつかやってみたいと思ってたことをやってみたのだ。宣伝みたいになって申し訳ないけれど、これです。

最近また調子がわるい。気分も最悪だし、寝つきも相変わらず悪い。なんとかセルトラリンを飲まずにやりすごしているけれど、ほつれてきていることははっきりとわかる。気晴らしにまた文章書いてみようと思う。


いただいたサポートは生活の足しにさせて頂きます。応援いただけたら嬉しいです!