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「君は女の子だから、仕事をするべきではない」:マレーシア移住をやめます

海外ノマドをしながら、フリーランスでブランディングコンサルをしている、みおんです。
今はマレーシアのコタキナバルという都市にいます。

「君は女の子だから、仕事をするべきではない。公共の場で、恥ずかしいよ」

先日、スタバでMacbookをカタカタしながら仕事をしていた時、
ムスリム系の男性が私の隣に座ってきて、突然こう話しかけてきました。

この出来事があってから数日間、もやもやしたり、苦しくなったり、頭の中がごちゃごちゃしているので、せめて自分の思考を文章に書き起こしてみています。

最近は文章を書くお仕事もさせていただいていますが、読み手を一番に考えた「有益な」「役に立つ」記事作成がメインです。ですが、今日はかなり久しぶりに「自分のため」と、「私と同じように、行き場のない怒りを感じたことがある女性のため」に書いてみます。

ちなみに、マレーシアでは今年から、年収350万円以上のIT系フリーランスが1年間国内に滞在できる「ノマドビザ」が始まりました。
わたし自身、かなり真剣にノマドビザ取得を考えていたのですが、こちらはやめました。
その理由も書いていきます。

「女性は仕事をすべきではない」彼の言い分

「女性は仕事をするべきではない」といった彼の言い分はこうでした。

・男は「男」らしく、戦ったり、「仕事」をすべき
・女は「女」らしく、男をもてなしたり褒めたりすべき

これがムスリムの神の教えであり、私はそれに反するとのことです。(事実かどうかは謎ですが)

彼の態度は、怒っているわけではなく「知らないようだから教えてあげるけどね、」みたいな感じ。
話を聞くつもりはないのに、体が固まって動かないような、かなり変な感覚に陥っていきました。

「女性は肌を見せてはいけない」という世界線

今年の9月に、イラン人の女性が「ヒジャブを着用していなかった」として警察から暴行を受け、亡くなったニュースがありました。(※ヒジャブ=イスラム教徒の女性が頭にかぶる布)

事件の詳細が気になる方はこちらの記事を見てください。

ここからお話しすることは、決してイスラム教という宗教を否定しているわけではなく、「普段タンクトップやショートパンツを着て露出しまくりの私が素直に感じたこと」として聞いていただけれると幸いです。

【予備知識】
マレーシアは、人口の6割ほどが「ムスリム」と呼ばれるイスラム教徒です。テレビや映画で、頭や顔を布で覆っている女性を見たことがある方もいるかもしれませんが、街中はまさにそんな格好をしている女性たちが普通に歩いています。

先週、マレーシアのナショナルモスク(イスラム教のお寺)に行った際に、生まれて初めてヒジャブという布をかぶる経験をしました。

ヒジャブの布は、髪の毛とおでこ、耳をすべて覆い隠すので、いつもに比べて音も良く聞こえません。頭の周りが締め付けられる感覚もあって、思考も視界もいつもよりも狭くなっている感じです。

たった30分の経験でしたが、イランで亡くなった彼女の気持ちが少しだけわかって、かなり辛くなりました。

「ヒジャブ」は、ただの1枚の布。ですが、正直「怖いな、嫌だな」と感じました。
この世界線で生きる女性たちは、髪型を変えたり、肩や足に風が触れて「気持ち良い天気だな〜」と思いながら歩くことも、こんがり日焼けをすることも、おそらく一生ないのです。

もちろん、宗教の教えや、彼らの文化はリスペクトするべきです。(「ビジターとして郷に従う」ことは、いろんな国を訪れる度に私が大切にしていることの一つです。)

ですが、自由になりたいという気持ちを抑圧されて、人が命を落としてしまうのは本当に、悲しいことです。

このマレーシアという国で、この価値観で生まれ育った女性たちが実際どう感じているのかはわかりませんが、みんなの頭の中をちょっとのぞいてみたいですね。

「女性として生きる」ことの居心地の悪さについて

最近私の身に起こった、

  • 謎の男に「女性は仕事をするべきではない」と言われた

  • 生まれて初めて「ヒジャブ」を被った

この2つの出来事から、自分はいつも『女性であることに居心地の悪さ』を感じながら生きてきたな〜と改めて思い出してきています。

ここからは、わたしと同じように「自分が女性であることで、居心地の悪さを感じた経験がある」という女性のために、「私自身の経験談」と、「不快感を感じたあとに必要なケア」について書いていきます。

先週25歳の誕生日を迎えましたが、これまでの人生で「自分が女性であることが誇らしい」と思ったことは、正直一度もありません。

子供のころから、「女性だから」という理由で特別な扱いを受けたり、異性から女性として見られるのもかなり苦手です。(異性からかわいい、綺麗と褒められるのも、正直あまり良い気分にはなりません。)

女性が「道具として扱われている」ような性的コンテンツや、男性同士の下ネタ的な会話を目撃するたびに、たとえそれが自分と関係なくても、なぜか女性である自分のことが「恥ずかしい」と思ってしまいます。
(自意識過剰すぎじゃない?と思うかもしれませんが、なぜか昔からそうなのです。)

この感覚については、よく家族や周りの友達と話をするようにしています。
「考えすぎだよ」と言われることもあれば、「わかる…!」と共感されることもあります。

人によって、自分の性別や、社会の中での「女性」というものに対するイメージは本当にさまざまですね。

一方、世界では、「女性の容姿を褒めること」が礼儀であり、それによって女性が喜ぶとされているという価値観もあります。

たとえば、数年前、一人でフィリピンのマニラという都市に住んでいたとき、一歩外に出るとそこは「男性が女性の容姿や体型を褒めたり、冷やかす」ことが良しとされる世界でした。

普通に道を歩いているだけで、通行人から「セクシーだね」「かわいいね」と声をかけられる日々。

普通に聞いていれば「なんだ、褒めてるじゃん」と思うかもしれませんが、私にとっては「辛すぎて、正直地獄のような環境」でした。

男性である彼らにとっては、女性の容姿を褒めること、「綺麗、かわいいということ」は良いことであり、そこになんの疑いもないようです。ですが、私は外を歩くたびに自分自身を「はずかしめられている」ように感じてしまい、恐怖で家から一歩も出られなくなったときもあります。

実は、道を歩く女性に対して冷やかしの言葉をかけるのは「キャットコール」という性犯罪に分類できるそう。フィリピンだけではなく、アメリカなどの欧米国でも深刻な問題です。

せっかくなので、私自身の経験談をもう一つシェアします。
私は20歳のときから「個人で」仕事をしていますが、仕事の関係で年上の男性と2人で食事をする機会も何度もありました。

こちらがどんなに真剣に仕事の話をしていても、「かわいいから大丈夫だよ」「うちで飲み直す?」など、「仕事をする人」として見てもらえなかったことも何度もあります。その度に、悔しくて、家に帰ってひとりで泣きました。

今となっては「そういう人」がなんとなく察知できるようになったので、そもそもそんな付き合いはなくなりましたが、「私が若い女」であるだけでこんな扱いを受けることもあるのか…とかなりショックを受けましたね。

なんだか、自分の経験だけを書いて、「こんなに大変でした!」と愚痴っているみたいになってしまいました。(ここに書けないような話もあります。話したい!という女子の方はぜひDMしてね @mionmori

ここで一つ、自分と同じように「女性であること」によって「恥ずかしい」「嫌だな」と感じたことがある人へ。これらの経験を通して感じる、わたしからのお願いと、持つべきマインドセットについてお話します。

自分が「嫌だな」と感じるような行動・言動・環境を体験したとき、それを「嫌だ!」と感じることを否定しないでください。
そう感じるあなたは、100%正しいです。

私は、この「自分が不快に感じている」ことに対して「罪悪感」を抱えながら生きてきた結果、自分の感情がよくわからなくなってしまった時期がありました。嫌なことにフタをして生きると、どこかで溢れて大変なことになってしまうようです。

自分が「不快だな」と感じた相手に対して、「でもこの人、悪気なさそうだし…」「自分が考えすぎかも」とか思う必要は1ミリたりともないのです。

今、自分が感じている感覚は間違ってない。
それって、冷静に考えてみたら当たり前のことですが、ちょっと油断すると、一般的な意見や誰かの一言を優先して、出来事を正当化したくなっちゃいませんか?

人はきっと、嫌な出来事を自分の中で「しょうがない化」したくなる生き物です。(女性は特にその傾向が強そう)

ですが、ここは一つ、こう思いましょう。
「どんなに相手が悪気なく言っていようが、嫌なものは嫌」
我慢して自分をだましても、それって結局、持続可能じゃないので。「いやだ!」と100回くらい叫びましょう。(口に出さなくてもOK。ちょっとスッキリします。)

マレーシア移住をやめます【2023年はノブレス・オブリージュで生きる】

🌼

家なしのノマドワーカーにとってかなり魅力的な「ノマドビザ」ですが、こちらの取得はいったんやめる方向でいきます。

マレーシアという国に対して「嫌だ!」と感じたからではなく、生き方の方向転換をしようと思うからです。

わたしはクリスチャンではありませんが、「ノブレス・オブリージュ」という考え方を強く信じています。

ノブレス・オブリージュとは、「天から与えられた才能やチャンスは、社会のために還元する責任がある」ということ。2023年はさらにこれを意識して生きようと思っているので、自分のスキルや経験を、ひたすら社会のために使い倒していきます。

今までは「自分の居心地の良い場所」を選んで滞在していましたが、しばらくは「自分がこうした方が、社会が喜びそう」を優先します。なので、もう少し柔軟性を持ちたいのです。

まとまらない文章になってしまいましたが、以上が「最近のわたしの思考」と「2023年の生き方メモ」でした。

うまく締まらないので、モデルであり、星読みリーダーであるわたしの姉「かなでちゃん」のPodcastを貼って終わります。

実はわたしがディレクション、台本作成、編集などやっているのですが、自分も3周くらい聞いてるほどヘビーリスナーです。「ながら」で聴けるので、年末の大掃除のお供にぜひ。

個人的には「二択で迷った時、後悔しない決断方法」のエピソードがおすすめで、3回くらい聞くと「決められない〜」で悩まないようになります。

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結局、かなでちゃんの話で終わってしましました。

2022年、お世話になったみなさま、本当に本当にありがとうございました!
来年もどうぞよろしくお願いいたします!

美音

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