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ドラマで勉強「虎に翼」( 悪魔)

「虎に翼」第49話。
法曹の世界に戻っても「途中で辞めた」負い目にスンとなる寅子。

昔の寅子を知っている(追っている)視聴者としては「どうした寅子」と思いながら、大人になったとも感じました。

昔は自分の立場だけ、自分の気持ちだけで突っ走ることが出来た。

リアルに守るべきものが出来た時、人は大人になるし、保守的になる。弟の直明が大黒柱として大人になろうとしたように。
自分の気持ちを諦める場面も出てくる。ライアンの言葉を借りれば謙虚になる。

「寅子の娘に対する興味が薄くない?」という意見もチラホラ。
それは今に始まったことではなく、生まれた時から同じ。

母のはるさん、親友の花江ちゃんほど子供に対して愛情表現は見せていない。
優三さんのほうが「愛しているんだな」と分かる場面が多かった。
だから良い悪いは別の話です。

現在の猪爪家の家族構成は、はるさん+息子(直明)、花江ちゃん+息子(直人と直治)、寅子+娘(優未)。

3家族が同居して炊事洗濯は共同。
1つの家族としてではなく「3つの家族」が「猪爪」の表札の家に住んでいる。
実際にはるさんと花江さんは「猪爪」だけど寅子は「佐田」である。

今の猪爪家の働き手は寅子だけ。
私の子供の頃は3世代同居も珍しくなく、それぞれが役割を持ち「家」の機能を維持してきた。

寅子が仕事に夢中なのは性格もあるが、それは寅子の役割なのだ。

はるさんも花江ちゃんも昼間は面倒を見てくれているのだが、夜になるとスンと3家族の部屋・シェルターに入る。
個人的にここに薄い壁のようなものを感じた。

もし花江ちゃんが「寅ちゃんは仕事に専念して。優未は私が息子と一緒にみるから」と預かれば、寅子への見方も変わる気がする。
もちろん花江ちゃんが悪いという話ではない。
寅子の性格を考えると「大丈夫、自分の子供なんで」と断りそうだ。

今週は新民法を作る過程が描かれている。
衝撃だったのが「古来から」とされている家制度・家のあり方は明治に作られたものだったこと。
寅子の両親は明治生まれだし、江戸生まれの人も生きていただろうに。

声のちょっと大きい人が「古来から・伝統だから」と言いふらせば、知らない人達は「そうなんだ」と思ってしまうよね。
私もその中の一人だったのだが。

旧民法では明らかに女性は不遇で差別されていた。
第1話の「結婚した女性は無能力」のパワーワードは忘れられない。

保守の保守・神保先生の存在は旧民法そのもの。
「君たちの息子の姓が変わったら血の繋がり、家の繋がりを感じられなくなるだろう?」

女性はずっと変えさせられてきたんだけどね!と大合唱が起きそうだ。
結局「結婚後はどちらかの姓を名乗る」になるけど、現在も姓を変えるのは女性が多い。

戦争により猪爪家のように旧来の家制度、男(夫)が稼ぎ女(妻)が家を支える、が成り立たない家も多いだろう。
そのための「婦人の社会進出」でもあるのだが。

民法によって定められるべきは個の平等を基盤とした家のあり方ではあるが、リアル生活においての家族の形は応用が必要だ。

猪爪家。
寅子とはるさんと花江ちゃん。
寅子とはるさんは血が繋がっているけど、花江ちゃんは繋がっていない。

神保先生の言う「血の繋がり」は必要なのか?
この3人が「家族とは何か?」のモデルになるのでないか、と期待している。

今日は花江ちゃんが英語を話した。
子供達は「お母さんは英語を喋れるの!」とびっくりしていた。

敵国である英語を喋りたくなかったのかもしれない。
もう一つ考えられるのは、能力を披露・使う場が無かった。

花江ちゃんも英語を使えることを自慢したい、とは思っていなかっただろう。
しかし、その能力はあの時代なら立派な技能である。

「私にも使える能力があり、それを違う世界で使ってもいい」という発想。
女性に限らず全ての人に「自分の可能性」に気づかせる。
そんな回でもあった気がする。

そして花岡くん。
実在の裁判官がモデルとされているので、先の展開が分かってしまうのが辛い。

結婚を決意した時、轟に「こんな俺が言っても何も信じてもらえないかもしれないが。この先は何も間違わず、正しい道を進むと誓うよ。ごめんな」と言っていた。

つまり「この選択は間違っている」ことを十字架にして、その後の人生を「正しさ」への懺悔の道に捧げたのだ。

タロットの「15番・悪魔」

講座では「戦後の闇市カード」と説明することがあります。

「悪魔」は「悪に誘う」ではなく「何がなんでも生き延びる生命力」を表します。
「食べる」ということは生命維持には必要不可欠。
「正しさだけでは生きていけなかった」を自分に許せ、というニュアンスです。

花岡くんの「人としての正義と司法の正義にこんなにも乖離があるとは思わなかった」のセリフ。
今後「悪魔」の解釈がちょっと変わるかも。

「昔も今も君だよ。最後は自分で決めるしかないんだ」と寅子に言います。
「梅子さんの受け売りだけどね」と笑う花岡くん。

轟に言った自分の言葉。
梅子さんから貰った言葉。
大切な言葉だから胸に刻み続け、その言葉に誠実にあろうとする。

「15番・悪魔」には「囚われる」という意味もあります。
基本的には悪習(お酒飲み過ぎ・お菓子食べ過ぎ)のことですが、囚われるのは習慣という行動だけではなく、良しとされる信条・信念も含まれるのですね。

寅子も「仲間の想いを背負って生きる」こと。
そして優三さんの「自分らしく生き切って」の言葉。
本来はエネルギー源として作用するはずのものが、いつの間にか自分の足枷になって身動きが取れなくなっている。

これが悪魔の巧妙な罠です。

とは言え、やはり「悪魔」
支配されてはいけないけれど、悪魔を駆逐し清らかさだけになっても生きていけない。。。
何ともやるせない。

最後の最後に「はて?」が出ました。
桂場さんの「きた?!」の顔。

今回は穂高先生が悪人になってしまっているけど、二人の再会は何年振り?
「この数年、どうしていた?」という会話が少なすぎて、穂高先生の配慮も空回り。

穂高先生は「君を不幸にした」と謝る。
「君」は寅子にとっては「私」
「私は不幸・・・はて?」

ようやくです。
寅子が仲間でも家族でもなく「私」について考えることが出来た。
そのための穂高先生の登場だと思っている。




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