循環〜子どものパワーを、留学生へ〜
「おかあさん、ないているね?」
そう言ってチビは、ふふっと笑う。
私は本当に、
こういう状況に弱いのです。
授業準備に時間が
かかっています。
通常授業の際は
週に12コマの全授業のうち
6コマがマーケティングなので
クラスによってレベルの差はあれど
1週間に基本的に6回は
同じことを教えれば良かった。
しかしながら
12月から始まった集中授業、
これは辛い。
同じ科目を毎日1回分ずつ、
その曜日担当教師が
リレー形式で教えます。
つまり、毎日違う内容を
教える必要があるのです。
準備のストックが、出来ない。
内容は
経済学や人事管理論、
文化論、ビジネス文書など
その年によって
何が回って来るか、分からない。
自分の担当になった回を
どうやって教えたら
分かりやすいか、
考えるところから始めます。
そう、
知識として持っているのと
上手く教えられることは
全くの別物だから
手がかかる。
テキストを読み込んで
調べて、広げて
一回一回
パワーポイントまたは
Wordにデータをおこす。
見せる画像や動画を決める。
難しすぎるのはダメ。
長すぎるのもダメ。
簡単すぎてもダメ。
変な喋り方、特に
イントネーションがおかしいのは
もちろんダメ。
プリントと
オンラインの復習課題を作る。
終わった授業分の
プリント採点。
これを1日に4授業分やる。
キツイ。
まだか、まだかと
最終日を待ってしまう
自分がいる。
小さい頃は
単純な、影響されやすい子だった。
漫画の登場人物が
頑張っていれば、
それがいとも容易く
自分の原動力に変わった。
お気に入りの歌の歌詞で
勉強や仕事など
いろいろ頑張れた。
かつて母が言ったことを
思い出す。
「行きたいところは
若いうちに行きなさい。
歳を取ると何を見ても
簡単には感動しなくなるから」
そうだ。
ローマに行ったとき
ホテルに向かうバスから
有名な遺跡が見えて
あまりに感動して
もっと良く見ようと
身を乗り出した私は、
車内の通路側に落ちたんだ。
後ろの席の
同い年くらいの男の子に
笑われて、恥ずかしかったな。
その後私の荷物を
持ってくれた
優しい子だった。
たぶんこの年(※自称26歳!)
になってしまったら
もう、
あのローマの遺跡を見ても
まだ見たことさえない
例えばポンペイの遺跡や
アルハンブラ宮殿や
ピラミッドを見ても
きっとあの頃のように純粋には
感動出来ない。
漫画を読んでも
歌を聴いても
それがいとも単純に
やる気に変わってくれた
時代は過ぎてしまった。
今はこの仕事量を
単純な知的好奇心と
学生への愛情だけで
何とかこなしている。
昨日はチビの通う小学校の
展覧会でした。
仕事が溜まりに溜まっていたけれど
何とか時間を作って
チビのエスコートのもとに
行ってきました。
廃材で作った
ランプシェード。
色とりどりのシーサー。
将来の自分を形作ったオブジェ。
ミシンワークのトートバッグ。
全学年による
自由作品。
チビの学年
1年生は
粘土でケーキを作っていました。
一人ひとりが全く違う
個性的なケーキ。
私の時代だったら
数人は似たようなケーキに
なっただろうけど、
今の子は本当に
個の色が強く出る。
山が乗っているケーキ。
たくさん動物がいるケーキ。
シンプルなケーキ。
おどろおどろしいケーキ。
白いケーキが、珍しい。
それが素晴らしいと思う。
チビは四角い
チーズケーキを作っていました。
うん、貴方は普通のケーキは
嫌いだものね😅
一つひとつをチビが
手を引いて案内してくれる。
BGMは
高学年の子たちかな?
ピアノに合わせて
歌ってくれた曲。
ボーイソプラノの混じった
高い声。
支援学級の子たちの
スウェーデン刺繍は
驚愕の上手さでした。
SNSへの写真投稿禁止なのが
残念ですが、
売り物に引けを取らない
精巧さ。
ネット上で探したら
出て来る画像よりも
悉く、
あの子たちの作品の方が
第三者の目から見ても明らかに
繊細で精巧なので、
一般的な写真でさえ
載せるのを諦めました。
でも上手いとか下手とか、
じゃない。
どの作品にも
熱がこもっているようで
揺さぶりかけてくるようで、
もしかしたら真面目に
作ったんじゃなくても、
ただ単純に
楽しいと思って作ったものが、
私の胸をいっぱいにする。
脳の中で説明をすることばが
作られるよりも早く、
何だかわからないうちに
嗚咽が出そうになりました。
お母さん。
私はきっと昔よりも
貴女がいうように
旅行などでは
感動しづらくなって
しまったかもしれない。
だけど、
子どものパワーを
受け取って
それに心揺さぶられる力が
子育てを始めてから
こんなにも強くなりました。
だから、
いいんだと思う。
それでいいんだと思う。
素晴らしい歌手の
歌だけでは、
美しいダンスを見るだけでは、
私は昔に比べて
あまり
動かされなくなってしまった。
感動はする。
それだって涙が出るほどに。
するけれども、
それと自らのやる気とは
昔ほどは
繋がらなくなってしまった。
だけど、
子ども達が私を
押してくれる。
子ども達が生きている、という
それだけで
そのパワーが
私を前に進ませてくれる。
まだ頑張れる。
まだできる。
子どもたちにもらった
このほかほかするような
あたたかいパワーを、
外国から来てくれた
あの子たちに繋ぐんだ。
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